こんにちはニコニコ


青い空家のその後ですが、やっと、家族内感染も落ち着き、症状もそれぞれ快方に向かっていますニコニコ
ご心配をお掛けしましたm(_ _)m
心配してくださった方々、本当にありがとうございましたお願い


今までの流れを備忘録も兼ねて、書きたいと思います。


7月28日を最終接触日とし、29日から、家族は、一人一人、別々の部屋で過ごすことになりました。
(旦那のみ、この日からずっと隔離生活です。それは、今もです。)


私以外の家族4人は、個人部屋がありますが、私だけ個人部屋がないので、私は、寝室にいました。


とても、不思議な感じでした。
5人家族が、皆バラバラに家で過ごすなんて、もちろん初めてのことでした。
ご飯も、それぞれがそれぞれの部屋で食べました。


お風呂は、旦那が感染していなかったので、旦那は、夜に入り、感染した家族は、朝に入りました。
ただし、長男は、全然入りませんでした。
(ここは、いつもの長男でしたニヤリ)
長男が感染後、初めてシャワーをしたのは、6日後でした。
その後も、出かけることはないので、全くシャワーはなし。
その後は、又、お風呂に入らなくなり、自宅待機期間の終わった11日目に、入りましたとさ。


私の陽性がわかり、長男と私は、2人での隔離生活にしました。


娘は、私から、コロナがうつるようにと、30日から、一緒に、お昼から夜寝るまで、リビングで過ごすようになりました。


4、5日の高卒認定試験は受けない方向で行くことを本人が決めました。
コロナ感染するように決めたのは、24、25日の高卒認定試験の再試験日に、必ず受験できるようにするための苦肉の策です。
本来は、もちろん、コロナに感染しない方が良いのでしょうが、いつ、どこでなるかはわからない感染状況なので、やむを得ません。


結論から言うと、結局、次男と娘も、感染しました。


まずは、次男の話から


29日、
「のどがおかしい。」と、言い出しました。


30日午後、
38度5分の発熱。
抗原検査は陰性。


31日、
次男の熱は下がらず、39度7分まで上がりました。
抗原検査は陰性。


8月1日、
朝もまだ、38度の熱。
下痢になりました。
咳も酷くなりました。
熱が出てから、食欲は落ちましたが、全く食べられない訳でもなく、水分も取れていたので、土日ということもあり、病院には行かないで、自宅療養をしていました。
発熱外来に電話をし、予約をして、抗原検査を受けることになりました。
その抗原検査で、陽性になりました。


8月2日、
熱が下がりました。
咳は、変わらず。


8月3日、
味覚、臭覚障害に、本人が気づきました。
食べることが人生において、一番の幸せである次男は、味覚障害になったことを凄くショックがっていましたガーンガーン
味が濃いめの食べ物を欲するようになりましたニコニコキムチチゲうどんや豚キムチなど、キムチが大活躍でした!


薬は、何も飲みませんでしたが、徐々に悪くなり、そこから、又、徐々に良くなっていきましたニコニコ


娘は、8月2日から、喉の違和感がありました。
8月3日、激しい嘔吐、下痢がありました。
本当に、辛そうでした。
ノロのような症状でした。(実際に、ノロだったのかもしれません。)
熱は、8月4日の一日だけ。
38度2分まで、上がりました。
咳が、徐々に増えていきました。
頭痛もありました。


長男の咳は、長引いています。
味覚、臭覚障害、徐々に回復してきましたが、完璧とまではいきません。
味覚障害と自覚してから、2、3日後には、うっすら味を感じるようになりました。
10日間の自宅療養期間を過ぎても、咳はたまにあります。


そして、私。
発症してから、2日後から、咳が日に日に増えました。
寝ていても、咳き込んで、何度も起きました。
夜中の咳は、2日間、続きました。
その後は、ピタッと夜中の咳はおさまりました。
腹筋がないので、その後は、お腹の筋肉痛にもなりました。
何をするにも、お腹が痛くて、その時は大変でした。
咳が落ち着いてくると、それに伴い、お腹の筋肉痛も気にならなくなりました。


気づくと、味覚、臭覚障害になっていました。
感染してから、食欲が全然なくて、ほぼ、バナナ生活を送っていました。
バナナを食べておけば、なんとかなるでしょと、バナナ信仰が強い昭和世代ですにやり
他に食べていたのは、丸パン。
柔らかくて、玄米が入っているパンで、体調が悪くても、食べやすかったので。
バナナも丸パンも、甘めの味で、甘さは、味覚障害になっても、感じることができていたので、味覚障害に気づかなかったのです。
すると、ご飯を作る時に、にんにくをすりおろして、指のにおいを嗅いでも、全くにんにんのにおいがしないのです。
そこで、初めて、自分の味覚、臭覚障害に気づきました。


