それは現実なのか夢なのか、それともただの記憶なのか・・・・。
洗面台を借りて、顔をすっきりさせて、それから案内されたダイニング。
オーク調のテーブルとセットのイスと、朝食の準備はもう出来ていて、妙に白い光が部屋に満ちていた。
『残念でしたね、兄上・・、サン兄さんの食事当番の時なら、もっと美味しい物が食べれたのに』
軽口で皿を運んでいたユエは赤いエプロンをしてて、でも顔が光で霞んではっきり見えない。
ちょっと含みを持たせて笑っているのは分かるのに。
それでも何かを見つけようと必死になれば、彼の身長が僕と大して変わらず、そして水泳肩ではあるがかなり華奢であることに気が付いた。
違う、野久保さんじゃない。
いくら顔が見えなくても、こんなに体格が違うのならはっきりと断言できる。
『お料理、上手なんですか?』
僕が意外そうに聞くとサンは少し眉を上げて、いつもの上からな態度を滲ませながら答えた。
『簡単に施設の外へは出れなかったからな。自分で作らなくては、同じようなメニューしか食べられん』
ザァという、彼が焼きたてのトーストにバターを滑らせた掠れたような音が耳に残る。
見えてないのに彼らがどんな表情をとったか分かるのは、一度僕がそれを『直で見ている』からだ。
あの日、テラに捕らわれた翌日、ユエに起こされ彼らと一緒に普通の朝食を採った。
あまりに普通すぎて、彼らが出してくれた料理に何の疑いも持たずに口に入れてしまったのは、後から考えたらマズイ行為だったかもしれない。
そんな警戒を忘れてしまうほど、ありふれた風景だったのだ。
『テラは・・・』
『心配して下さるんですか?そんなのことを聞いたら無駄に喜びますよ』
『気にするな、あいつの寝坊助はいつものことだ。予定が崩れる前にたたき起こすさ』
淡々と進む会話。
本当に彼らが敵なのか、それさえも分からなくなりそうな穏やかな時間が流れる。
『あまり、似てないんですね』
無意識くらい自然に零れた言葉を拾った時、彼らは初めて戸惑いの色を見せた。
一番触れてほしくない核心に、無神経に触れられたときのように・・・。
『似てなくて当たり前だ。ユエは俺たちと血は繋がっていない。テラと俺だって、同腹だが父親が別だ。
あいつの父方はロシアだかドイツだかの出身だそうだ。だからアイツも日本人離れした顔をしているだろう』
聞かれたくないことだから、捻くり回される前に全部吐露した。
そんな押し殺した感情と投げ遣りさが混じった、突き放した言い方だった。
『どうりで、不思議な瞳の色をしていると・・・』
思い出そうとしても、その独特な虹彩の神秘な色合いが頭に記憶に蘇ってこない。
まるで人形が持つガラスの瞳のようだと、あんなに覗き込んでいたのに。
『僕はね、ひろみさん』
ユエが話し出すと、サンはさらに不機嫌を露わにした表情を浮かべた。
余計なことを話すなと、言外にユエに忠告しているような険しい顔だった。
・・・、実際の画は全く思い出せないのに、そのように感じた感情の記憶だけが残っている。
『ご存じのとおり、生まれながらに超越した力を持っていましてね。
力がうまくコントロールできない子供のころに、勢い付いて両親を殺めてしまったんですよ』
彼の告白はあまりに淡泊な口調で告げられた。
そうでもしなくては、過ぎたことと割り切らなくては、捕らわれて動けなくなると分かっているからこその態度だったのだろう。
『孤児になった僕は施設に送られ、そこで兄さんたちに出会いました。
それからはずっと一緒なんですよ、本物の兄弟のようにね』
仄かに微笑んでいた。そんな彼の瞳は僕を見ているようで、過去の自分に向き合っていた。
切り離したくても切り離せない、今の自分はもう手出しが出来ない過去の自分と。
『なるほどね、三人の馴れ初めは分かりました。
でも、人を殺めたというのなら、それが直接手を下し方どうかの差はあったとしても、僕だって・・・』
全身にじっとりとした汗を感じながら、大海は重たい眠りから目を覚ました。
まだ部屋の中は暗い。夜も深い時間なのだろう。
頭が打ち付かれるように痛むのは、消されていた記憶が無理に顔を覗かしたからだろうか。
今の今まで、あの場で朝食を一緒に採ったことも、彼らの出生について語ったこともすっかり忘れていた。
睡眠状態の間に、沈めたはずの記憶の断面が意識の表層まで登ってきたのか。
それでも個々の顔まで思い出せないのだから、そこらへんは徹底しているようだ。
治まりそうにない頭痛を少しでも抑えようと、大海は水分を求めて身体を起こした。
「お目覚めですか、ひろみさん」
闇から響いた声に、大海は悪寒以上の寒気が背筋を走って行くのを感じた。
部屋の影に紛れそうになっているが、どこから侵入したのかユエがこちらをじっと見ている。
あまりの出来事に大海は声を揚げることすら忘れて、ただ茫然と彼の凝視することしか出来なかった。
「驚かせてすみません、今、ひろみさんがご覧になっている僕は実体ではないんです。
先日をお話の続きをしたくて、精神だけをこちらに飛ばしてきました」
目元をいつものゴーグルで隠しているが、露わになった口元は緩やかに笑みを浮かべていた。
そんな顔で、とんでもないことを言ってくれたけど。
「精神だけを飛ばしたって、君はどこまでのことが可能なんだよ?」
「前はこんな芸当はできませんでしたよ。コレのおかげです」
そう言って晒したのは雄輔から奪った例のパネルだった。
そこから特別な力でも得ているとでも言うのだろうか?
