《岡山》自然療法院【想~てとてと~】のつれづれ

岡山県岡山市で 自然療法院として
日々の生活や健康 カラダとココロのサポートをさせていただいてます。
代替医療・自然療法として
オステオパシー、ホロソフィーの哲学や施術
ホメオパシー、メディカルアロマ、ファスティング、などを組み合わせています。


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ずいぶん前に、ある方からご紹介いただいたこちらの本を、

今少しずつ読み進めています。

 

 

 

 

ああ、そうだよなぁ、そっかぁ・・・と強く感じたところがありました。

 

伝えておきたいなと思ったので、一部、転載します。

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

(『身体の言い分』 内田樹 池上六朗著より、抜粋)

・・・・・・・・・・・・・・・・

 親の快感と子どもの快感は分離可能であり、分離されるべきだという考え方をしているところから児童虐待のような問題は起きていると思うんです。 

 

 でも、今の日本の少子化問題に対する行政やメディアで識者が語る意見を見ていても、

基本的に子どもというのは「邪魔なものである」ということを前提にしていますでしょう。この邪魔なものがもたらす害悪をいかに最小化するかというふうに行政は問題を立てているし、女性の社会進出への制度的な支援も、「子どもは厄介者」ということを自明の前提としていますよね。 

 

 たしかに、託児所をつくるとか、保育を行政が支援するとか地域社会で子育てを支援するのは、それ自体はいいことには違いないんだけれど、その前提には、子どもというのは要するに親にとっては自己実現の妨害者であるという社会的了解があるわけですよね。親が自己実現とか社会的なアチーブメントという枠組みで目指している快感と、子どもが求めている生理的な快感を「対立」というか「ゼロサム」関係としてみるような思考が支配的である間は、児童虐待はなくならないと思うんです。

 

 子どもが気持ちいいと親も気持ちがいいという、ごくごく当たり前のことお、子どもの生理的、身体的な快感を増進させてあげると、親もハッピーになるということを、アナウンスする人は本当に少ないんです。

 

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 

最近、SNSを中心とした起業をしたママ起業、主婦起業も増えています。

もちろん、それよりずっとずっと以前から、女性の社会進出について

法整備も制度もどんどん進んでいます。

 

それ自体は、やっぱりいいことなんだと思います。

 

選択肢が増えることは きっといいことですよね。

 

 

でもね、

FBやブログを中心として 赤ちゃんや小さいお子さんがいるときから、起業して

輝いている女性がたくさん見られるようになって

 

「私も、ああいう風にしたら幸せになれるんじゃないか」

「子どもがいても、自分はもっと自己実現ができるんじゃないか」

「ママの幸せは、子どもの幸せなんだから、まずママが幸せにならなきゃ」

 

そんな風潮は確かにあって。

 

私自身も、そう感じること、すごくありました。

そういう前提で、動いてきた自分がいます。間違いなく。

 

 

 

でも、ふとよく思い出してみたら、

本当にここに書かれている通りで。

 

 

ぬれたおむつを替えてあげて、我が子がすっきりしたら、なんか自分もスッキリした気がして。

 

離乳食を子どもが あーんぱくってしたときに、

自分は食べてもいないのに、一緒になって口あけてぱくっとしてもぐもぐして。

 

ベビーバスに入ってるのは我が子だけのはずなのに

なんだかじぶんまであったまってる気がして。

 

 

「子どもと一つだったとき」って、ほんとに、あったと思うんです。

 

 

子どもが笑ってくれたら、自分も笑顔になれて。

子どもがおいしいって言ってくれたら、それだけで心があったまって。

 

もちろん、やりたいことがあって、夢があるなら、母だからと言って

我慢することなんて別にないし、

親の犠牲の上に成り立つ子どもの幸せなんて、もろく崩れ去るものだから

親である前に個人が幸せでいることは とても大切なこと。

 

 

でも

「子どもの幸せ=親の幸せ」

であることを、体感として感じていた時期って、きっと母なら誰しもが持ってる。

 

それを 大切にするとか、優先するということではなくて。

 

