本山よろず屋本舗 さんのブログより
 

生の意義を求める男性と並木さんの会話...2020年8月3日

 

 今回は、並木さんの新刊本から、私が興味深いと感じた話題を紹介したいと思います。
 この本に説明はないのですが、並木さんの想定問答集のようなものだと思います。
 ある状況下に置かれた人物を設定し、その人物と並木さんが会話すると、こんな風になるだろうという想定のもとに書かれたものだと思います。
 ご愛嬌として、並木さんの友達として宇宙人が登場します。

 これから紹介するのは、ある定年間近の男性(義男さん)で、90歳目前だった父親の突然の死を機会に、人生の意義を考え始めます。
 答えを得たいとサルトルの哲学書を読み始めたのですが、容易に答えが得られるはずもありません。そこに並木さんが登場し、お悩み相談となります。
 注目すべきは、義男さんは人生の意味の追及をライフワークとしていたわけではなく、父親の突然の死によって人生の意味を考え始めたことです。実はそこに、表面的な動機でなく、義男さんの心に中に潜む、ある種の「恐れ」があったといいます。
 人は、自分を動かす衝動のようなものはリアルに感じることができます。しかし、その衝動を生み出す心の底の深い原因には、気づかないことが多いようです。

 では、『宇宙人から聞いた幸せのひみつ』(並木良和著、ワニブックス)から抜粋して紹介します。


 ・・・<『宇宙人から聞いた幸せのひみつ』、p290~p321から抜粋開始>・・・

 「何のために生きるか」という大きすぎる命題

 とあるホテルのラウンジで、義男が分厚い本を読んでいる。
 ウェイターが紅茶を運んでくる。少し経ち、頼んでいない商品が運ばれてきたと気付いた義男は、ウェイターを呼ぼうと周囲を見渡す。

並木先生 何かお困りですか?

義男   実は、間違って注文していない紅茶がきてしまったみたいで。

並木先生 ああっ、それ僕かもしれません。ダージリンのホット、さっき頼みました。じゃあ、引き取りましょうか?

義男   いいですか? 助かります。

並木先生 それより、何の本を読んでらっしやるんですか? すみません、気になって。

義男   サルトルです。フランスの哲学者の。

並木先生 それはまた、難しい本を……。すごいですね。

義男   いやいや、好きなもので。

 そこへ、光とともに宇宙人が現れる。

義男   うわぁ! な、何だね。これは!

宇宙人  おい、おじさん。取り繕ってないで、言いたいことははっきりとロにしたほうがいいぞ。遠慮ばっかりしてたら、人生あっという間に終わっちまうからな!

並木先生 おや、突然のおでましだね。

宇宙人  パトロールしてたら、このおじさんに気付いたんだよ。今、紅茶の取り違えがあっただろ? そしてナミキンと会話ができただろ? それって、偶然なんかじゃなくて、人生のチャンスじゃん。だからおじさん、もっとナミキンと話しちゃえよ!

義男   こっ……、この物体はいったい何だ? 失礼じゃないか。

宇宙人  俺、宇宙人。お前さんに助言しに来たんだ。人助けだから、お礼はいらないよ。

義男   人助け? 私は別に何にも困ってはいないんだが……。ローンの返済も終わっているし、娘は嫁いだし、妻も健康だし、何もかも満ち足りている。

宇宙人  嘘つけ! お前さんのどこが満ち足りてるんだよ! 悩みの沼にズブズブにハマってるだろうが。

並木先生 それは大変だなぁ。実は、この宇宙人は僕の友人なんですよ。驚かせてしまってごめんなさい。

義男   これがあなたのご友人? 地球外の生命体と、どこで知り合うんですか?

並木先生 実は僕、カウンセラーの仕事をしているんです。人の心やそれまでの人生。これからの未来などが視える、ちょっと変わった能力を持ってまして。それをいかして悩みを解決するお手伝いをさせていただいています。

義男   それは素晴らしいお仕事ですが……。

並木先生 いわゆる特殊能力が強くなると、こういった存在とも繋がりやすくなるんです。

義男   大変なお仕事ですね。

並木先生 面白いですよ。それより、あなたはそのサルトルの哲学書で悩みを解決しようとされてたんですね?