「ちょっとした昔話なんです。これもボクらに関わった運命だと思って付き合って下さいね」
この状況下で大海に否定権があるとは思えない。
観念した大海は、未だに警戒を含んだ視線で彼に言葉の続きを促した。
その意図をくみ取ったユエは、もう一度にっこりと笑って話を始める。
「僕が幼いころに両親を殺めたところまでは、以前にお話ししてますよね。
その当時、両親は特殊な力を持つ僕の対応に困ってまして、どう処分するかと考えあぐねいていたんですよ。
だから僕は幼いなりに自分の身を守ろうとして、その結果の暴走で二人を殺してしまった。
正当防衛と言っても良いかと思います、でも」
ふぅ、と一息大きく吐き出したのが分かった。
気持ちを立て直している、そんなときの動作だと気が付かない大海ではない。
「やはり、自分で自分の親を殺したというのは、辛いものです。
いっそ自分もって、成長するにつれて思う事が多くなりました。
きっと施設で兄さんたちに出会ってなかったら、本当にそうしていたでしょうね」
それまで常に大海に向けられていた視線が、僅か彷徨って視線が合わなくなった。
彼は大海のほうを向いたままだったが、肝心の視点がぶれてしまったのだと感じたのだった。
「彼らが、サンとテラが支えてくれたってこと、かな・・?」
「そうですね、そういった側面も多くありましたけど、一番はテラにいさんが、僕の存在が必要だからって。
サン兄さんとテラ兄さんの母親は僕と同じような力を持っていて、二人もその能力を継いでないか期待されてたんです。
でも、テラ兄さんはそんな素質が全く現れなくて、でも、僕の力を無力化させることだけは出来た。
暴走しかけた僕を唯一止めれるのは、テラ兄さんだけだったんです。
兄さんは、それが自分が存在するたった一つの意味だから、お前が居なくなったら俺の存在意義も無くなるから、だから勝手に消えるなって・・・」
震えるままに消えた声に被さるように、そのときの情景が大海の脳裏に鮮明に浮かび上がった。
まだ幼さの残るテラが、憤りに瞳を震わせてユエを睨みつけている。
彼に捕まれている腕の痛みが分かる、そして、テラの頬に涙の痕が残っていることも。
恐らく、ユエの記憶に残る過去が、感情の昂りに合わせて大海にも流れ込んできてしまったのだろう。
そこに至るまでに何が起こったのかまでは知り得ることが出来なかったが、テラの怒りはユエを思うが故に溢れ出たものだということは、察し得ることができた。
それにしても・・・。
「サンやテラも能力を期待されていたって、君らが居た施設ってのは、一体何をしてるところだったんだ?」
施設と聞いたときは、児童施設程度にしか受け止めていなかった。
しかしここまでの話から推理すると、そんな単純な場所とは思えない。
彼らが、『カオス』が誕生した起源はその施設に関係していると考えるのが自然だ。
「そのことをお話したかったんです。ちゃんと覚悟して聞いていて下さいね」
儚くも静かに、ユエは微笑んだ。
「・・・っ。そんなことがあるなんて・・・!」
ユエの告白を黙って聞いていた、いや、あまりのことに口が挟めなかった大海は、最後になってやっとの思いでそれだけを声に出して落とした。
信じ難い内容だが、彼の話したことが真実なら全ての辻褄が合う。
彼らがどうして戦うに匹敵する『力』を得たか、何故羞恥心に執着したか。
そして、この国の正義と悪の定義を一度壊そうとしたことも・・・。
「それが事実というなら、僕らが戦っている場合じゃない!
今からでもつるのさんたちに話して、事態の掌握に尽力することが・・・!」
「ひろみさん」
憤りに声が大きくなった大海を諌めるように、ユエが穏やかに彼の名を呼んだ。
ほんのりと笑ってさえ見えるユエは、何を狙いとしてここに来たのだろう。
大海に真実を伝えるため?だとしたら、直接、剛士や雄輔に告げたほうが早いはずなのに。
「ごめんなさい、これも忘れて下さいね」
はっと大海が顔を上げたのと、ユエが質量のない指で大海の額を抑えたのとはほぼ同時だった。
「なにを・・・」
浮遊感に捕らわれたまま、大海は意識を失ってベッドに倒れ込んだ。
起きたときには、もう今の会話の内容は忘れている。
そうなるように施したのだから。
「僕らは今更、誰かに頼るなんてやり方を取るつもりはないんです。
ただ、万一、僕達があなた方に滅ぼされたとき、僕らがどうしてこんなことをしていたか、その理由を残しておきたかった」
そして、こんな過去を背負っているからと、彼らに手加減されるのもまっぴら御免だと、そう割り切っていたから。
「僕等があなたたちによって滅んだ時、今晩の記憶が蘇ります。
僕等の過去をそれまで預かっていて下さいね」
むろん、自分たちが勝ち残れば、これは無意味な行為になる。
そのつもりであるし、ここまで来たら大海にだって手加減はしないつもりだ。
その上で保険をかけたのは、どうしても自分らの境遇が許せなかったから、万一でも泣き寝入りで終わるようなことはしたくなかった。
大海の寝顔を確認して、ユエはその場から姿を消した。
表面上は一欠けらの痕跡も残さないで。
続く