「江戸総鎮守・神田明神 (正式名称:神田神社)」 は730年・天平二年 武蔵国豊嶋郡芝崎村

   に入植した 「出雲氏族真神田臣」 が 「大己貴命」 を祖神として祀り、「伊勢神宮御田 (神田)」

   の地に 「神田鎮め・神田ノ宮」 として創建され (現在の 「大手町・将門塚」 周辺だそうです)、

   「徳川家康公」 が江戸に幕府を開き 「江戸城拡張」 の際 1603年・慶長八年に 「神田台」 へ、

   更に 1616年・元和二年に 「江戸城」 から 「表鬼門」 にあたる現在の地に遷座されたとの事。

   以降 「江戸総鎮守」 として 「江戸幕府・江戸庶民」 の崇敬を受け、明治に入ってからも 「准勅

   祭社・東京府社」に列格し 「東京・皇居の守護神」 とされ、現在 「都心108町会・築地魚市場」

   の 「総氏神様」 となっています。

   江戸初期に豪華な 「桃山風社殿」 が、そして 1782年・天明二年には 「権現造社殿」 が造営を

   されたが 1923年・大正十二年の 「関東大震災」 で焼失してしまい、1934年・昭和9年に その

   「権現造」 を模し 「鉄骨鉄筋コンクリート構造」 で再建 (当時では珍しい 「SRC構造」 設計顧問:

   伊東忠太、設計者:大江新太郎・佐藤功一、二度と焼失しないようにと 木造を避けたのだとか)、

   1945年・昭和20年 「東京大空襲」 で 境内に 「焼夷弾」 が落ちても 「本殿・拝殿」 等は 焼失を

   免れたとの事です。

   (「本殿・幣殿・拝殿・神饌所・瑞垣・宝庫・西門・東門」 が 「国の登録有形文化財」 に指定されて

   います)

 

   「御祭神」 は

   「一の宮:大己貴命 (おおなむちのみこと) だいこく様」

   「二の宮:少彦名命 (すくなひこなのみこと) えびす様」

   「三の宮:平将門命 (たいらのまさかどのみこと) まさかど様」

   (935年・承平五年の 「常陸国・平氏一族 私闘」 から 「巫女託宣により 新皇を称する」 に至る

   「平将門の乱」 で、940年・天慶三年 敗死した 「将門の首」 が 「神田明神」 の近くに 葬られた

   が、嘉元年間 「疫病・天変地異」 が頻発し それが 「将門御神威・祟り」 として 人々に恐れられ

   供養されて 1309年・延慶二年に 「神田明神・相殿神」 として合祀すべしとされた。

   1874年・明治七年 「明治天皇行幸」 の際、「天皇」 が参拝する神社に 「逆臣・平将門」 が 神

   として祀られているのは如何なものかとされ、「平将門」 が祭神から外され 代わりに 「茨城県・

   大洗磯前神社」 から 「少彦名命」 を勧請して 「平将門神霊」 を 「境内摂社」 に遷したが、戦後

   1984年・昭和59年に 「本社祭神」 に復帰したのだそうです)

   「神田祭 (神田明神祭)」

   「山王祭・深川祭」 と並び 「江戸 三大祭」 の一つとされ、また 「京都 祇園祭・大阪 天神祭」 と

   共に 「日本の三大祭り」 の一つにも数えられています。

 

   「随神門」

   昭和50年に 「昭和天皇御即位五十年」 を記念して 「総檜・入母屋造」 で造られ、平成10年に

   「平成の御造替事業」 で 色鮮やかに塗り替えられています。

   (正面側に 「随神像」 が、裏手には 「神馬像」 が納められています)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   「随神門」 を入って右手、「脇門」 の更に右には・・・「御防講巴纏記念碑・神楽殿・祭務所」

 

 

 

 

   「随神門」 の左手には・・・「休憩所奥に 将門神輿・手水舎 (工事に伴い、千社札仮封鎖)」

 

 

 

 

 

   そして 「だいこく様・えびす様 (平成17年 鳳凰殿竣成記念)」 が

 

 

 

 

 

 

   それでは、正面の 「御社殿」 に向かいましょう!