義男   いやぁ、そんなことないですよ。

宇宙人  なんだよ。図星だろ? なんで隠すんだよ! はっきりと言えよ!

並木先生 あのね、地球人は年齢を重ねるとありのままを話すことが、だんだん難しくなるの。特に男性の場合はね。

宇宙人  そんなこと言って一人で悩んでたら、あっという間に病気になっちゃうぜ?

義男   病気になる? それは困る。私はもうすぐ定年退職する予定で、第二の人生を楽しみたいと思っているんです。

並木先生 そうですよね。だったらなおさら、悩みなんて手放したほうがいいですよ。よかったら、あなたのお悩みを話してくれませんか? お力になれるかもしれません。

義男   そうですか。あなたはとても礼儀正しいし、常識ある方のように見える。せっかくの機会だから、お言葉に甘えて少しお話をさせてもらおうかな。

並木先生 はい、ぜひどうぞ。

義男   実は、いい年をしてお恥ずかしい話なんですが……。私、何のために生きているのか、わからなくなってしまって。だから答えを知りたくて、学生時代に好きだった哲学書を引っ張り出してきて、読んでいるところなんです。

並木先生 なるほど。それで、サルトルを。でも難解で有名な本ですよね?

義男   昔はこういった哲学書を読むのが、教養として当たり前のように思われていましたからね。みんな、競い合うように読んでいましたよ。意味を理解していたのかと言われると、苦しいところですけれどもね。

並木先生 人生経験を積まれた今、改めて読み返してみてどうですか? 書かれていることの意味は、よくわかるようになりましたか?

義男   それが正直なところ、やはりよくわからないのです。もちろん、言葉として何を言いたいのかというのは、理解ができますよ。でも、それが「他人事」に感じられるというか、自分の生活や人生との接点が見つけられなくて。実感が持てなくて、心が躍らないといいますか。
 いろいろ考えたすえに、「自宅の書斎で読んでいるから、つまらなく感じるんじゃないか」と思いついた。そして、広くて豪華な空間で読めば、受け取り方も変わるだろうと思って、ここで読書をしていたんです。

並木先生 確かに、場所を変えるだけで感じ方が変わることもありますからね。それで、「何のために生きているのか」という答えには、たどりつけたんですか?

義男   笑わないでくださいね。実は、全くわからないんです。それで、読書なんかやめてしまおうかと思っていたところで、あなたとお会いできたというわけです。

並木先生 そうだったんですね。ところで、お話を伺っていて気になったことがあるんですが、そもそもどうしてあなたは「何のために生きているのか」という疑問を持ち始めたのですか? 何かきっかけがあったんですよね?

義男   少し重い話になりますが、いいですか?

並木先生 もちろん。お差し支えのない範囲で。

義男   実は先月、親父が90代を目前に、老衰で突然亡なりましてね。

字宙人  もう、大往生じゃん!

義男   ただ私にとっては、それまで大きな病気をすることもなかった親父が、急にこの世を去ったことが、ショックだったんです。「人生100年時代」なんて言われてますから、「100歳くらいまで生きてほしい」と願ってもいました。
 うちは親子仲がいいほうで、亡くなる前は親父を旅行や食事に連れて行ったり、親孝行はできていたほうだと思います。一緒に酒を飲んで、話もよくした。仕事の相談にものってくれた。だからこそ、「突然の親父の死」を、受け入れることができないのです。もう3ケ月が経ちますが、「まだ3ケ月しか経っていない」という感覚もあるんですよ。

並木先生 それは。おつらい体験をされましたね。お察しします。

義男   何よりつらいのは、親父を失った喪失感を共有する相手がいないことです。私には家族がいますが、一家の主として自分の弱っている姿なんて見せたくありません。妻も娘たちも、それぞれの持ち場で楽しく、充実して生きているし……・

並木先生 そこまで気配りされるなんて、お優しいんですね。

義男   書斎にこもって読書をしていても、家族に要らぬ心配をかけるような気がして、休日は外でよく本を読んでいるんですよ。

並木先生 そうだったんですね。
 あなたには深い教養があって、知性もあって、優しさもある。さらに仕事だって充実している。それなのに、あなたが「つらい」という思いに捉われ続けていることが、僕にはつらく感じられます。あなたは、お父様を亡くされた後の3ケ月、ずっと苦しい思いで過ごされて来たんですよね。

義男   そうなんです。親父が生きていた頃は、「何のために生きているのか」なんて、考えたこともありませんでした。仕事と家族サービスに没頭して、それなりに楽しく生きてきました。老後については多少なりとも蓄えはあるし、将来への不安もなかったんです。でも、親父が死んでから、自分の「死」をはっきりと意識するようになった。正直、私はまだまだ死にたくはありませんし、親父のように「突然死ぬ」っていう運命もごめんです。

宇宙人  その「死にたくない」ってのが、おじさんの最大の悩みなんじゃねーのか?

