以前、摂食障害のオンラインイベントに初めて参加させていただきました。

 

一人一人違う人生のなかでどう自分の症状と向き合っているのか。そして病気に対しての考え方を知ることができ、私自身の視野が意気に広がりました。

発表者の方々の中に過食嘔吐・クレプトマニアについてお話をしていた方がいらっしゃいましたが、私はそれらの症状について名前やツイートの中での情報でしか知識が無く、具体的なことについては理解しきれていなかったので、情報や価値観を共有させていただけて本当に貴重な時間になりました。

 

 

 

そしてこのイベントを通して気づいたことが3つあります。

1つ目は、辛さや経験談・病気の見つめ方をそれぞれの視点で語り合うことは、とても大事な時間であることです。なぜなら、主観ばかりで狭まりがちな視野が外部からの刺激によって一気に広がるからです。自分が思いつかなかった考え方を吸収できたり、ぐちゃぐちゃになって分からなくなっていても共感することによって気持ちを整理できたりする。だから自分の中に余裕が生まれて自己分析がしやすくなるのだと思います。

 

そして何よりも、当事者が発信・シェアをして自分にとっても周りにとっても、

一人じゃないという実感や、周りに理解者がいるという安心感を得られるという事が、この病気と闘ううえで強い支えになるのだと思います。

 

私も辛くてどうしようもないときはSNSで同じ摂食障害の方と苦しさを共有したり、お互いの心の叫びを受け止め合ったりしていました。

しかし、SNS上では主張を深いところまでじっくり聞くことはあまりできません。一方、このオンラインイベントはどの地域からでも参加ができて、発表者の方々の生の言葉が聞けるうえに、多くの人のコメントからも発見や共感ができる点がとても良かったです

また、オンライン上ならではの「顔が見えない」利点は、当事者やそうでない人がお互いの目を気にすることなく参加できることではないかとも思います。

外出の手間がかからない分手軽に参加できるので、発信の仕方によっては“摂食障害とかよく考えたことがなかった”という人までにも届けることができるのではないでしょうか。

シェアの場としても、理解を広める場としても、このような機会は多くあって欲しいです。

 

 

 

2つ目は、異なる症状でも共感することも多く、そして摂食障害について知りたい・知ってもらいたいという方が沢山いらっしゃるという事です。

今回のようなイベントのなかでは、企画・運営してくださった方々・自身の経験を発信している方だけでなく、当事者をサポートする立場の方の声や摂食障害と向き合う中で得られた気づきや経験を将来のために役立てたいという方の声もありました。

そして私も、自身の経験を将来のために活かそうと考えている中の一人です。具体的には、管理栄養士になって食の正しい知識を認知してもらえるようにしたり、食事で苦しむ人たちをできるだけ(摂食障害に限らず)「食が楽しめる生活」に近づけられるようなサポートをしたりしようと考え、大学で勉強中です。

理解したい・経験を発信したい・経験を役立てたいという思いを持つ方がこんなにも多くいらっしゃるのだということがわかり、勇気をもらいました。

これも、“ひとりではない“ことが力になった瞬間でした。

 

 

 

3つ目は、当事者側の伝えたい気持ちが大きくても、伝わっているかどうかはどこで判断できるのかわからない、ということです。

あの空間が当事者同士のシェアの場としてだけとして存在したのであれば、それで良いのだと思います。しかし最終的な目標としては、当事者の家族や友人、もっといえば医療従事者や摂食障害の理解が深くない人、そしてこれから摂食障害になりうる人へ摂食障害という病気を認知してもらいたい、というところにあるのではないでしょうか。少なくとも私はそこを目指したいと思っています。

もし、世界中の多くの人が摂食障害へ関心を持ってもらえたとして、その人たちに憶測の医療知識ではなく私たち当事者だからこそ分かる正しい事実を伝えられたのなら、今苦しんでいる人はもっと生きやすくなると思うし、これから患者数が増えるリスクも低くなると思いませんか?

 

 

現状としては、今回のような摂食障害に関心を持ってくださる先生方や、当事者側の最前線で主張してくださっている方々のおかげで、私たち当事者が声を上げられるチャンスは少しずつ増えてきていると感じられます。また、2つ目に書いたように、当事者の多くの方々が周囲の人に摂食障害というものを理解してもらいたいという思いがあります。

 

しかし「伝わった・理解された」という基準は、何になるのでしょうか?