たぶん、ただただ、その心地よさを 感じてみればいいだけなんだと思います。

 

 

 

私はここのくだりを読んでから、

子どもがいる時間のPC作業はかなり減らしました。

 

数日前は久々にお人形さんごっこをしました。

 

 

こういう気付きの機会をいただけたこと、感謝です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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昨日は 午前中にお一人ご来院いただき、

 

午後は、息子の学校の 授業参観でした。

 

 

 

 

普段なら一時間しかない授業参観なのに、なぜか二時間続きで

 

いつもより長くてね。

 

 

お知らせプリントがあったときには、寒そうだし長いのやだし

 

親子で懇談ってなんだよーとか思っていたのですけど。

 

そもそも体育館ってほんとさむいんだよね・・・。


(基本的に、引きこもってるのが好きです(笑))

 

 

行ってみたら、もうすぐ卒業なので、前半は交流会で

 

後半は親へ歌と手紙のプレゼントでした。

 

 

 

そういえば、自分が教員してた頃はたしかにあったけど、

 

もうすっかり忘れてて、うっかり心構えもなく

 

のほほんとノーガードで行きましたら・・・まんまとダイレクトに受けてしまった・・・。

 

 

 

もう、歌の前の呼びかけのところとかで

 

うるうるしてしまい、一緒に歌ってくださいと言われて配られた

 

Believeの歌詞と、歌い始めで、もう、だめだった。

 

涙とまらなくて。

 

 

 

息子は12歳で、きっと早ければあと数年で、親元からは巣立つ。

 

中学生になり、高校生になり、少しずつ親の手を離れていき、

 

一緒にいない時間が増えていき。

 

 

私が親としてやってきたつもりの、彼を支えるという役割は、

 

だんだん友達や、そしていつか愛する人に変わっていく。

 

もう、見守るだけしかできないときが、すぐそこにやってきてる。

 

 

 

 

そう思ったら、私は一体、彼にどんな未来をつむげるかなぁ。

 

親として、胸張ってできることやれてるかなぁって。

 

涙がとまらなくてね。

 

 

 

 

結婚式じゃないけどさ、

 

彼のそばにいる役割は、いずれ誰かの手に渡る。

 

 

 

 

そしたら、私は、その未来が少しでも希望あふれる未来であるように、

 

やっぱり今できることを一つずつ、積み重ねておきたい。

 

 

 

 

家族をとても大事にする息子なので

 

きっといつか誰かと家庭を築いたときも、

 

何よりも大事にするし、家族を愛するし、

 

家族の悲しみを一緒に悲しむ人間になると思う。

 

 

 

 

息子のためとか、子どもたちのため、とかじゃなくて

 

私自身が、そうしておきたいと、強く思いました。

 

 

 

私の信念のために だね。

 

 

 

だからやっぱり、ワクチンセミナーも、来てみてください。

 

待ってます。

 

未来に、少しでもよりよい未来を紡ぐために、知ってほしいことがあります。

 

→残3【募集】岡山2/24(金)我が子のために知っておきたい!ワクチンセミナー(予防接種勉強会)

 

 

 

 

 

BELIEVE 【作詞・作曲】杉本竜一


1.たとえば君が 傷ついて
  くじけそうに なった時は


  かならずぼくが そばにいて
  ささえてあげるよ その肩を


   世界中の 希望のせて
   この地球は まわってる


   いま未来の 扉を開けるとき
   悲しみや 苦しみが
   いつの日か 喜びに変わるだろう


   アイ ビリーブ イン フューチャー
   信じてる

 

 

2.もしも誰かが 君のそばで
  泣き出しそうに なった時は


  だまって腕を とりながら
  いっしょに歩いて くれるよね


   世界中の やさしさで
   この地球を つつみたい


   いま素直な 気持ちになれるなら
   憧れや 愛しさが
   大空に はじけて耀(ひか)るだろう


   アイ ビリーブ イン フューチャー
   信じてる

 

 

   いま未来の 扉を開けるとき
   アイ ビリーブ イン フューチャー
   信じてる 

 

