諦めない心の体質ケア
蒼 心堂【あおい しんどう】です。
私の事 第9弾
葬儀の日。
私は《喪主》と書かれたリボンの様なものを付けられ最前列に着席しました。
どの様に執り行われたか、あまり覚えていないのが本当のところ。
喪主の挨拶はどうするのか、担当の方から聞かれ父が私に話す様にと。
とにかく 沢山の方が。
幼稚園、保育園、小学校のお友達も沢山きてくれました。
担当の方が汗だくで動き回っていた事は覚えています。私の記憶の中には季節感は全く無くて、どうしてこんなに汗かいてるの?と思ってました。
葬儀が終わり祭壇から棺が下され、皆んなでお花を、義母が棺から離れず義父に抱えられてました。
最後に主人にキスをしました。
主人の唇はビックリするくらい冷たくて、冷たくて、その事は今でも忘れてはいません。
出棺前に会葬お礼の挨拶をする為に会館の1階に降りると、本当に沢山の方が、何を話したら良いのか分からない、この時点では死亡の原因すら分かっていない状況。
とにかく沢山の方がお別れに来てくださる主人の人望の厚さに感謝と子供達と強く生きていく事、そんな事を話した様に思います。
荼毘にふされる時、保育園児の息子が「どうして焼いたら帰って来れるの?」と。
亡くなるという事がやはり理解できていない、お父さんは元気に帰って来ると思ってる、なのに火葬場?
きっと不思議かいっぱいだったんです。
その発言は私の心に突き刺さりました。
会館に戻って精進上げ。
主人の父母、親族は全員揃ったからと一部屋に集まり襖をピシャリと閉められました。
その中に私は入っていませんでした。
その後叔父の1人が私の所に。
主人の遺骨を分骨してほしいと、実家で待っている祖父母に持って帰ってあげたいと。
私には即時に判断できず、又こんな時だけ来るんだなどと思いました。とりあえずこの事は住職さんに相談しました。
分骨する事はそれだけお祀りしてくれる方が多いという事で良い事と言われ、了承しました。
収骨をし、暖かい骨壺を持ち、これは絶対に誰にも渡さない!
よく分からないけど、悲しさ、悔しさ、寂しさなど色んな感情が心の中で渦巻いてました。
その晩、義父母は我が家に泊まりました。
翌日は葬儀の収支など、会計作業が残ってました、
実家の父母も来て手伝ってくれました。
余りにも沢山の方が来られたので、会葬お礼の粗供養が不足するという事態になっていた様です。当日お渡しできなかった方には宅配で送る手配になってました。
記帳戴いた名簿を見て約800名の方がきてくださり、担当者の方が社葬の準備が必要だったと、汗だくだったのはこの為でした。
会館前の国道は渋滞、主人の会社の方々が交通整理をして下り、又主人の実家からは観光バスで来て下さってたそうで、近所のお店の駐車場をお借りしたりと 本当に沢山の方のお力を借りての葬儀でした。
私は全てを後で知ることになり、主人の偉大さを痛切に感じました。
葬儀をどこでするか考えていた時、自治会の担当者の方の不在が後になって良かったのだと。
自治会の公民館で葬儀をしていたら、大変なことになっていたと思います。
これもきっと主人が導いてくれたのだと そんな気がしました。
益々寂しさや悲しさが大きくなっていきました。
心に穴が空いた感じ、まさにその通りでした。
ただ次は警察の調書、病院での最期の状況、会社の手続き、それから色んなところから届く請求書など、片付けなければならない事がいっぱいでした。