義男   あっ! そうなんでしょうか? 今まで意識したことはありませんでしたが。

並木先生 どうやら、本当の気持ちに気付いたようですね。それは素晴らしいことですよ。

義男   ごめんなさい。長々とお話しするうちに、気付きました。こんな気持ちは、誰にも打ち明けたことがなかったな。

並木先生 「本当の気持ち」に気付くために、カウンセラーは存在していますから。たくさんお話しいただいていいんですよ。というか、話さないと気付けないこともあります。どんどん本音で話してください。手柄話とか武勇伝ではなく、「人様には恥ずかしくて言えないこと」を明かしてもらったほうが、結果的に早く解決しますから

義男   わかりました。じゃあ続きをお話しすると、「まだ死にたくない」と思ううちに湧き上がってきたのが、「何のために生きるのか」という疑問だったんです。
 だって、人は誰しも必ず死にますよね? どんなにいい人でも、お金持ちでも、みなやがて死ぬ。人生の長さは異なるかもしれませんけれど。そう思うと、すべてのことが虚しく感じられてきてしまったんですよ。
 旅行先できれいな景色を見ても、美味しいものを食べても、素晴らしい映画を観ても、どうせ最後は「死ぬ」。もう家で寝ていればいいんじゃないかってね。

宇宙人  おいおい、ずいぶん極端だなぁ。

義男   そうなんです。思い詰めて、疲れてしまったのかもしれません。それで次に、楽しかった学生時代を思い出して、昔読んだ哲学書にもう一度向き合い始めたんです。でも、残念ながら、その答えにたどりつけてはいないんです。

 Doing より Being が大事

並木先生 じゃあ一度、「哲学書」を手放してみましょうか。だって、今のところ、どんな「答え」にもたどりつけなかったんですよね? だったら、別の角度から問題にアプローチしてみましょうよ。これ以上多くの哲学書を読んだとしても、具体的な解決策が見つかる保証はないですよね?

義男   ……そうかもしれないですね。じゃあ、いったい何をすればいいですか?

並木先生 難しく考える必要はありませんよ。「人生の目的は、ただ生き切ること」って捉えてみるのはどうでしょう。とてもシンプルだと思いませんか?
 どんな条件も付けません。病気にかかっても、心が苦しくても、人生の目的とは「ただ生き切る」こと。そう思えば、ラクになりませんか?

義男   それはそうですが……。そんな低い志で過ごしていて、人として大丈夫なんでしょうか? 私はちょっと心配になりますが。

並木先生 ちなみに、「低い志」とは?

義男   人として生まれてきたからには、その人独自の功績を世の中に残して、死んでいくべきだと思うのです。えーっと、例を挙げてみましょうか。
 「会社を興して広く社会に貢献した」「目覚ましい業績を残して、業界を活性化させた」「優秀な人材を育てた」とか。そういった「結果」を出さずに、だらだらと過ごして一生を終えるというのは、人としていかがなものかと。

並木先生 なるほど……。ちなみに、あなたの今までの功績は何ですか?

義男   役員の一人として、二年前にわが社を上場させたことですね。

並木先生 それが、あなたご自身の人生の「結果」なんですね。

義男   はい。だから、あなたがおっしゃる「人生の目的は、ただ生き切ること」という説には、ちょっと賛同しかねます。「ただ生き切るだけ」じゃなくて、やはり人様から、より高い評価を頂戴するようにならないと……。

並木先生 でも、その考え方を貫いてきた結果、今「何のために生きているのか」わからなくなって、立ち止まってらっしゃるんですよね?

宇宙人  それなら、「人から高い評価をもらうこと」を、目的にしなきゃいいじゃん!

