『たまごの旅人』(著/近藤史恵)
近藤さんとは海外によく行かれる方なのだろうか。
今作は海外旅行の添乗員の話だし、『スーツケースの半分は』では色んな人の手に渡ったスーツケースが地球のあちこちに旅している。『ときどき旅に出るカフェ』や『ビストロ・パ・マル』は舞台こそ日本だが、登場する料理の数々は海外の事情を繊細に鮮やかに私たちに紹介してくれている。
自分が旅して観て聴いて感じた場所だからこそ、その時の感動を形にして未経験の人に届けたい。
そんな思いを文面の端々から感じる。
だとしたら、今回の主人公・新人の旅行添乗員の遥は近藤さんの現身かもしれない。
自分の意志とは関係なしに放り出される見知らぬ土地、そこで確かな感動を拾い集められる遥はとても逞しい人だ。
ただし本人には逞しさの自覚はないだろう。
海外旅行の添乗員としてお客様を不安にさせないよう、旅程を滞りなく無事に遂行するよう、細心の注意と準備をして怯えながら現場に挑む。
なるほど、世界には新人とバレてはいけない職業もあるのかと膝を打った。
どんな仕事でも新人は居るものだが、やはり海外旅行の添乗員が新人と聞いては不安が増す。
彼女はお客様を不安にさせぬよう、いや、お客様に失望されぬよう必死に新人であることを隠すのだ。
いじましいなぁ、と思う間もなく、添乗する旅行では様々な問題が起こる。
小さなことでは飛行機の搭乗待ちスペースの椅子が圧倒的に少なかったり、付いた途端土砂降りだったり。
体調不良を起こす人、我儘を権利だと押し通そうとする人、否定的な感想ばかり言う人。
偶然出会えた憧れの添乗員の宮城にまで冷たい態度をとられてしまう。
さらには恐れていたロストバゲージまで!
緊張感MAXの遥の神経がよく折れなかったと褒めてあげたいくらいである。
ボロボロになりかけた遥を元気付けてくれたのは旅先の美味しい食事でだったり、海外でしか見れない圧倒的な風景であったり、現地の人のちょっとした気配りだったり。
もちろん一番の薬は添乗したお客様の満足な笑顔だ。
遥の献身的な対応が、旅行者の偏った心を解して新しい扉に踏み出すきっかけを与えている。
関わり過ぎは良くないのだろうが、添乗員として出来る精一杯のおもてなしが見落としていた何かに光を当ててくれる。
もしかしたら遥は人生の添乗員の素質もあるのかもしれない。
先入観と偏見が様々なトラブルの基になっているのだと本書は言外に語っている。
例えば遥は長年の夢だった海外旅行の添乗員になれたが、立場としては派遣社員だ。助けのない海外でお客様に心地よい時間を過ごしていただくため奔走する姿は本物だ。派遣社員などの非正規雇用の人を「ぷらぷらしてる」「情けない」などと論ずるのは如何だろう。
また『●●だから素晴らしいに違いない』と決めつけ、現実がイメージとかけ離れていた時に失望するのは誰が悪いのか。
経験から蓄積された情報は財産であり知識だ。
ただ自分の中にある考えが全てと信じず、新しい情報に触れた時に取り込む柔軟性を常に身に付けておきたいものである。
遥がある旅行者に贈ったアドバイスがある。
ありがとうを言いそびれてしまったら、次の人にありがとうを渡せばいい。
文句ばかり言っていた客が、言えなかったありがとうを次の人に繋げた時に何が起こるのか。
それは本書を読んで確認して頂きたい。
実際問題、海外旅行は手間がかかるし料金や治安など心配が尽きぬが、遥が一番ロマンチックだったと言っていたスロベキアのリャブリャナの街並は直に見てみたいと思った。
(遥も添乗するまではスロベキアという国も知らなかったらしいが)