『世界から猫が消えたなら』(著/川村元気)
続きが借りれなかった『真夜中のパン屋』の仇討の勢いで借りて来た本。
今更感が半端ない気もするが、話題になった本だけに気にはなっていた。
なにせ表紙の猫が可愛い(←おい)
余命僅かな『僕』の前に突然アロハを着た悪魔がやってきて、世界から何か一つを消す代わりに命を一日伸ばしてあげると持ち掛ける。
しかし何を消すかは『僕』は選べない。
かくして、『僕』は今日を生き延びる為に世界から何かを消すことになったのである。
端的に言えばこんな内容だ。
この本の重要登場人物(登場猫物?)は『僕』が飼っている猫のキャベツだ。
先代猫のレタスに似ているからキャベツ。
多くない描写ではあるが、この猫がいかに愛らしいかがよく伝わって来た。
猫の触感を「フーカフーカ」と表している。柔らかさと暖かさと猫特有のグデンとした柔軟性が手の中に伝わるようだ。
この「フーカフーカ」の擬態語に辿り着いただけで、川村元気氏の表現者としての実力を知ることができる。
次に重要なのが取引を持ち掛ける悪魔だ。
命と引き換えにこの世から何かを消せ、なんてまさしく悪魔のささやきである。
(そのくせ、自分が気に入ったチョコを消すことは止めてしまった)
悪魔は「何かを得るためには、何かを失わなければならない」と繰り返し唱える。
この言葉が作品の根底にあるメッセージであろう。
だがこの言葉は作者の伝えたいことの一端しか担ってないように私は感じた。
また巷に溢れる「失くしてそれがいかに大事であったか気が付いた」という話でもないように思う。
失くしたことによる不自由さや喪失感よりも、失くすことによってそれが自分に寄り添っていてくれる存在だったのかを再確認する。その物語を大切に描いてあった。
消してしまったのはその物に注視させるための手段でしかない。
きっとあなたの周りにある取るに足らない物にも、よくよく記憶を掘り返せばあなただけの思い入れや思い出があるはずなのだ。
彼は死を目前にして何をすればよいか迷っていた。
今まで出来なかった派手なことをやろう!というハリウッド映画的なポジティブさとはかけ離れ、自分の内側に耳を澄ませて思い出や後悔、心残りを整理していった。
実際、私も死を前にしたら何もできず、現実逃避だけして過ごしてしまうだろう。
悪魔に契約を持ちかけられたことで、間接的にだが自分の過去を見詰め直すきっかけを貰えた『僕』は幸せだったのかもしれない。
ラストシーンはなんとも言えないシーンとなっている。
この作品は映画化されているが、どのように映像化しているか私は知らない。
ラストシーンがどう表現されているか、とても興味を持った。
最期に、【アロハを着た悪魔】って【プラダを着た悪魔】のオマージュだったのかな、とこの記事を書きながらやっと気が付いた。
作中に映画の話が散りばめられているので強ち間違っていない(^皿^)