義男   でも人から高い評価をもらうこと以外の基準なんて、私には思いつきませんよ。

並木先生 じゃあ、一つお聞きしますよ。あなたは「自分自身から高い評価をもらうこと」には、興味がないですか?

義男   はぁ? どういうことですか?

並木先生 わかりやすく表現すると、自分の「本当の気持ち」に気付いて従うことで自分自身と一致する、ということです。本当の自分を生きることで、自分を満たすんです。

義男   ごめんなさい、おっしゃることの意味が、私には理解できないのですが。

並木先生 平たく言うと、人からの評価を気にするのではなく、自分自身が「真に望む状態」で生きること。これが人生の目的なんです。
 だから、成績なり仕事の業績なり、何かの結果を残すよりも、どんな状態であるかというほうが大事なんです。つまり、「Doing」よりも「Being」が重要なんですよ。

義男   そうなんですか? じゃあ、結果や成果はどうでもいいってことですか?

並木先生 はい。それよりも、大事なことは自分の「本当の気持ち」に一致して、自分を一瞬一瞬満たしながら生きているかどうかです。

義男   私のようにずっと会社のために働いてきた人間には、理解しがたい話だなぁ。

並木先生 そうですか? でも、そうやって今まで頑張ってこられたからこそ、理不尽な思いをされたこともあるんじゃないですか?

義男   え? どういうことでしょう?

並木先生 結果が大事という「成果主義」の場合、競争が生じることが多々ありますよね? 入学試験や入社試験、組織内での出世レース。それに個人間に限らず、資本主義の世の中では、会社同士がライバルになる。他人に追いつけ追い越せ。そんな勝ち負けの世界で、今まで心が擦り減ることはありませんでしたか? もしくは、一生懸命戦っても負けてしまったとき。むなしくはならなかったでしょうか?

義男   それは資本主義の世の中だから、やっぱり仕方がないことでしょう。

並木先生 ではあなたは、そうやって他人と競い合い、自分の評価を高めるために生まれてきたのだと思いますか?

義男   うーん。それは違うと思うなぁ。「外に出ると、他人と競い合う」。そこには当然ストレスもつきまとう。だからその反動で、家庭に戻ったときには「人からの評価」なんて忘れて家族と過ごして、互いを大事にするんだろうなぁ……。

並木先生 では、家庭と過ごすような和やかさや気楽さ、そして快適さで、いつも過ごせたら幸せだと思いませんか?

義男   そりゃあ、それが一番の理想ですよ。ただ、それじゃ家族を養ってはいけないですからね。外に出て、身を削りながらでも、あくせく働かなきゃ。

並木先生 では、死ぬまで「人から高い評価をもらうこと」を求めて、頑張るしかないんですね?

義男   そこなんですよ。実はもう疲れていて、頑張れないと思うときもあるんです。

並木先生 では、さっきご提案したように、人生の目的を「ただ生き切ること」に設定し直してもいいんじゃないですか? もう勝ち負けの世界から降りて、自分自身の「本当の気持ち」のおもむくままに生きていけばいいのでは?

義男   そんな生き方ができればいいと私も思いますよ。ただ、誰からも相手にされなくなったり、社会に必要とされていないようで、苦しいんじゃないでしょうか?

 自分自身と繋がるために生きる

宇宙人  「社会」になんて、必要とされなくたっていいじゃん!

義男   な、なんていうことを言うのかね!

並木先生 でも、宇宙人の言う通りですよ。社会から必要とされていようがいまいが、人はどうせ死ぬんです。それなら、死ぬときに一切後悔しないくらい、本当の自分として生きたい、生きさせてあげたいと思いませんか?
 そろそろ、人から高い評価をもらうというレースから降りて、自分の「心地よさ」を優先して生きるんです。要するに、他人の評価を軸にするのではなく、自分の「本当の気持ち」を評価の軸にするということです。
 他人軸から自分軸へ。この転換を図らない限り、本当の意味で満足することはないし、常に他人に振り回される人生になってしまうんです。

義男   なるほど、そういうことですか。ようやく飲み込めてきました。
 ただ、自分の「本当の気持ち」を評価の軸にするという考え方は、私には全く耳慣れないものですね。いや、私の世代の男性ならみんなそうだと思いますよ。まぁ、我々が受けてきた教育も、その理由の一つなんでしょうね……。
 私たちは幼い頃から、「他人からどう評価されるか」とか、「周りからどう見られているか」という枠組みの中でしか生きてこなかった。それ以外の枠組みがあるとは思いもしなかった。学校での成績、入試、就職試験……。年代ごとに用意されたレースに参戦して、そこで上を目指すことが幸せへの近道だと思って生きてきたんです。