白米を食べるのが想像できなくて(白米が食べたくないのです)、雑炊は口にしましたが、白米を口にしたのは、発症日から、一週間は経ってからのことです。


洗濯は、毎日していました。
娘が、手伝ってくれる日もありました。
掃除は、ほぼコロコロでした。
ご飯は、まる二日間、作りませんでした。
お弁当やテイクアウトなど、旦那に行ってもらっていました。


ご飯を作らなくなって、3日目。
娘が、
「お家のご飯が食べたい。」
と、言いました。
この時に食べたいと言ったものは、白菜のうま煮とカボチャでした。
カボチャは、煮つけたものではなくて、カボチャをただレンチンしたものです。
私と娘は、カボチャのレンチンが大好きなんです。
煮つけよりもね、好きで、素材の味を楽しみますデレデレ
なんてことはない、ただのお家のご飯が恋しくなりました。
この時、味覚障害がまだ強かった長男は、何を食べても同じでつまらないと、言っていました。


コロナになり、食べたいものが何もなくなったり、食べたいものなのに食べられなくなったり、味覚障害になって、本来の味を感じられなくなったりと、ここに来て、改めて、食事の大切さをとても感じています。


おいしく食事ができることって、本当に幸せなことなんだなと、思います照れ


家事をすることも、休み休みしないと、できませんでした。


洗濯物を干すのも、とても大変でした。
発症2日目は、タオルを1枚干すのも一苦労。
たかだか、タオル1枚なのにアセアセ
1枚干したら休む、そして、又、1枚干して休むの繰り返し。
凄く時間がかかりました。


ご飯を作るのも、休み休みだったのですが、発症して、8日目の夕ご飯は、体もだいぶ楽になりました。
餃子を作りました。
豚汁も作りました。
休みながらでなくても、料理ができるようになりました。


発症9日目。
掃除機もかけることができました。


途中、症状が悪化することはなくて、常に回復していっています。
味覚障害も、療養途中になってからは、少しずつ回復しています。
臭覚障害ですが、昨日、餃子を作っていると、ニラのにおいはするのに、ニンニクは全くにおいがしませんでした。
塩味、甘味は感じますが、少しでも味が複雑になると、ちゃんとは感じません。
こんな症状になったことがないので、とても不思議な感覚です。


我が家の場合、旦那と娘(娘は当初)は、感染しませんでした。
旦那と次男とは、同じ寝室で寝ていました。
(私だけ、マスクあり)
3枚の布団で寝ているのですが、真ん中が旦那でした。
換気は、どの部屋もずっとしていました。
でも、隣の布団の旦那は感染せずに、遠かった次男には感染しました。
娘も、そのまま、隔離生活をしていたら、感染しなかったと思います。


個人的な感想ですが、家庭内でも、ちゃんと隔離をすれば、感染しないと思われます。
後は、個人差もあるでしょうが、近くにいても、私の作ったご飯を食べても、感染しない人もいます。 
旦那は、会社の人からも、驚かれていました泣き笑い


10日間の隔離生活は、かなり大変です。
我が家の場合、旦那が感染しなかったので、とても助かりました。
一家全員、感染したら、実家や友達に、お世話になっていたと思います。


スキンシップ大好きな私が、スキンシップを誰とも取られないのも、ストレスでした悲しい
だから、私が感染して、まず、長男とスキンシップが取られるようになり、その後、次男も感染したので、次男とも、くっつくことができるようになりました飛び出すハート


長男が陽性になった時は、とにかくうつらないようにと気を張っていましたが、私自身が陽性になった時は、これで、うつらないようにしなくてもいいんだと、気持ち的には楽になりました。


我が家の場合、感染した経過は、皆、たまたまかもしれませんが、大まかな所は同じでした。


喉の痛み、違和感。
下矢印(次男は下痢、娘は下痢、嘔吐あり)
発熱
下矢印
下矢印
咳の回復が始まる
下矢印
下矢印
味覚、臭覚障害
下矢印
味覚、臭覚障害の回復が始まる
下矢印
徐々に、動けるようになる
下矢印
今はここ。


皆さんも、お気をつけくださいねハート


大丈夫、大丈夫。
できることから、一つずつ照れ


今日も読んでくださり、ありがとうございましたラブラブラブラブラブラブ