日曜日の朝9時からJ-WAVEのアクロスザスカイを毎週聴いてるのですが、ゲストに山極壽一さんが出てらして、ゴリラの面白いお話をなさってました。

車を運転しながら(・_・D フムフムと聴いていたので、あとで、もう一度聞き直してノートにとってブログあげようと思っていたのに、昨日途中まで聞いてたらイヤフォンの電池切れで聞けなくなり、今日病院へ行く時聞こうと思ったら

なんと時間切れで聴けず💦

残念ですが、私の覚えてる範囲での投稿となります‥ショボーン

まず、ゴリラは人を受け入れるということに衝撃!

人間はゴリラを受け入れない、危険な動物として認識してるし、人間は基本人間以外を認めていないと。

家畜やベットのような存在になれば共存すると


たしかに。今も連日話題になってる熊とか、怖いですし。

ゴリラも共存‥難しいかも

と思います。

でも、山極先生曰く、ゴリラとはコミュニケーションとれるのだとか

向き合う姿勢で、コミュニケーションを取れるとおっしゃってました。

逆に今の人間同志はあまり向き合わないかもしれないですね。

言葉や文章で伝えられる分、相手の顔や態度で察するとか

少なくなってるのかもしれません。


ゴリラと人間の大きな違いはまず、子育て。

人間は基本父親も母親も同時期に存在して子育てしていきますが、ゴリラはバトンタッチ制みたいで、まず母親が育て、父親にバトンタッチするのだとか。

その時、しっかりとしたオスでなければ任せられないので、しっかりしてないオスの場合相手にしてもらえなくなるとか。

また、自分の家族以外とのコミュニティを持たないとか。

そこが人間とゴリラの大きな違いだとおっしゃってました。

一番面白かったのが題名にもかいた

猿とゴリラと人間の違い

喧嘩の仕方についてのお話しでした。


猿は必ず勝ち負けの決着をつけるそう。

で、周りはどちらが勝ちそうか見極めて、勝ちそうな方に加勢するのだとか。

なぜか

はやく決着が着くから。

で、勝ち負けが決まると、勝った方の猿が負けた方の猿をいたわるというか

慰める?みたいなことをおっしゃってました。

で、ゴリラの場合

勝ち負けをつけないのだそう。

必ず喧嘩が始まると

第三者的なゴリラが仲裁にはいって

引き分けにするのだとか。

そのことにより、第三者のゴリラの顔もたて、お互い違うけれども、共存するという方法をとるのだとか。

で、山極先生がいうには

本来人間もゴリラのように共存しあうべきなんじゃないかと

お互いにちがうけど、まーまーと第三者に入ってもらうことで、共存の道をえらぶべきではないかと

今の人間達は猿に戻っていると。

たしかに。

宗教もちがければ言葉も文化も違う、もしくは元は同じだった兄弟達が戦争という喧嘩をしている。

そこに

第三者的な国が入って仲裁をすればいいのに、いろんな国がそれぞれ応援する方に加勢いともいえる武器供給や資金提供などをしている。

たしかに

猿と一緒か‥と運転しながら考えてしまいました。

宗教の問題は日本人には特に難しいですよね。

信仰心ない国民ですから。

でも、はたからみてたら

ええーーと思うようなラマダンとか

一日に何回もお祈りするとか

いろんな宗教があって、それを信じてる人たちがいて、というのが現実ですよね。 

それをお前の神様は偽物だ!とお互い罵り合ったところで、意味がない。

そもそも目に見えない存在なわけですし。

でも、それを、信じることで救われたり、生きるかてになってる人たちが沢山いることはどちらの宗教にもいえることですし。

宗教だけではなく、国のありかた、独裁国家、民主主義、社会主義、いろんな考え方があって、いろんな価値観がある。

もちろん、これはどうなの?と思う国もあります。

そういう国を第三者的な国がどうこうできるのか。

していいのか。

国民に力がなくて、どうにもできないのかもしれないけれど。

介入しすぎて壊れていった国交もありますし。

難しいですけどね‥

ただ、一つ言えるのかな?と思うのは、やはり共存していくしかないのでは?ということでしょうか。

人間って本当に厄介な生き物なんだなーと思いますね‥

縄文時代の一万年はやはり所有するものがなかったことで実現できていたのでしょうかね‥身分の差もゆるくて長老がいたくらいと言われてますし。

稲作ができるようになり畑を所有するようになってから人間はずーっと殺戮を繰り返していますものね‥その頃から支配するもの、されるものができてきたようですし。

ある意味、猿以下なのかもしれませんねガーン