並木先生 じゃあ、今から見方を変えて、「自分の心地よさを優先」しながら、毎日を楽しんでみてください。「ただ生き切ること」を一番の目標にしてね。

義男   そうですね……。ただ、私にはまだわからないことがあるんです。世の中のすべての人が「ただ生き切ること」を目標にしたとしますよ。それで、社会は上手く回るものなのでしょうか?
 我々の世代でよく言われたのは、「自分の役割を見極め、それを全うする」ということでした。誰にでも得手、不得手がありますよね。その中で得意な事柄の専門性を高めて、社会貢献すべしという考え方が浸透していたんです。
 だから、「生き切る」という低レベルな段階ではなく、それぞれが自分の得意な専門性を発揮して生きたほうがよいのではないでしょうか?

並木先生 いわゆる「役割」ですよね。おっしゃることは、もちろんよくわかります。でも、そういう考え方って重たすぎて、疲れてしまいませんか? 結局、「成果主義」で生きてきたときのように、頑張ることを自分に強いてしまいますよね。それじゃあ、年齢を重ねるうちに、疲れ果ててしまうじゃないですか。
 だから、できれば「役割」という概念からも自由になったほうがいいと思うんですよね。「役割」や「役目」っていうと、どうしても義務感がつきまといますから。

義男   なるほど、確かに「役割」と義務感は、セットになるような気がします。じゃあ、人生の目的とは、本当に「ただ生き切ること」だけでいいんですか?

並木先生 あっ、大事なポイントをまだお伝えしていませんでした。「ワクワクしながら、喜びを感じながら」っていう要素を忘れずに、生きてくださいね。

義男   ワクワク、喜び? そりゃいったい何のことですか?

並木先生 人は誰もが、幸せになるために生まれてきているんです。僕も、もちろんあなたもです。一生懸命努力して結果を出すことや、我慢に我慢を重ねて周りから「立派な人」と言われるために、生まれてきたのではありません。

義男   はい。それについては、さっき納得できました。

並木先生 他人軸ではなく自分軸を優先するとき、「そこにワクワクや喜びがあるか」を、一つのものさしにして行動すれば間違いありません。

義男   それは、自分がワクワクしたり、喜びを感じるということですか? 極めて利己的な振る舞いのように、私には聞こえるのですが?

並木先生 いえいえ、利己的なわけではありません。「自分の本当の気持ちに素直に従う」って言い換えると、わかりやすいかもしれません。確かに、自分軸を中心にすると言うと、表面的には利己的に聞こえてしまうかもしれませんけど。でも、ここで大切なことは、あなたの「本当の気持ち」は、他の人の気持ちと同じように、尊く大切であるということなんです。

宇宙人  そもそも自分の「本当の気持ち」に気付くことって、なかなか難しいんだぜ。本心で何かを望んでいても、それが、何だかわからない地球人が多いんだよな。

並木先生 そう、宇宙人の言う通りなんです。実際、今のあなたがそうじゃないですか?
 あなた自身、読書に没頭しているようにお見受けしましたが、本当の欲求は「本を読みたい」ということでも、「何のために生きているのかを知りたい」ということでもない。ストレートに言えば「死にたくない」という欲求でしたよね?
 その気持ちをロに出したのは、僕と出会って初めてだったんですよね?

義男   ああ……。そう言われれば、そうですね。「本当の気持ち」や欲求に気付くのは、実は至難の業なのかもしれませんね。

並木先生 そして、その「本当の気持ち」や欲求に従うことも、多くの人にとって困難なことなんです。自分の「本当の気持ち」や欲求に素直に従っている人は、周りから見たら自由人で、「好きなように、やりたいようにやっている」と見られる。すると、本当はそうしたいのに、できない人たちから嫉妬やバッシングを受ける。
 だから難しいんです。
 他人軸で生きて、人の意見や評価に振り回されるのではなく、本当の気持ちに従い自分軸で生きることほど、大切なことはありません。それができたとき、人は本当の意味で幸せになることができるんです。