 

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ここ数日の間に 立て続けに

子どもの言動に関わる トラブルとまではいかないけれど

 

ちょっと 疑問が残るというか もやっとしたという話が

耳に入ってきました。

 

 

なぜ わざわざ「自然派育児」という言い方をするかというと

 

自然派って 子どもの生きる力を高めるとか

 

ちょっとやそっとのケガなら大丈夫 たくましく育てようっていう気持ちが

 

多かれ少なかれあるんですよね。

 

 

別に 自然派じゃなくても そういう方針のご家庭もたくさんあると思うけど。

 

 

 

だから

 

まあ 同じ自然派ママの集まるところでは

 

子ども同士で 多少色々あっても 子ども同士で解決する

 

というスタンス。

 

 

 

このスタンスは 大事と思います。

 

いちいち子ども同士のケンカに大人が口出しするもんではありません。

 

 

でも じゃあどこまで?って聞かれたときにそこって線引きは難しいと思います。

 

 

 

ですので 参考になるかなと思うので

 

私の線引きをお伝えしますね。

 

 

 

・物を使って相手にイタイ思いをさせた

 (石 おもちゃなど)

 

・わざとじゃないけれど 相手にイタイ思いをさせたけど謝らない

 (ぶつかった 踏んだ 足があたったなど)

 

・1対複数

 

・一方的な暴言

 (悪口)

 

・急所(目や鼻 口 股間など)をたたくける

・大きい子が小さい子に暴力的な言動や 言うこと聞かせるみたいな支配構造

 

 

これらは NGですね。

 

 

もちろん あいまいな基準ではあるんですが

 

「大人同士であった場合に 社会的に許される行為かどうか」

 

 

だと思います。

 

 

 

「子どもだからしょうがない」

 

って 私たち大人って よく言います。

 

 

でも それって 子どもを尊重してない気がします。

 

 

 

子どもだからこそ 大切なことは 小さいうちから繰り返し経験しながら

 

学ぶ必要があるのではないでしょうか。

 

 

 

子ども同士のけんかだから

 

トラブルだから

 

仕方ないのではなく

 

 

子どもだからこそ きちんと 

 

ならぬものはならぬと 教えるのが 大人の役目だと思っています。

 

 

 

 

子どもだから仕方ないというのは

 

 

「子どもだから 何回も同じことを繰り返すのは仕方ない」

 

のであって

 

 

 

もしその子が大人になった時に 同じことをしたら 許されないようなことをしたのであれば

 

例え今は子どもであっても

 

それこそ 繰り返し 何度でも 同じことを 大人が忍耐強く 教えることが必要と思っています。

 

 

 

 

1回言えばわかる子もいる。

 

でも

 

100回言って やっと少しわかる子もいる。

 

 

それが 個人差であって 特性であるだけです。

 

その個人差に対して

 

大人がめんどくさくなってしかりつけるのがよくないだけです。

 

 

 

 

特別支援教育でも同じです。

 

 

未就学児の特別支援が必要とする集団などでは

 

2年も3年もかけて

 

「じゃんけんで 勝っても負けても泣かないよ」

 

って 言い続けたりします。

 

 

毎回泣くから(笑)

 

 

でも 3年かかって 1回でも泣かなくなったら それは成長です。

 

 

 

いけないことをいけないと教え

 

いけないことをしてしまった時にはどうしたらいいのかを教える。

 

 

 

それは 大人の役目です。

 

 

家庭環境がどうとか

 

あの子は親の愛情不足だからとか

 

発達障害があるから仕方ないとか

 

 

 

そういう話じゃない。

 

 

ならぬものはならぬと 教えてあげられるのは 子どもが子どもでいる間だけですよ。

 

すぐに結果を求めるのではなくて

 

子どもには繰り返し大事なことを伝えるのです。

 

 

 

 

ちなみにうちは 昨日 娘にめっちゃ真剣に伝えました。

 

 

我が家は 兄よりも妹の方が気が強いです。

 

 

