2020年の拙ブログ。↓

映画の大スター・鶴田浩二さんは、昭和48年の東映映画『あゝ決戦航空隊』で、主役の特攻隊の司令長官・大西瀧治郎を存在感十分に演じました。

(※鶴田浩二さん(1924-1987)は、現在、女優・歌手として活躍されている鶴田さやかさんの父)

その原作である『特攻の思想・大西瀧治郎伝』(草柳大蔵・著)を二年前にブログで紹介したことがありますが、2020年発刊の文庫版には、鶴田さんの筆による「大西中将と私」という短文があとがきとして添えられています。

そこから一部を引用します。↓


「・・数年前、私はある大学で講演をしたことがある。そのとき、もし戦いが起ったらどうするか、学生に聞いてみた。すると、九割以上の学生が山の中に逃げるという。しかし、戦いが始まれば、その山も川もなくなるんだと問い詰めると、外国(たとえばアメリカ)に逃げるという。だが、アメリカが、自分の血を流してまで日本を侵略から救おうとするだろうか。学生諸君は、問題を現実的に考えようとしていないのではないか。私は、この時、戦後三十年経って、大西中将の志が伝わりにくくなった日本を感じざるを得なかった。

日本の青年たちが、国家のことを考えようとしなくなったのは、アメリカの占領政策とそれに続く教育の在り方に問題があるのかも知れない。その原因については様々な議論があるのだろうが、戦後の日本には大西中将が最も大切にしていた「民族の誇り」が失われたことは事実であろう。現在の日本を見たら、大西中将は諦めて言葉もないにちがいない、と想像できる。もっとも、仮りに日本が太平洋戦争に勝っても、その時点で、割腹されたに違いないと、私は確信している。

自分の国は自分で守れ、と理屈を言うつもりは全くない。だが、自分の国が可愛くないのか、可愛ければどうするんだ、という問いかけはいつも私の胸にある。これは、右翼とか左翼といった次元とは別のことである。あえていえばド真ん中の思想、といっていい。

特攻のようなことは二度と繰り返されてはならないし、国と国との揉めごとは外交によって解決されなければならないことはいうまでもない。

ただ、そのことと大西中将が抱懐していた思想を正しく後世に伝えたいということとは、別の次元の話である。特攻が良いか、悪いかを論ずるのではなく、国の危難を救うために私たちはそれに足る精神を持ちあわせているのか、を論じたいのである。いや、もっと単純に、国を救うことが悪いことでありえようか、そんな質問を発し続けることが必要な社会なのである。」


戦中派の人間としての強い矜持が窺え、かつ国の存亡にかかわる要点を押えた率直な意見だと感じます。俳優というのは人気商売だから、一般にスター級の人物が政治色の強い意見を述べることは稀です。同じ東映にいた高倉健さんなどは殊に実像がベールに包まれており、個人的にどういう思想を持った人かは今もって殆ど分からない。利口と言えば利口なスター街道かも知れないですが、私は、自分の信ずるところを世評を恐れず表明する鶴田さんに男の理想像を感じ、その主たる役どころであった侠客やガードマンの姿と二重映しにして、深く敬意を抱いてきたものです。


鶴田さんが学生相手に講演をしたというのは1970年代の話と思われますが、残念ながら、現代日本は、なおも氏が発したような根本的な問いかけを続けなくてはならない状況にある、と言えそうです。

戦後三、四十年の頃に比べれば、海の外側の情勢が変わり、一般市民の国防に対する意識は遥かに高くなったと思います。しかし日本がいまだ平和憲法を持つ国であることに変わりはなく、このあとがきと同じ事をどこかの席上、壇上で訴えたとしたら、たちまち右派扱いを受けてしまう恐れはあります。

恥ずかしながら、私自身も昔は、護憲を唱える人は改憲論者よりも国民の生命財産を大切に考えていて、歴史上の惨禍を虚心に受け止めている人たちだと思っていました。あの憲法には9条、前文を含め理想家を陶酔させるに十分な、美しい文言が並ぶ。諸外国の善意を信じる限り、又、その友好関係が維持される限りにおいては、理念として普遍性があるとは思います。

しかし、国全体の機能を縛る法律でそのような理想を謳われてしまっては、有事に際し迅速、的確な措置が取れなくなる。憲法違反をしなければ安全が保てないという、非常に歪んだ、滑稽な状況が半世紀以上も続いているわけです。もちろんこの事は、平時の諸外国との交渉事においても様々な不利益な結果を招きます。

鶴田浩二の問いに答えた学生と同じく、時至ればいかに身を処するかについて、護憲派の政治家・文化人の口から、いまだ真っ正面を向いた答えは聞いたことがありません。最悪の事態を招かないように歴史をよく学び、平和の尊さをしっかり噛みしめて行かねばならない、という抽象的言辞で逃げるばかりで、あたかも、非常時を想定すること自体が既に好戦思想であるような物言いをする。「改憲すなわち戦争への道」などと言い出されては、もはや大人レベルでの対話、協調を図ることができません。


文化人が夢みたいな浮薄な事を考え、ことごとく国に対峙する形で自分らしさを主張していられるのは、結局のところ、自身が責任の降りかからない外野の位置に居るからでしょう。自分が総理大臣か閣僚にでもなれば、否応なしに国全体の安全、安泰を視野に入れて物を考えざるを得なくなります。

私とて、そんな国家的な重責を負う任務とは縁のないところで生を送ってきた人間ですが、たとえば西洋の音楽文化を貴いものに感ずると同じくらい、日本の山河も各地の人情風俗も大切に思う。好む好まざるでなしに、自分にとっては人間形成、経済活動、いやそれ以前に生命体の基となる土壌です。国土風土を愛するということは、人間自分一人の力で生きているわけではないという強い自覚や自省と、一対になる感情ではないだろうかと私は思います。


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平和についての、安岡正篤先生の良い言葉があったので、併せ引用させて頂きます。

「日本くらい平和、平和と言うて大事な問題を抹殺する風俗はほかにない。平和は誰でも口にするが、それをどう達成するか。こういう実際問題になると、これくらい穢国濁世(エコクジョクセ)、あるいは穢国悪世というような時代に、平和は空念仏になりやすい。単なる概念、あるいは標語みたいなものになって、実際のものにならない。平和というものを実際のものにしようと思ったら、非常な抑制機能、すなわち非常な道徳的精神が必要である。」

(『安岡正篤 活学一日一言』p.102)