義男   ふむ。あなたと話していると、自分がいかに古い考えか、痛感させられますなぁ。

並木先生 僕は、決してあなたを責めたいんじゃありません。ただ、「どうすればもっとラクに幸せに生きられるか」「どうすれば自分自身を満たすことができるか」を、お伝えしたいだけなんです。
 あなたは長年生きる中で、「本当の気持ち」という自分の「内」ではなく、周囲の期待や評価という「外」を向いて過ごしてきた。そして、一見当たり前に思えるその生き方こそが、今の苦しさの原因になってしまっているんです。「すべては自分の中にある」からこそ、自分に繋がることが大切なんですよ。
 特に「自分の気持ちにフタをして生きてきた人」は、自分に繋がる感覚を忘れてしまいがちです。それは仕方のないことですが。でも、「もう、いい加減やめよう!」と決めさえすれば、それだけで自分に繋がりやすくなっていくんですよ。

義男   そうなんですか。私には、哲学書を読んでいるほうがラクな気がするなぁ。

並木先生 あの、失礼ですけど、あなたはそれで「何のために生きているのか」の答えは、得られたんでしたっけ?

義男   いいえ……。

並木先生 読書も実は「自分の外」を探る行為なんです。だって他人の書いた軌跡を、丹念にたどる行為ですから。もちろん、自分自身の考えと同じ内容もたくさんあるでしょうし、学べることも多いと思います。でも、本に書かれたことすべてに、共感するのは難しいでしょう? だから、最初は違和感があったとしても、「自分に繋がる」ことを心がけることが大事なんですよね。

義男   じゃあ具体的に、どうすれば「自分に繋がる」ことができるんですか?

並木先生 すでにお話ししたように、「ワクワクする」「喜びを感じる」ことを常に捉えて、その感覚と行動を一致させることです。わがままに振る舞うのではなく、自分の感覚を大切にするんです。このアンテナとも言える感覚は、意識して捉えようとすればするほど感度をアップできるんです。
 そしてアンテナを磨き続けるうちに、日常の中で様々なインスピレーションが湧いてくるようにもなります。「勘が鋭くなる」というと、イメージしやすいかな。
 自分自身の声に耳を傾けることに長けていくんですから、その他の部分でも多くの気付きが得られるのは当然ですよね。

義男   勘ですか。私は妻によく「勘が鈍い」だの「察しが悪い」だの言われるので、心配ですね。自分の心の声に気付けるかどうか……。

宇宙人  頭で考えないで、ハートで感じるようにすればいいんだよ。おじさんだって、慣れればできるさ!

並木先生 ええ簡単ですよ! ハートを意識して自分との繋がりを密にしていけば、その過程で「自分の使命や役割」に気付けるんですよ。わかりやすい例を挙げると、「何をしたいのか」「何のために生まれてきたのか」がパッと閃くんです。
 もし、「自分の使命や役割」に気付くことができれば、そこから使命を全うする道に進んで行けばいいんです。最初から一足飛びに「自分の使命や役割」を探そうとしても、なかなか上手くはいきませんから。

義男   なるほど、そうなんですか。

並木先生 自分の心の声に耳を傾けられるようになると、人生がスムーズに流れ始めます。
 問題やトラブルが起こりにくくなり、悩んだり苦しんだりすることも少なくなります。だって、自分が本当にやりたいことをわかって行動しているんですから。
 そして、だんだん「存在しているだけで、幸せを感じられる」ようになるはずです。

義男   それは素晴らしいですね。私もそんな境地に早くなりたいですよ。暮らしの中で「こうすれば、自分自身と繋がりやすくなる」ということはありますか?
 私はウォーキングが趣味で、よく神社やお寺の前を通りかかるんですけど、そういうところを参拝したほうがいいんでしょうか?

 神社との本当に正しい付き合い方

並木先生 神社に行くという行為自体は素晴らしいですよ。どこかに出掛けたついでに、「寄り道」っていうスタイルで参拝したっていいんですし。
 でも、一つ気を付けてほしいのが、神社は「神様、助けて!」というSOSを発信する場所でも、感謝を捧げる場所でもないということです。

義男   ええっ、どういうことですか!? 「神様にこれまでの感謝をしてから、願いごとを伝えましょう」なんて「神社ガイド」の本に書いてありましたけど?