昨日の夕方 二人が口げんかになり 言い合いになりましたが

 

兄が なにやら文句を言ってるのに

 

娘がそれを無視して聞いてないふりをしたんですよね。

 

 

 

「そんなこと知らないし」

 

「答えたくないし」

 

みたいに言いながら。

 

 

 

ありませんでした?子どもの頃。

 

 

口げんかになった時に

 

途中から相手または自分が

 

 

「はあ?あんた何言ってんの?ばかみたーい」

 

みたいな すり替えはじめるようなことって。

 

まともに取り合わないってやつですね。

 

 

 

あれ 最悪と思ってます。

 

 

 

ケンカすればいいし 言い合えばいいと思う。

 

でも 相手が正面から来たら

 

こちらも正面から受け止めてそれに対して返す。

 

 

 

それをしなかった娘に

 

とくとくと 伝えました。

 

 

 

嫌なことは嫌っていえばいい。

 

でも 相手を無視するんじゃないと。

 

相手の言い分をなかったことにするんじゃないと。

 

 

 

ま、途中から大泣きしてましたけどね。

 

 

 

そして伝えました。

 

少しずつ 練習していこうって。

 

また 同じ間違いしてもいいよって。

 

でも その度にママは同じこというから

 

少しずつ覚えていこうって。

 

 

 

 

 

愛の反対は無関心。

 

 

自分は今ココにいるのに 自分を見てもらえない

 

 

そんな経験は

 

 

きっと 叱られることよりも 子どもに小さな傷として 積み重なっていくことでしょう。

 

 

 

 

親がそれを でききれないことだってあります。

 

 

私も 放置のときは放置だし(笑)

 

 

だからこそ 親子が集まる機会があるときは

 

 

「お互いさま」で

 

見れるときに お互いの子どもを 見合っていったらいいんじゃないっすかね(^^)

 

 

 

 

 

 

 

 

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少し前になりますが、子どもたちの小学校で 発表会がありました。

 

 

娘は 合奏 オペレッタ 劇

息子は 合唱 合奏 

 

でした。

 

私自身 小学校での教員歴が長いので

 

ついつい 色々観察してしまい 我が子だけに専念できないのが

 

なんだかめんどくさい親でもある自覚があるのですが。

 

 

 

今回の発表会 本当にすごかった。

 

一体どれだけの労力を注ぎ込んだんだろうって。

 

 

「すごいね かわいいね かっこいいね 立派だったね 小学生にしては」

 

 

っていう レベルではなかった。

 

 

 

 

もちろん 学年相応のテーマではあったけれど

 

どの学年も 私が知っている横浜や川崎での発表会のレベルをはるかに上回る完成度でした。

 

もう 涙が出そうになりました。

 

6年生の合奏なんてもう 大人顔負けですよ。

 

なにもかもが。

 

 

 

 

岡山の他の小学校がどうなのかは私もわかりません。

 

 

でも

 

うちの子ども達に限っては 今の小学校で

 

今いる子どもたちのメンバーの一員でいることができたこと

 

幸せだったと 思います。

 

特に うちは 4月に引っ越してきたので。

 

 

 

 

個性の尊重 個を伸ばすことが大事にされる時代の流れの中で

 

教育現場は混乱しています。

 

 

学校は本来 集団の中で 他者と協調しながら自己の活かし方を学んでいく場所。

 

集団の中での自己の在り方を見つけていく場所なのです。

 

自己と集団 両方を意識していくのです。

 

 

でも 自己の活かし方 そして 競争構造に重点がどうしてもおかれる風潮があり

 

他者との協調のレベルにまで持って行けない。

 

 

 

そんな ジレンマを抱えています。

 

 

少なくとも 横浜 川崎ではそうでした。

 

 

 

だから 学習発表会的なものよりも

 

学力向上を図るという意味で 行事的なものはどんどん縮小されています。

 

 

 

でも 現場の先生たちなんて本来

 

金八先生みたいな 心の交流を夢見て 先生になった人も多いから

 

そういうの 好きなんですよ(笑)。

 

 

