「全国間税会総連合会・全国大会 長野大会」 の 「記念講演会・講師」 は 「野球

   評論家・桑田真澄氏」 でした。

   「野球・読売巨人軍ファン・桑田ファン」 の私にとっては・・・・・・・・・。

   高校野球・PL学園のエースとして 甲子園春夏五回連続出場、優勝・準優勝・準

   優勝・ベスト4・優勝と云う驚異的な成績を収める。

   早稲田大学に進学して 東京六大学野球で神宮球場を湧かせるとばかり思って

   いたら、読売巨人軍がドラフト一位指名をして入団し、PL学園球友・ 清原君との

   KKドラフト事件が生まれてしまった。

   巨人軍入団後は エースとして大活躍するが、1995年6月15日の阪神戦三回

   表に 三塁線沿いのファールフライを果敢に捕球しようと試みて 右ひじを強打し、

   側副靭帯断裂の重傷を負ってトミー・ジョン手術を受ける。

   1997年4月6日にカムバックし、マウンドに跪きながらプレートに手術から回復

   した右ひじを付けて 感謝を表したシーンが印象的であった。

   その後も活躍するが、1999年頃からは低迷期に入り、2002年には12勝6敗

   の好成績を残し 古武術を応用したトレーニング方法が話題になる。

   2003年に負った足首の捻挫がクセになり、思うような投球が出来なくなった様

   に思え、2006年4月13日に600日ぶりの勝利・通算173勝を挙げるが、あの

   足首の捻挫を再発して巨人軍を退団することになる。

   引退か他球団移籍か話題になるが、米国大リーグ 「ピッツバーグ・パイレーツ」

   とマイナー契約を結びファンを驚かせる。

   2007年春季キャンプに招待選手として参加し、3月26日にオープン戦に登板 

   するが 三塁ベースカバーの際に球審と激突し 右足首靭帯断裂!

   今回も不死鳥のように復帰し、6月9日メジャー昇格。 6月10日 「ニューヨーク

   ヤンキース戦」 で初登板を果たすが、球威の衰え・コントロールも精彩を欠いて

   戦力外通告を受ける。

   2008年にもパイレーツ・マイナーに戻って 大リーグ挑戦を試みるが、メジャー

   昇格が絶望的と判断して現役引退し、昔からの夢であった 「早稲田大学大学院

   スポーツ科学研究科修士課程1年制コース」 に合格し 首席で修了。 

   更に東京大学硬式野球部を指導して、東京大学大学院総合文化研究科大学院

   研究生となるなど旺盛な学習意欲を現し、2016年には 「BCリーグ・ 信濃グラン

   セローズ」 の臨時コーチとして指導に当った事が、今回 「長野大会記念講演会・

   講師」 として登場した事に繋がるようです。

 

 

   「第44回通常総会」 が予定より延び、更に講演会場への切替えセットが遅れて

   十五分ほど遅れて講演会が始まりました。

 

   登場した 「桑田真澄氏」

   5時から6時までの講演と聞いておりましたが、現在5時15分ですから 6時まで

   45分で宜しいですか? 駄目! じゃあ一時間 頑張って話をさせて戴きますね。 

   まず、今日 会場にいらっしゃる方々の 年齢を確認させて貰いましょうか。 

   二十代は・・・居ないようです、三十代も、ああ居ます! はい、四十代・五十代・

   六十代・七十代、ここで止めておきましょうか、八十歳以上も 大勢の方にお出で

   戴きありがとうございます。

 

   私は 小二から野球を始めて間もなく五十歳になります。 PL高校で甲子園出場

   五回・20勝3敗・優勝二回・準優勝二回です。 そのPL高校が野球部休部 残念

   ですね。 その後 ご存知のようにプロ野球・巨人軍に入りますが、東京大学でも

   毎年3000人が入学するのに、プロ野球ドラフトで入団するのは 75人程度です

   ねぇ、そして試合に出られるのは たった9人です。 野球と云うスポーツは 残酷

   なのかなと思うんです。 相手を 0点に抑えても勝てない事が在り 9点取っても

   10点取られたら負けでしょ。 プロ野球に入ってからも40歳で引退するまで 23

   年間も野球を遣って 表と裏を見てきました。 野球も 九回まで表・裏で、皆さん

   の企業でも 戦略・収益、様々な表裏が在りますよね。

 

   今日は表と裏、そして私が乗り越えてきた 「二つの大きな挫折」 について お話

   をさせて戴きます。 

   私、1968年4月1日に生まれました、この4月1日生まれ 学年で一番後ろなん

   ですね。 子供の頃の一年は大きいですよ、中学校に 155cmで入った子供が

   三年経って卒業する頃には 185cmなんて、実際 中学生を野球指導していて、

   頑張れよと見下ろした子供が三年も経つと頑張ってくださいと見上げる様になり

   ますからね。 私の最初の 「挫折」 は此処なんですよ。

   学校の授業も解りません 「アホ」 扱いですよ。 私  「大阪・八尾」 で生まれたん

   ですが、今日 「大阪」 から見えた方はいらっしゃいますか 居ない 良かったです。 

   地元の小学校に入ったんですが、当時四年生以下がCクラス、五年生 Bクラス、

   六年生になりAクラスとされていましたが 三年生でAクラスに入れて貰いました。

   小学校五年生からエースピッチャーで連戦連勝、負けた事が無く中学校に進み

   ますが、でも 「縦社会」 なんですよ・・・体も小さかったし小学校 実績があっても、

   練習が終わると 「グラウンド整備に運動具の片付」 を遣らされます。

   監督不在の練習の時が大変なんです、イジメ です。 勉強も出来ないし、野球

   でもイジメ、おちこぼれです・・・野球を辞める、退部しようと思いましたね。

   家に帰り、母親に相談しました。

 