並木先生 確かにそういう考え方もありますし、もちろんそれも正解です。でも宇宙の本質から見ると、参拝の主な目的って「自身の神聖さ」を思い出すためなんです。

義男   ちょっと、すみません。「自身の神聖さ」って、どういうことですか?

並木先生 わかりやすく言うと、「本来、人は誰でも神様と同じくらい尊い存在だ」っていうことです。

義男   えっ人間って、そんなにすごい存在なんですか!?

宇宙人  当たり前だろ! もっと言えば、人間は一人ひとりが神なんだよ!

義男   はぁ、その考え方も初耳ですね……。

並木先生 神社の中には、「鏡」がご神体として祀られているところが多いですよね? あの鏡の意味は「ほら見てごらん、鏡にはあなたが映っているでしょう? 実は、あなたも神だったんですよ」っていう教えなんです。さらに言うと、「かがみ」の「が(我=エゴ)」を取り除くことで、「かみ(神)」であるあなたが現れるということでもあるんですよ。

義男   ああ、そうだったんですか! 三種の神器の中にも、鏡がありますもんね。

並木先生 日本には古くから「八百万(やおろず)の神」という言葉がありますよね。だから、「みんな誰もが神である」という概念は、それほど理解しにくいものではないと思います。それなのに、多くの人たちは自分の力を過小評価し、卑屈になりすぎているんです。もっと自信を持って、自分軸を大切にしながら、人生を満ち足りたものにしてほしい。だから、神社に行くときも「自分よりも尊い存在である、神様に会いに行く」っていう意識は手放してください。
 インドの挨拶で、「ナマステ」という言葉がありますよね。これはサンスクリット語で、「私の中の神から、あなたの中の神にご挨拶します」っていう意味なんです。神社に行くなら、まさにそんな意識で向き合うことが大切ですよね。

義男   なんだか、畏れ多いなあ……。

並木先生 とはいえ、神社にお参りするなら、そこに祀られている神様の繁栄を祈ることは大事ですよ。平たく言うと「その神様のますますの発展と、繁栄をお祈りします」という気持ちで行くことです。相手の幸せを「先に祈る」ことは、結果的に自分も発展・繁栄することに繋がりますから。

義男   具体的に、どう言えばいいんですか? ビジネスシーンでは、よく「御社の益々のご発展を祈念申し上げます」なんて書きますけど。

並木先生   いい言藁があります。「弥栄(いやさか)」です。日本の古い言葉で、繁栄を祈るっていう意味なんですが、ニュアンスとしては「万歳」に近いかもしれません。神社を後にするとき「この神社と、神様のご発展を心からお祈り致します」と心の中で唱えて、「弥栄」と締めくくってください。

 参拝のとき以外に使っても構いません。プライベートな場面なら、メールの最後の結びに「弥栄」と入れてもいい。「あなたの繁栄を祈念します」という思いでいると、自動的に自分自身の繁栄までバックアップされることになるんです。

義男   わかりました。じゃあ、神社へのお参りって、「必ずしなければいけない」っていうものではないんですね? うちの妻なんて、行事のときにはムリをしてでも神社に足を運んでいますが……。

宇宙人  心がけとしては、素晴らしく聞こえるけどよぉ、宇宙的な感覚で言えば「わざわざムリをしてまで?」って思うよなあ。

 エネルギーは詰まらせずに、どんどん流せ!

義男   じゃあ逆に、自分と繋がるために「やったほうがいいこと」ってありますか?

並木先生 神社への参拝と比べると俗っぽく聞こえるかもしれませんけど、「掃除」や「身の回りの整理整頓」ですね。
 自分がいつも過ごしている場所の空気の循環をよくするために、物は少なく、シンプルに。乱雑にせず、ゴミは早めに捨てて、快適に保つことです。そうすることで、エネルギーの滞りを取り除き、循環を改善できますから。
 空間をクリアにすることで、思考までクリアになって、より軽やかに動けたり、インスピレーションを受け取ったりできるようになります。「詰まらせないこと」「流すこと」が大切なんです。まあ、これは何についても言えることですけどね。
 簡単に言うと、僕たちが神なら、自分の家や部屋は神社の本殿にあたるわけです。そこをきれいにするのは、とても大きな意味があるんですよ。

義男   そうなんですか?