でも やりたいことと やらねばならないことが 乖離してる。

 

だから どちらも中途半端。

 

 

 

それが 私の持っている印象です。

 

もちろん 自分自身もそうだった。

 

 

 

だからこそ 今回の子どもたちの発表は 本当に 感動しました。

 

仲間とともに 一つのものを作り上げることのよさは

 

その完成度が 高ければ高いほど 子どもたちは感じます。

 

 

 

子ども達はわかります。

 

自分たちの出来がどうだったか一番よくわかってる。

 

 

いくら大人が

 

「小学生なのに頑張ったね!」

 

って気休め言ってたって そんなの 少しも受け取ってない。

 

 

子ども達は そんなほめ言葉 求めてない。

 

小学生レベルのできなんてどうでもよくって。

 

 

合唱一つするにしたって あの子たちが求める完成型って

 

それこそ NHK合唱コンクールみたいな ああいうのなんですよね。

 

ほんとは。

 

 

 

岡山って 学力レベルは 全国的にはかなり低いらしいです。

(そんなのどーでもいいと思ってるけど 耳には入ってくる)

 

 

でも そんな たかだかペーパーテストなんかじゃ

 

はかりしれないことが あるんじゃんやっぱり と 私は感じました。

 

 

 

 

もちろん よそから来たという意味で 子どもたちの学校に対して

 

疑問に感じること ちょっと不信感感じることも たまにはあります。

 

 

でも そんなの全部 どうでもいいかもと思えるほどに

 

素晴らしい 発表会でした。

 

 

 

うちの子どもたちは 間違いなく たくさんのものを得た。

 

一員として あの中の一人であったことは 子どもたちの一生の財産になる。

 

 

 

先生たちに そして クラスメイトのお子さんたちに 心から感謝です。

 

 

 

 

 

 

 

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先日 友人のFB投稿で 小学校一年生のさくらんぼ計算に関するものを見かけて

元小学校教諭としてつい血が騒ぎ、私も コメントしつつも

 

ああ、自分の投稿でも!と思って投稿したら

たくさんの方がコメントくださったので ブログにも書いてみようと思います。

 

 

さくらんぼ計算って言い方 自分が小学生の時にしたかなぁ?
つか
こんなのあったかなぁ?


と思いますが 次のようなものです。

 

 

たまに見かけるのが

例えば この「13」という答えは合っているのに

 

〇〇のところが空欄だったり 間違っていたりして 先生が×を付けたとか
 

場合によっては 〇〇の欄がないからと 子どもがやらないでいたら

 

×をもらったとかって話。

 

 

 

後者の さくらんぼ(数字の分解)の欄が一切ないのに

分解をしてないから×にするというのは ちょっと今の時代は無理があるかなぁと思いますが、

 

前者の場合ですね。

 

 

4という数字の分解ができてなくても 13という正答が書けているのだから〇じゃないかと。

 

 

 

で、これ 実は一応 真っ当な理由があるのです。

 

 

日本の算数という教科は

 

基本的に

 

「これまで習ったことを使って まだ習っていないことの答えを導いていく」

 

という 積み重ね式なのです。

 

 

引き算は 足し算の考えを使って どうしてその引き算の答えの求め方が
 

正しいのか説明することができなければならないし

 

かけ算は 足し算や引き算(すでに習ったもの)を使って その答えの導き出すことが 大切なステップなのです。

 

 

だから

 

本当は 答えをただ 暗記したまま正解できるよりも

 

例え最後の段階で計算ミスをしても 途中式 途中段階ができていることの方がよっぽど大事なのです。

 

 

 

算数は 公式を暗記する教科ではなく

 

公式を作り出す 導き出すためのロジックを学ぶ教科なのです。

 

だから 3×2と 2×3は 出てくる数字の答えは同じだけれど

 

意味が全く違うのです。

 

 

 

このさくらんぼ計算だったら

 

9+4というのは

 

9に1を足したら10の塊が一つできて(十の位に繰り上がる)

 

そこに 残った3をたしたら13になるよ

 

 

