別の本を買うつもりで入った古本屋で見付けたこの本。
この本も作者も全く知らないのに、何故だか手が伸びた。
裏書の紹介文には、主人公の女性が突如人生のどん底に陥り、そこから再生していく話とあった。
タイトルに食べ物の単語が入っていたことが、この本への敷居を下げたのかも知れない。
予定の本は後回しにして、この一冊をレジに運んだ。
内容は、確かに裏書の通りだった。
主人公の女性は、彼女に非があるわけでないのにいきなり打ちのめされ、それがきっかけで自分には何もないこと気が付く。
自分と向き合えば向き合うほど、自分のやりたいことが見付からずに茫然とする。
それでも彼女なりに足掻いて少しは光明が見えたか、という辺りでまたも振り出しに戻るということの繰り返し。
(正解にはこの無意味に見える繰り返しの中で少しずつ成長していくのだが)
どうしたいのかどうなりたいのかと悩む姿が、どうにも自分と被ってくるから切ない(苦笑)
実際、私は作中の主人公より空っぽだ。
そんな私は自分の隙間を必死に文字で埋めようとしているのだ。
キーボードをせっせと叩き、真っ白な画面を文字で埋め尽くす。
これが私の存在意義よ、とでも言わんばかりに。
人はこれを『自己満足』と呼ぶ(苦笑)
って私のことはどーでも良い。
この本の裏書には『感動の物語』とあるが、作者はそこまで感動させようと力んでないと思う。
人生こんなもんだ、と淡々と語らっている。
むしろこれは『共感』の物語なのだ。
最後に書き足すと、これはリア充(恋愛に限らず)の人が読んでも物足りないだけの小説になるだろう。
ちょっと自分に行き詰まった人が、同じように右往左往する主人公を見て、そんなにすぐには自分を変えられないものよね、と安心するための本なのだから。
でも自分が口にするものは自分で作らなきゃ、ってくらいのまっとうせいは身に付きますよ(o~-')b
さて、私にとっての『豆』はどこに転がっているんでしょうかね~?
少しずつだけど、確かに視界が開けていく主人公に注目。
宮下奈都 著
『太陽のパスタ、豆のスープ』
