青二才の日々コラム -2ページ目

第24回「変わるテレビ東京」

(コラム:メディア)
第24回「変わるテレビ東京」


テレビ東京が変わろうとしている。
(前回も書いたが)巨人の優勝を決めた試合を放送しなかった日本テレビに対して、テレビ東京が動いた。
昨今では数字が取れないと有名な野球中継だが、今回あのテレビ東京が“クライマックスシリーズ・パ”の放映権を取得したのだ。

テレビ東京と言えば、朝は東証取引開始から始まり、昼間は他局でワイドショーを組む中、昔の名画を流し、夕方は学校から帰宅してくる子供たちのためにアニメを用意し、夜はひたすら経済番組。そして深夜はエロ番組で中学生のための健全な性教育に勤しむ。...という他の民放と比較すると、分かりやすいのどの異彩を放っているテレビ局だ。

他にもどんなに大地震が来ようと、どんなに大事件があろうとも、放映予定を変えて特番を組もうとしないテレビ局である。「テレ東が特番を組まないなら、まだ大丈夫だ」と僕の中での“緊急事態度のバロメーター”として役立っているテレビ局だ。

しかし、その我らがテレビ東京が、国民の期待を背負う野球中継である。

そもそも野球中継なんて、アニメ番組の裏として犬猿の関係だったはずだ。しかも最近はアニメの方が野球より数字を出しており優勢だったはず。それが日テレが中継を嫌がる原因の一つでもある。

個人的意見だが、僕はテレビ東京が大好きだ。民放では圧倒的割合でチャンネルをあわせている。
その要因は、テレビアニメ放送のパイオニアであり、子供の頃の“僕らの味方”という印象が強い。
成人を迎えてからは、日経新聞と共に良質な経済情報を面白く流すコンテンツを豊富に持っていることも魅力となった。しかも最近の深夜番組では、エロ路線はなかなか難しいご時世のなか、本当に面白いバラエティーをコンパクトに流している。


今までは「テレ東は確実に良い方向へ変わろうとしてる」と勝手ながら思っていた僕だが、今回の野球中継放映権は相当な不意打ちだった。
しかしテレビ東京が面白いテレビ局なのは変わっていない。絶えず変化(良くいうと進化)していき、より面白いテレビ局になっていってほしい。
野球もいいけどアニメも宜しく。
ボクシングもいいけどプロレスも宜しく。
お笑いもいいけどエロも宜しく。
釣り番組も、落語番組も、デザインチャンネルも、通販も....
みんなみんな宜しく。地デジ後も宜しく。

*実は実際放映したのかは知りません。試合しましたかね?


第24回 おわり。



第23回「亀田問題を通して」

(コラム:芸能・スポーツ)
第23回 「亀田問題を通して」



亀田家がまた盛り上がっている。遥か遠い中東にて拉致されている横国生よりも話題になっている。
試合を放送したTBSでは、平均視聴率が関東で32.3%、瞬間最高では40.9%にもなった。
おめでとうTBS。

しかし試合をみた人達からは色々言われているらしい。
「ボクシングを汚した」やら「レスレングへ転向しろ」やら。
wikipediaでは「大毅は宣言通り切腹して死亡した」と書き込まれていた。

まぁ青二才としてそんな批判は正直どうでも良い。
ひとこと言うならば、盛り上げ方がヘタクソだと思った。
亀田家を利用すれば、もっとボクシング全体を盛り上げられたはずだ。
彼らを愉快なヒールキャラに設定して、他に様々なヒーローをおくり込めた。
そうすれば、もっと様々な選手の売り方が出来たはずである。


でも、こんな亀田家依存の状態が続いたのは、TBSが独占的に彼らを縛りきったことであろう。
そのせいで、せっかくボクシングに注目がいったのにも関わらず、ヒールがヒーローを兼任するというスタイルのみしかなくなってしまい、結果として今回ヒールが行き過ぎた。ヒーロー像も一緒に見ていた消費者の期待を裏切ることとなってしまった。要するにさらなるヒーローを創造出来たはずのチャンスをのがし、“ヒーロー不在”の状態を作り上げてしまったのである。
今回の問題で、再びTBSに対して苦情の電話・メールが殺到したそうだ。

さてさて。
この苦情を放映したテレビ局にぶつけるという件だが、最近同じようなことがあった。
巨人が優勝を決めた試合の中継を日本テレビが行わなかったことに対しても、苦情が殺到した。