っていう この言葉で書くとややこしいことを

 

シンプルに数字で表しているのがこの式なんです。

 

 

 

数が小さい 低学年のうちに

 

この 未習事項(まだ学んでいないこと)を既習事項(学んだこと)を使って

 

解決していくという 課題解決の姿勢が身に付かないと

 

高学年になるに従い 数が大きくなったり難しくなったりしたときに もうついて行けない。

 

 

 

そういう理由があるんですね。

 

 

 

でも こういう説明って確かに先生たちからされることって少ない。

 

それは 一つには先生たちの多くもきちんとは知らないことが多いからです。

 

 

だから 保護者から疑問が出たり子どもから疑問が出たりしても 

 

理由が説明できないから 批判の対象になってしまう。

 

 

 

でもね この切り口ひとつから見ても

 

問題点って 実はたくさんあるんですよ。

 

 

たしかに 疑問が出たときに きちんと説明できないのは プロとして困る部分もある。

 

ひとつひとつ説明してくれたらわかるのにという保護者の気持ちもよくわかる。

 

 

 

ただ よく考えたら

 

小学校の一年間の授業って大体35週間。

一週間に 少なくとも25時間の授業があるとする。

 

そうすると 一年間に875時間授業がある。

 

 

小学校の先生なんてとくに 教科担任制ではないので

 

1年間に875種類の授業準備をして 授業をするんです。



そうですねぇ

私は今 勉強会講師もしてますから そこと比べた時に



私は今メインでやってる連続講座の一つが トータル18時間。

すべて知識は学び終えた状態で その18時間を作り上げるのに

 

2か月かかりました。

 

 

持ってる知識を洗い出して 取捨選択して

 

理解しやすいように構成し直して レジュメを作って。

 

 

 

今思うと 教員時代 どうやって授業をやっていたのかもう 分かりませんw

 

 

 

でも それくらい膨大なのです。授業だけで。

 

となると ひとつひとつのことを 細かく説明するのには無理があると思います。

 

聞く方も 嫌でしょう。

 

 

 

また こういうロジックを導き出すような深い思考って

 

ある程度静かに集中しないとできないです。

 

 

ところが 今の子どもって

 

学校の外に 面白くて 興味深くて 刺激てきで 楽しいことがたくさんありすぎる。

 

 

テレビにゲーム パソコン スマホ。

 

 

 

だから その深い思考の繊細さにたどりつく前に 飽きてしまうことが多い。

 

 

その思考の繊細さを出すためには

 

静かに座って 口を閉じて ヒトの話を聞く という「しつけ」から入らなければならない。

 

 

でも そこに時間をかけることになれば 必然的に 学習の本質にかける時間は減るんです。

 

 

 

本来 しつけって 家庭がするものでしょう。

 

そこを学校がになってしまってる部分って 誰も否定できないと思います。

 

 

 

 

じゃあ 保護者や家庭が悪いのか?

 

 

今の親は楽ねって言う言い方をする年配の方もいます。

 

家電も発達して 一家に一台車があって 宅配もあって レンジもあってって。

 

 

でも 保護者だって

 

ずっとゲーム漬け テレビ漬けにしたいわけじゃない。

 

スマホだって GPS機能と親との通話だけできればホントはいい。

 

 

でも 友達がみんな持ってるとか

 

学校で話題が合わないとか

 

友達の輪に入れないとか

 

 

そう聞いたら やむなくってところ あるでしょう。

 

 

安全に遊ばせる場所も少ない。

 

不審者もいる。

 

 

だれだって 安心して安全に子どもたちが暴れまわれるところがあるなら

 

そこで遊ばせたい。

 

 

でも それが叶わないから 仕方なくって。

 

 

分かってるけど どうにもならない。

 

 

今も昔も 子どもへの心配という愛情は 変わらないんですよ。

 

 

だから 悩むし不安になる。

 

 

今の親には 今の親の苦労があるんですよ。

 

今のが楽とかなんて ありえない。

 

と私は思うけどw

 

 

 

 