   母は 「お前の目標 何なんだ、考えて言ってごらん!」

   考えました 「PL入って甲子園に出て 早稲田大学に行って プロ野球に入る」

   「目標を立てろとは言うたけど 大き過ぎるやろ! まあええわ、なら如何したら

   ええんか考えてみい。 頑張るしか無いやろ!」

   勉強も判らなければ 「聞く」、クラスの天才・秀才に聞く 先生に聞く そうしたら

   成績が上がって来ました。 230人居て、テストの度に順位が上がるんですよ。

   そうでしょ、ビリなんだからね。 自信が付きますよね、努力が楽しくなります。

   授業中しか勉強できないんですね、宿題は休み時間に遣っちゃうんですよ。 

   野球の練習を遣るし、家も豊かじゃありませんから塾なんかも行けないんです。

   家に帰れば 「シャドーピッチング」 です、短時間集中型で遣りましたねぇ~。

   中学三年生になると、出場した全ての大会で優勝しました!

 

   「PL学園」 に入る しかも 「特待生」 で と云う時期に 「リトルリーグで活躍して、

   今度 PLに入る 清原って知ってるかい? 知らないか、じゃあ会ってみるか」 と

   言われ、会って吃驚しました・・・大きいんです、見上げるほど大きい。

   「ちょっと打ってみるか」 と言われた 「清原」 の打撃 凄いんです! 10本中で

   8本が場外ホームラン! レフトネットの遥か上を飛んで行きますので ネットが

   役に立ちません。 また 打った時の音が 凄いんですね、まぁ~ 今まで 聞いた

   事が無いくらいの凄い音がしました。 守備はどうか、内野ノックを受けますが

   彼、上手いんです。 じゃあ 今度は 「ブルペン」 、私は 中学校三年生全ての

   大会で優勝ですが 清原の投球を見て驚きましたねえ、彼は 投手でも 凄いん

   ですよ・・・そうです 「挫折」 です!

   コンプレックスを持ちました。 中学校時代の実績で 登板機会を貰いますが、

   私のピッチングは 高校では通用しない・・・外野手転向を言い渡されます。

 

   また母親に相談しました 「PL じゃあ投手は無理みたいなんだ、もう PLを辞め

   ようかと思っている」

   母の答は 「補欠でも良いやん、飯十杯喰うても清原の身体にはならん。 夢を

   あきらめるな、何が起きるか分からんから。 三年間 補欠でも良いから PLで

   野球を遣り通しなさい」 と云う物でした。

  

   (PL野球部の中村監督が、臨時投手コーチとして 「高校野球・都市対抗野球で

   監督として実績のある 清水一夫氏」 を招いて、「桑田の才能」 を見出したのが、

   大きな転機になったようで、そこから 「KKコンビ」 の甲子園での大活躍が始まり

   更にプロ野球での活躍に継がって行きます)

 

   「高校野球」 で、「投球フォームがおかしい、野球界の常識では こう投げるんだ」

   と言って 「フォームを改造させられる事」 もありますし、「練習量が足りないんだ」

   と練習を強制されることもありますが 「自分、自分らしく、自分らしい」 ですね。

   「常識が自分に合わない事も在るんだ。 自分は ただ投げるだけではなく、『走・

   攻・守・頭』 で、自分らしく自分らしい野球を遣ろう。 本物を自分の目で見て触れ

   てみよう。 恥ずかしくても良いんだ、自分の人生なんだから」 こんな風に思う様

   になりました。

   (これが 「大リーグ」 への挑戦に結びつくのですね)

 

   「あと時間はどのくらい在りますか・・・10分? 分かりました、それでは 会場の皆

   さんから四人の方にお手伝いを頂きたいと思います」

   (「講演」 が始まってから、質問に答えた人々に 「サイン色紙」 がプレゼントされて

   いましたので、それを目当て? にして多くの観客が手を挙げました)

   「はい、じゃあ前に出てきてください! 四人の方々に拍手をお願いしますね、では

   四人に各自二分間のスピーチをお願いしましょう (驚き戸惑う 四人) 冗談ですよ、

   それでは用意したものを持ってきてください」

   「先程、目で見て 触れてみてと申し上げましたね。 このグローブは、自分が使って

   いたものですから 手に取って嵌めてみてください。 これは、PL 当時のユニホーム

   です・・・これ着てみてくださいね。 それから ジャイアンツのユニホーム、これ本物

   本物です ネットに出ているのはみんな偽物です、着てみますか? は~い、どうぞ。 

   最後の ノースリーブのユニホームは パイレーツです。 これを着た時は 嬉しかった

   ですねぇ~ 背番号も18番を呉れました! 着てください。 あの、着た方は分かる

   んですが生地がバッサバサなんですよ、思わず 隣のロッカーのユニホームに 触っ

   ちゃいました。 あ、返して下さいね、代わりに 「サイン色紙」 をお渡ししますから。

   丁度時間になったようです、ご清聴ありがとうございました!」

 

   

 

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