TBSは流したことで苦情。日本テレビは放送しなかったことで苦情。
要は日本の放送メディアによるスポーツエンターテイメントが崩壊を示しているのではないか。

結局は巨人も亀田も、両者とも結果論にすぎない気がする。
巨人の件だって、優勝したから見たかったと言っているが、だったら試合前から苦情をぶつけるべきだ。最近の野球中継が数字をとれていないのは紛れもない事実。ファンとして盛り上げたいのならば、下らないバラエティー番組を見ずに、普段から中継を選ぶべき。
亀田だって、不愉快ならば、なるべく早い段階からテレビを消せば良かった。そしてその後もTBSを映さなければ良い。

さらに言うならば、(特に今回のTBSの場合は)テレビ局に苦情をいうのではなく、スポンサーに対して直接ぶつけるべきだ。CMで流れる表品を悉くボイコットするべきだ。
そうすればスポンサーが離れ、広告収入が難しくなる。放送局は方向性を考え直さなければならなくなるだろう。

しかし、今のままでは放送局のぼろ勝ちで終わってしまう。
いくら文句をいっても、あれだけの視聴率をたたき出してしまった以上、スポンサーも大喜び。また同じような番組企画・方向性に金を出したがるはずだ。
作り手側から我々消費者は視聴率の単なる『数字』にしか見られていない。
僕らは『数字』なんかではない。『ひと』なんだ。
放送側には是非とも『ひと』のための番組を作ってほしい。
そして、その方向性を決定していくのは、テレビの前に座っている我々のはずだ。


第23回 おわり。




第22回 エヴァンゲリヲンについて(2)

コラム:連載シリーズ
第22回「エヴァンゲリヲンについて(2)」
<副題 You are (not) alone というタイトル>

*ネタバレではありません。ご安心ください。


エヴァンゲリヲンの映画がとてもよいです。
とくにタイトルがすこぶる良い。

劇場版4部作で一発目の今回が『序』。
次が『破』。続いて『急』。最後がまだ未定らしい。

4部作であるのに『起承転結』ではなく、『序・破・急 +1』ということろが気がきいている。

起承転結では<承>などで一度展開させるために“つなぎ”の部分があるために、落ち着かせる場面がある。
つまりストーリーの盛り上がりに“波”を持たせている。
しかし、序破急の場合はひたすら右上がり。ひらすらアップテンポの展開をみせる。
*ちなみに序破急とは本来、雅楽や能の構成を指すらしいです。
それにプラス1話でオチをつけるということは、最後まで右上がりアップテンポで盛り上げていくぞ!という作り手の意思表示をタイトルにつけている。いわばスローガンとして機能しているのだ。今後も非常に楽しみ。


さて、ここまで書いておいて何だが、今回のコラムはエヴァンゲリヲンの“副題”に注目したい。

エヴァンゲリヲンはTVシリーズの頃から本題と副題の付け方が面白い。
本題には基本的に日本語を、副題には英語を使用している。毎回のストーリーの表面的な内容を反映させるだけでなく、時には話の内面や作り手側からファンへのメッセージを表現している。

例えば、TVシリーズのラストの2本の、本題は『第25話:終わる世界』『最終回:世界の中心でアイを叫んだけもの』。それに対して副題は『第25話:Do you love me?』『最終回:Take care of yourself』。この2本の話はもの凄い異論反論を呼ぶ結果となった。
それを受けて作り直した劇場版では『Air/まごころを君に』。副題が『I need you』。この劇場版ではTV版を超えるファンからの避難を浴びた。
これらは青二才の僕には、明らかに従来のファンへ、“オタク批難”のメッセージが込められている様に感じられた。
この映画では最後にヒロインであるアスカが、主人公に向けて「気持ち悪い」の一言で終劇する。非力な主人公のシンジ君に自らを重ね合わせていたファンたちに庵野監督が言い放った痛烈なメッセージであったのだ。
(注意:あくまで青二才が勝手に思った印象です。興味がある方はDVDでもレンタルして見直してください。)


さあ、肝心な今回の副題は『You are (not) alone』。
実に素敵なタイトルだと思う。
きっと今回も、庵野氏から来場客へのメッセージであろう。
しかし従来のエヴァファンだけでなく、新しいファン層も含む非常に大きなものだと感じた。

僕が個人的に高校での仲間とやっている課外授業イベントOUTofCLASSでこんな話がでたことがある。
「受験勉強を通して、『自分はひとりで生きてるのではないのだ』と実感した。と同時に『自分はひとりで生きているんだ』ということも分かった。これは別に矛盾しているのではなく、“生きていく”とは、この両者が共存・共生しているということなのだ」(07/4/14 講師:ICさんの課外授業より)

