時間は雪が積もるようにゆっくりと、だけど確実に過ぎて行く。
年末年始だけミキさんも子供達を連れてこのペンションに戻ってきて、久し振りに子供達と会えて感激至極な剛にぃと、ちっこい子供達に大興奮の雄ちゃんとで、いつにも増して騒々しい年越しとなった。
だけどお正月も終ると、ミキさんはもう一度子供達を連れて実家に戻ってしまった。
危なっかしく足元に纏わり着いてきた子供達がいなくなってしまうと、それはそれでとても寂しくて。
そして、ミキさんと子供達が本格的にこっちに戻ってくるときには、雄ちゃんもバイト期間を終えて地元に帰ってしまうのだと思うとそれも切なかった。
まいちゃんやスーちゃんも、冬休みが終ったら東京に戻ってしまう。
ユキちゃんも春になったら都心の専門学校に進学する予定だ。
みんな、動いていく。
自分の居場所を探して、次のところへ旅立っていく。
ボクは、いったい何時までこの穏やかな田舎町にしがみ付いているんだろう。
「まー、ここに居座るってのも、ひとつの手かも知んないけどな」
お客の引きが早かったその夜、ボクと雄ちゃんはこっそりと部屋飲みをしていた。
と言っても雄ちゃんが缶ビールを煽る横で、ボクは甘酒をチビチビと口にしてただけだったけど。
ほろ酔い加減で目が少し蕩けてきた雄ちゃんは、ボクの嘆きにそんな言葉を返してきた。
「この前と言ってる事が違うじゃん」
「あれは、こっから出て行くのが怖いんだったら、俺が一緒に行ってやるって話。
自分の居場所って話なら、ここに居続けるのも良いんじゃないかって言ってんの」
どうゆうことだろうってボクが考え出すと、眉間のあたりをつんって人差し指で突っつかれた。
剛にぃも言うんだけど、ボクは考え事とかに集中すると顔のパーツが中心に集まって怖い顔になるらしい。
また怖い顔になってんぞっていう指摘なんだろう。
「まいとかスザンヌとかさ、こっちに帰って来たら必ずここに顔出すんだろ?
ここに来ればお前やつーのさんが必ず居るって知ってるから、安心して帰ってくんだよ。
優樹菜だってもうすぐココを出て行く。けどさ、変わらずに待っていてくれる人がいるって思えば、
向こうに行っても踏ん張って頑張れんじゃないねーかな?
そうゆう、『安心して帰ってこれる場所』になってやんのも良いと思うよ、オレは」
未知の世界を開拓するより、そーゆーのの方がお前には似合ってるだろ。
そう言って雄ちゃんは、ボクの頭を乱暴に撫でてくれた。
誰かの『変わらない場所』になることも、一つの生き方だと思う。
だけどボクは、大切な人を安心させてあげられるだけの強さも自信も手に入れてなかった。
「ボクさ、こう見えても学生の頃は地元で有名な野球少年だったんだよ」
突然方向転換された話を始めたので、戸惑った雄ちゃんが前のめりにつんのめった。
手に持つ缶の中で残りが少なくなったビールの跳ねる音が聞こえる。
ボクの部屋なんだから、零したりしないでね。
「中学の頃は大きな大会にも出たし、高校も野球推薦で入ったくらいだったからね。
周りからも期待されてて、野久保さんちの直くんはプロになるって言われてた。
本当にスカウトの人が見に来てくれたりもしたんだよ」
雄ちゃんは感心したように、うんうんって頷いて話を聞いてくれてた。
こっから先を話すのは、思い出すのは少し嫌なんだけど、伝えるのは今しかないって、
ボクは僕自身に覚悟を決めて全てを打ち明けることにした。
「でもね、そんなに世の中は甘いもんじゃなかった。
井の中の蛙って言うの?ちょっと広い世界に出たら、ボクなんか足元にも及ばない人が沢山いて、
ああ、この世界で勝ち抜くのは無理だなって、ボクは自分の実力を思い知らされたんだ」
本当は、大学だって野球推薦で行けそうだった。
でもそこに行ったって、ボクが必要とされることは無さそうだってすぐに分かった。
「だからボクは、ボクにしか出来ない事を見つけたくて東京に出たんだ。
親は反対したけど、どうにか説き伏せて、新しい自分に出会いたくて東京に出たんだ」
いつもは煩いくらいに話しかけてくる雄ちゃんが、口を真一文字に結んでボクの話を聞いてくれてる。
黙って真剣に、ボクのことを聞いてくれてる。
だから、最後までちゃんと話さなくちゃ。
「ボクのことを必要としてくれる場所があるんじゃないかって、ボクだから出来ることがあるんじゃないかって、そんな期待と希望を持って東京に出て来たの。
無鉄砲でしょう?