こういう ちょっと切り込んだだけでも 深い理由がさまざまに入り組んでいる現代において

 

お互いに完璧求めて批判し合ったって仕方ないじゃんって 私思うんです。

 

 

 

それぞれが 自分たちが完璧じゃないことなんて 言われなくたってわかってる。

 

わかりすぎるほどに。

 

 

 

そしたら 相手に完璧を求めるんじゃなくて

 

自分たちができること やっていくことだけが できることだと 思うんですよね。

 

 

 

そういった意味で 

 

さくらんぼ計算とかの様子見たりして

 

???って思ってた人が

 

たまたまこの記事をみかけて

 

ああ、学校って意外と考えてやってんだなぁって 少しでも思ってくれて

 

 

家でフォローできる分は してみたらいいかなって 思ってくれたらいいなと思うだけです。

 

 

 

 

そしてね こういう記事書いたりするとさ

 

 

「あおいさんみたいに 丁寧に説明してくれる先生がいてくれたら」

 

とか

 

「こういう情熱をもった人がいたら」

 

とかって

 

なりやすいんだけど、私それ 望んでないっす。

 

 

 

私は

 

これを読んでるどなたのお子さんのことも 存じ上げません。

 

少しも世話もしてない。

 

何もわからない。

 

 

 

今 皆さんのお子さんと 学校という現場で向き合っているのは

 

それぞれの学校の先生たちです。

 

 

 

私は外部の人間。赤の他人。

 

外部の人間で 一線を退いたから 好き勝手言えるんですよ。

 

 

これ

 

たとえば 担任の先生が同じこと言ったら きっと ムカッと来る人も多いはず。

 

 

「きちんと座っていられないのは 個々の家庭のしつけがなっていないからです」

 

「お子さんにゲームやテレビを家でさせるから 子どもの集中力が持たないんです」

 

 

私がこの記事で これまで言ってることの一部って こういうことですよね。

 

 

 

でも 現場にいたら そうそう簡単に言えないんだよ。

 

親の気持ちが分かるから。

 

子どもの顔が見えるから。

 

 

嫌われたくないとか もめたくないとか そんな上っ面な理由じゃなくて。

 

 

 

親だって精一杯なのがわかるから。

 

子どもだって 今の時代の複雑さの中で精いっぱい生きてるのが分かるから。

 

子どもへの愛情が 不安や心配 学校への批判につながってることがわかるから。

 

 

 

そしたら 批判したって仕方ないじゃん。

 

 

 

ミスへのクレームの連絡があれば 教員もへこみますよ。

 

言いがかりっぽいこと言われたら 腹も立つさ。

 

親ばかもいい加減にしてくれよって 叫びたくなるときあるさ。

 

 

 

でも

 

そこで 対立しても 間にはさまれてしんどいのは 子どもだって 分かってる。

 

 

 

だから 飲み込むんですよ。

 

「プロ」だからと。

 

 

最大限 保護者の不安や心配も受け止めるのが責務だと。

 

 

それが子どものためになると

 

 

 

そう思っている先生のが 間違いなく多いですよ現場は。

 

 

 

 

とはいえ、愚痴を言う場所があるのも大事。

 

先生の愚痴 言ってもいいと思いますよ。

 

お母さんたちは 少しでもストレス解消した方がいい。

 

 

 

でも 願わくば 子どもの前では 言わないでほしい。

 

 

どんなに旦那さんに愚痴っても ママ友に愚痴ってもいいから。

 

 

子どもの前では 言わないでほしい。

 

 

子どもが混乱するから。

 

 

 

本当に 愚痴じゃすまないくらいおかしいと思うことがあるなら

 

まずは 聞いてみたらいいし 質問してみたらいいと思います。

 

 

 

細かいことに注目しすぎて 信じられなくなるのではなく

 

ある程度のことは 先生 学校にお任せしますよっていう

 

信頼関係を お互いにつくれたらいいですね。

 

 

ま、こういう不安が親から生まれるのはなんでなんだろう

っていうところは いい加減長くなったので、また別記事に(笑)

 

 

 

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