それはとても曖昧で難しいです。でも、曖昧だからこそ、なあなあで終わらせてはいけない気がするのです。もっと踏み込んだ行動をしたいと思うのです。

 

事実、イベントを開催したりSNSで発信したりする人がいるのにも関わらず、“当事者の話を聞くのは貴重だ”という感想を多く見かけたり、医療従事者や家族・コミュニティの中ですれ違っているという声が絶えません。

しかし私は、少なくとも医療従事者と周囲の家族には、「伝わった」状態にすることは可能だと考えます。

その瞬間はいつかというと、当事者と周囲のサポートする人々が話し合ったとき、違和感を感じないと時だと思います。

違和感、というのは

「そういうことじゃないのに…」「こうしてほしかったのに…」「やっぱりわかってくれない」と思う瞬間です。

もっと具体的に言うと、「摂食障害に見えないよ」「〇〇kgまで増やしましょう」「私の愛情が足りなかったからなの?」「私もいっぱい食べちゃうから大丈夫だよ」などなど。

気遣ってくれることや摂食障害についての記事を見てくれたのはわかりますが、これらの言葉を聞いて、違うのになあ…と思うことが多くありました。

本当に「理解してもらえた」のならば、このようなモヤモヤは発生する可能性は低いはずです。

 

また、栄養学を学ぶにあたり、私はもっと早くこのような正しい知識を知りたかった、と思いました。しかしオンラインイベントの中でコメントに「管理栄養士は摂食障害患者に対して栄養の知識を細かく言ってはいけないと習った」と書き込んであるのを目にしました。

その情報が確かなのかはわかりませんが、もしそうであるのならば、私はそのような治療方針をとっている理由をしっかり聞きたいと思いました。なぜなら、当事者からの目線で見ると、もっと早い段階で栄養の知識を教わっていれば食事に対する固定概念を崩していくのはもっと容易だったんじゃないかなあ…と感じたからです。

 

発表者の方のお話中にも、憶測の研究結果に対してモヤモヤを抱いているという方がいらっしゃいました。それを聞いて、これから学校で学ぶ中で違和感に気づいたとしても、「そういうものだ」と声を上げずに終わってしまうかもしれなくて、

そのまま管理栄養士になっても結局経験を活かすことなく何も変わらなかった、なんてこともあり得ると思いました。それでは私の経験は活かしたことになりません。

 

 

ここで必要になってくるのは、医療従事者と当事者の考えの差を埋めることです。しかし、今はこちら側の思いを一方的に主張し、それを聞いて一部の方が受け止めてくれる、という状態です。それももちろん重要ですが、受け止めるだけでは根本的な問題解決にはなりません。

 

活かしたい・同じ石に躓かせたくないという気持ちはあるのに、具体的にどこで医療従事者とすれ違っているのか、何を変えればよいのかがわかりません。そのため、直接かかわる医療従事者とこれからサポートする側に回りたいと思う当事者がディスカッションなどで真っ向からすり合わせ、私たちはこれからどこを変えなければならないのか、どこを変えてほしいとアプローチすべきなのかを明確にするべきだと思います。

そして医療従事者の意識や方針が変われば、その医療従事者から説明を受ける家族も変わる可能性も高くなる気がします。

このままでは現状は殆ど変わらず、摂食障害にかかる人々は増え続け、すれ違いが拍車をかける。対して私たちは当事者だからこそ得られた事実がある。経験したから気づくことや摂食障害の痛みを知っている。支える側に回りたいという意思があるのであれば、その経験を活かせなければもったいないと思います。

だから、摂食障害治療に関わる医療従事者の摂食障害の捉え方や現在の治療方針を私達が知ることができる機会を作っていただけたら良いのになあ、と考えました。

 

 

今ある概念を変化させることは容易ではありません。

メディアが太っていることを笑い、痩せていることをほめたたえるうちは、どんなに頑張っても都合の悪いものとして蓋をされてしまいます。

でも裏を返せば、メディアが変われば世間は大きく変わるという事になりませんか?

膨大な話になっているように聞こえるかもしれませんが、摂食障害は世界中規模の社会問題です。そう考えると、誰かがいつか変えなければいけないこの問題であることはわかるはずです。

一人では声を上げても効力は薄いですが、一緒に経験した事実を持った仲間で医療従事者との差を埋め、根本的な部分からアプローチをかけることが必要だと考えます。

そしてそれを他人事だと思われないようにしていくためにはメディアの力も必要になってきます。

 

 

情報社会になったことで人の最も輝く一面がよく見える現代。その時代だからこそ起こってしまったともいえる摂食障害は、個々の力だけではどうしようもない状態になってしまっている。摂食障害の苦しさを理解してもらいたい・経験したうえで同じ石に躓かせたくないという将来の医療に希望を持った心を確実に活かすためには、もっと大きく事を動かすためのアクションプランを立てなければならないのではないでしょうか。

 

 

 

発信し始めたばかりで、私の経緯もどんな人物かも知られていない今、

これから堂々と声をあげて、一緒に変えていく仲間を集める必要があると強く思いました。