並木先生 身近な例を想像するとわかりやすくなりますよ。体の血流だって巡りが悪くなると、冷え性を始め、様々な体調不良が起こり始めますよね? それと同じで、神様のお社も汚れを溜めずにきれいなほうがいいと思いませんか?

義男   なるほど、それはそうですね。

並木先生 他にアドバイスをするとすれば……。日常、簡単にできる心がけとしては「食べすぎないこと」でしょう。

義男   ああ、お医者さんもよく言いますよね。腹八分目がいいとか。でも、その理由って何なのでしょう? 健康上の理由以外に、何かメリットってあるんですか?

並木先生 食べすぎてしまうときって、心が満たされていないケースが多いんですよ。仕事上のストレス、人間関係の悩み、ちょっとしたイライラやクヨクヨ……。そういったネガティブな感情や感覚を打ち消したいがために、空腹でもないのに、ダラダラ何かを食べてしまう。そんな経験って、誰にでもありますよね?

義男   はい、確かに。恥ずかしながらよくわかりますね(笑)。

並木先生 「心が満たされないから食べる」ということを繰り返していると、太っていくだけではありません。自分の抱えている本質的な問題に気付きにくくなっていきます。「食べること」で刹那的な快楽を味わい、気を紛らわせているんですから。
 反対に、「美味しいものを少しだけ食べる」食生活にシフトすると、感覚は研ぎ澄まされ、インスピレーションも湧きやすくなります。自分の「本当の気持ち」にも気付きやすくなります。

義男   いやぁ、あなたのおっしゃることはよくわかりますよ。でも、我々のように年齢を重ねてある程度舌が肥えると、やっぱりグルメ志向になっちゃいますよね。

並木先生 大丈夫ですよ、「グルメ志向がダメ」ってことじゃないですから。「うんと美味しいものを適量、よく味わって食べる」ことが大切なんです。もし自分がワクワクするなら、有名店にコース料理を食べに行ったっていいんです。ただ、その場合もパンのお代わりは控える。その程度の心がけでも全く違ってきます。
 僕は外食のときは、ビュッフェ形式のお店を選んだり、事前にお店に相談して量を少なめに出してもらったりすることもありますよ。

義男   なるほど、それならできそうだ。

宇宙人  そうそう禁止ばっかりしてると疲れるから、適当でいいんだよアバウトで。

並木先生 ええ。「ジャンクフードは避ける」「スイーツはダメ」など、厳しくルールを決めると、途端に苦しくなります。身体の声に耳を傾けて、素直に従うことも大切ですよ。僕は年に数回、ファーストフードを無性に食べたくなるんですけど、そのときはその声に従っちゃいます(笑)。

義男   ほう、たまにはゆるくてもいいんですね。

並木先生 もちろんですよ。そうじゃないと、窮屈になってしまいますから。

宇宙人  ねぇ、ナミキン。もうすぐ取材の人たちがやってくるよ。今駅だから、このホテルにはあと5分くらいで到着するはず。

並木先生 ああ、もうそんな時間か。

義男   えっ、あなた、これから取材を受けられるんですか? そんなすごい方に相談に乗ってもらえただなんて、光栄です。でも、取材前だったなんて、申し訳ない!

並木先生 いえ、僕は全然大丈夫ですよ。慣れてますので。それより、「本当の自分と繋がること」を、しっかり意識してくださいね。それが僕の願いです。

義男   そうですね。あなたと話しているうちに、死への恐怖心は和らぎましたよ。今まで私を苦しめていたあれは、いったい何だったんだろう。

並木先生 今日気付いた、たくさんのこと。それこそがあなたの心を満たし、「今」を充実させるカギです。日々自分の人生を丁寧に大切に生きることで「生」が輝き、対である「死」に対する意識も変化するんです。
 あなたは、「死への恐怖」に苛まれるために生まれてきたのではありません。だから、これからは誰のためでもない、自分のための人生を生きてくださいね! 過去の哲学者などではなく、あなた自身としっかり向き合い、繋がることですよ。

義男   はい、今日は本当にありがとうございました!

 義男はテーブルの上の本を閉じ並木先生に頭を下げる。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 ふーん、神社は神々に挨拶するところというより、自身の神聖さに気づく為のところだったのですね……。