何年も打ち込んできた野球だってまともに通用しなかったのに、いきなり何かが出来るようになるわけないじゃない?
何をやっても中途半端で人に迷惑ばっかり掛けて、ドンドン自分がどうしたいのかも分からなくなっちゃって・・・」
後悔、ばかりの毎日だった。
どうしてこんなところに出てきたのか、拾ってくれる大学があったんだから、ボクがいる意味なんか無くてもそこに収まっておけば良かったんじゃないか。
考え出したら、何処までも何処もでも遡って、自分の選択してきたものを否定していた。
「そんな頃に、兄さんが結婚するから一度帰って来いって実家に呼び戻されたの。
兄さんは、ボクが野球ばっかりしてたときもちゃんと勉強して、自分の力で大学に入って、
キチンと仕事にも就いて、それで、自分だけの責任で奥さんをもらったんだ。
ボクがふらふらと彷徨っている間に、ちゃんと自分の足で自分の道を歩いてた」
真っ白なタキシードを気恥ずかしそうに着ていた兄を、まともに見る事が出来なかった。
気が付けば何も持ってない自分と違って、兄はちゃんと現実に生きている。
自分が情けなくて惨めで、どうにも出来なくなっていた。
「子供の頃はあんなにチヤホヤされて期待されたのに、ボクの中身は空っぽだった。
みんなきっと呆れている、肩透かしを喰らったって。
そう思っちゃったら人の目が怖くて、みんなからバカにされてるような気がして仕方なかった。
自分の部屋に逃げ込んで、ずっと隠れていた。
親とだって顔を合わすのが嫌で、トイレに行くのも親が居ないときとか寝たときとかに行ってたんだ」
怖かった。
人から白い目で見られるのが、怖かった。
何も出来ないって自分でも分かっている事を、他人からさらに指摘されるのが怖かった。
だから、誰の目にもさらされないように、自分の存在を消すように隠れて引きこもったんだ。
「何の役にも立たないんなら、このまま小さな部屋に篭っていたって誰も困らない。
必要ないなら、もう誰もボクに触らないでって、本気で思ってた・・・」
そんなことをしても何も解決しないって分かっていたけど、ボクには抗うだけの力が残っていなかった。
このまま誰にも知られずに死んでしまうのが一番良いんじゃないかって、そんなことまで考えていたんだ。
「のく」
いつもと違う、低く落ち着いた声で呼ばれた。
顔を上げたら、きゅうって、だけどそっとそっと抱き締められた。
壊れたりしないように気を付けながら、でも全ての物から守るように。
「お前はお前だ。他の誰もお前の代わりにはなれない。
何が出来るとか何を持ってるとかそんなん関係ない。
この世界にオレの大好きな『野久保直樹』はお前一人しかいないんだ。
だから、胸張って生きていけ」
うん、って頷いたら涙が零れた。
今でも本当はたまに怖いんだ。
目の前の人は笑顔でいてくれるけど、本当はボクのことを鬱陶しいって思ってるんじゃないか、
ボクのことを面倒だとか、あまり付き合いたくないって思ってるんじゃないかって。
誰かに会うたびに、そんな不安が頭を過ぎる。
だけど、雄ちゃんの笑顔は信用できた。
本当に心から笑ってくれてるんだって、偽りなんて欠片もない笑顔だって信用できた。
ボクも愛想笑いなんかじゃなくて、心の底から笑って良いんだって、そう思えた。
剛にぃが沢山の知り合いの中から雄ちゃんを選んで呼んだのは、ボクの為だったんだろうか。
こんなふうに笑える人だから、ボクと引き会わせたかったんじゃないのだろうか。
「あったかい・・・」
ボクが呟くと、雄ちゃんはよしよしって背中を摩ってくれた。
まだ守られてばかりのボクだけど、いつかきっとみんなを守ってみせる。
そんなふうに、自分から強くなろうと思えた、最初の夜だった。
続く。