この話をしてくれたICさんも「課外授業で言ったことを庵野さんに上手くキレイに言われちゃった気がするよ」と悔しがっていた。

さて、僕らは普段「You are not alone」と言われまくっている。
庵野氏はこれにカッコ"(not)"をつけることによって、我々の 目を覚まさせようとしているのではないだろうか。

例えばネットの世界がまさにそうだ。
部屋でひとりネットを見ていると、僕も時々錯覚を起こす。同じ時間に同じ映像をネットで見ている人間が何人もいるのだ。
田舎に嫁いだ知り合いの女性が「ずっとパチンコばっかりしていたけど、最近ようやくネットがつながったからもう寂しくなくなった」といっていた。こんな人が日本にはきっと山ほどいるのだろう。

アニメはどうしても内向的にむかってしまう側面がある。いまはまだ『You are alone』に近い。
それにも関わらず、皆は『We are not alone』だと信じ込んでいる。12年前のエヴァンゲリオンは、そこに切り込んでいったはずだったが、皮肉にも結果的にオタク同士を団結することを加速してしまった。

さて、今回の新劇場版では見たファンを外側へも向けられるか?ストーリーと同様に、その流れの観察も非常に楽しみだ。


第22回 おわり。








第21回 「ロックとエネルギー」

(コラム:カルチャー/音楽)
第21回「ロックとエネルギー」


音楽仲間であり、バイトも同じの“Rくん”と職場の掃除をしていたときの話。
Rくんは、うれしそうに「銀杏ボーイズの新譜を買った」と言って、まだ朝だというのにも関わらず、凄まじいラウドロックサウンドを職場のスピーカーから流し始めた。
とんだ掃除になったと思った。彼は非常に上機嫌な様子で「ここのギターの音がすごい気持ちいいんだよ」と僕に話しかける。

しかし、正直僕には良くわからなかった。
別に銀杏ボーイズを拒絶している訳ではなく、ただ単に、音が割れまくってしまっていて把握できないのである。
職場のスピーカーは、普段は和楽器(主に琴など)による民謡などが流されている。
しかし、今はその同じスピーカーから爆音のロックンロール。
...どうやらロックを流すために見合う出力が足りていないよだ。和楽器に慣れた軟弱なスピーカーでは銀杏ボーイズのサウンドには耐えられない。
試しに元のプレイヤーの音量をしぼってみる。
...うん、なるほど。たしかに音は割れなくなった。
しかし、何か物足りないのである。

そのとき確信した。
やはりロックには大量のエネルギーが必要なんだ。

1960年後半にアメリカ・ニューヨーク州で行われたロックフェス“ウッドストック”の映像を見たことがある。その頃はまだPA技術が発達していなかったせいか、大量のギターアンプ、ベースアンプ、スピーカーによって大音量のロックサウンドをなんとか40万人の観客に届けていた。それでも実際に演奏を聴けたのはごく僅かだったそうだ。
その後のオイルショックにより、「ロックにはエネルギーを無駄に浪費させる」ということを痛感させられ、しばらくはウッドストックのような大規模野外ロックフェスは開かれなかった。
日本では、逆にあまりエネルギーを必要としない“フォークブーム”が到来した。

それが今となっては再びロックフェスがブームである。
“地球温暖化”や“省エネ”などを口すっぱく言われて今日。ロックにも省エネルギーは進んでいるのだろうか。今後の課題となりそうだ。


第21回 おわり。




第20回 「エリカ様について」

(コラム:芸能)
第20回 「エリカ様について」


近日の日本メディアは若干21歳の少女に踊らされている。
先日公開された映画「クローズド・ノート」の舞台挨拶での主演女優、沢尻エリカ(通称:エリカ様)の発言に対して、異常なまでの反応を繰り返している。
真似をする芸能人は続出。今年の流行語になりそうな気配。CM降板の話まで出ているらしい。

こうした反応をうけて、彼女はホームページにて謝罪コメントを今日発表した。
「諸悪の根源は全て私にある。責任を取る考え」
...一体どんな責任なのか分からないが、今後も彼女の動向を世間はしばらく追いつづけそうだ。
*僕個人としては、かなり面白いのでそのキャラを保ってほしい気がしますが。


しかしながら、エリカ様のお陰で、当の映画は毎日のようにTVに(タダで)流されまくっている。
結果として絶好のPRとなった。

問題はこの騒動によって実際の来場客数にどう影響するかだ。
増えるようならエリカ様の勝ち。
彼女への最終判断は、消費者である我々の行動に任せられている気がする。


以上、第20回 おわり。