第22回 エヴァンゲリヲンについて(2) | 青二才の日々コラム

第22回 エヴァンゲリヲンについて(2)

コラム:連載シリーズ
第22回「エヴァンゲリヲンについて(2)」
<副題 You are (not) alone というタイトル>

*ネタバレではありません。ご安心ください。


エヴァンゲリヲンの映画がとてもよいです。
とくにタイトルがすこぶる良い。

劇場版4部作で一発目の今回が『序』。
次が『破』。続いて『急』。最後がまだ未定らしい。

4部作であるのに『起承転結』ではなく、『序・破・急 +1』ということろが気がきいている。

起承転結では<承>などで一度展開させるために“つなぎ”の部分があるために、落ち着かせる場面がある。
つまりストーリーの盛り上がりに“波”を持たせている。
しかし、序破急の場合はひたすら右上がり。ひらすらアップテンポの展開をみせる。
*ちなみに序破急とは本来、雅楽や能の構成を指すらしいです。
それにプラス1話でオチをつけるということは、最後まで右上がりアップテンポで盛り上げていくぞ!という作り手の意思表示をタイトルにつけている。いわばスローガンとして機能しているのだ。今後も非常に楽しみ。


さて、ここまで書いておいて何だが、今回のコラムはエヴァンゲリヲンの“副題”に注目したい。

エヴァンゲリヲンはTVシリーズの頃から本題と副題の付け方が面白い。
本題には基本的に日本語を、副題には英語を使用している。毎回のストーリーの表面的な内容を反映させるだけでなく、時には話の内面や作り手側からファンへのメッセージを表現している。

例えば、TVシリーズのラストの2本の、本題は『第25話:終わる世界』『最終回:世界の中心でアイを叫んだけもの』。それに対して副題は『第25話:Do you love me?』『最終回:Take care of yourself』。この2本の話はもの凄い異論反論を呼ぶ結果となった。
それを受けて作り直した劇場版では『Air/まごころを君に』。副題が『I need you』。この劇場版ではTV版を超えるファンからの避難を浴びた。
これらは青二才の僕には、明らかに従来のファンへ、“オタク批難”のメッセージが込められている様に感じられた。
この映画では最後にヒロインであるアスカが、主人公に向けて「気持ち悪い」の一言で終劇する。非力な主人公のシンジ君に自らを重ね合わせていたファンたちに庵野監督が言い放った痛烈なメッセージであったのだ。
(注意:あくまで青二才が勝手に思った印象です。興味がある方はDVDでもレンタルして見直してください。)


さあ、肝心な今回の副題は『You are (not) alone』。
実に素敵なタイトルだと思う。
きっと今回も、庵野氏から来場客へのメッセージであろう。
しかし従来のエヴァファンだけでなく、新しいファン層も含む非常に大きなものだと感じた。

僕が個人的に高校での仲間とやっている課外授業イベントOUTofCLASSでこんな話がでたことがある。
「受験勉強を通して、『自分はひとりで生きてるのではないのだ』と実感した。と同時に『自分はひとりで生きているんだ』ということも分かった。これは別に矛盾しているのではなく、“生きていく”とは、この両者が共存・共生しているということなのだ」(07/4/14 講師:ICさんの課外授業より)

この話をしてくれたICさんも「課外授業で言ったことを庵野さんに上手くキレイに言われちゃった気がするよ」と悔しがっていた。

さて、僕らは普段「You are not alone」と言われまくっている。
庵野氏はこれにカッコ"(not)"をつけることによって、我々の 目を覚まさせようとしているのではないだろうか。

例えばネットの世界がまさにそうだ。
部屋でひとりネットを見ていると、僕も時々錯覚を起こす。同じ時間に同じ映像をネットで見ている人間が何人もいるのだ。
田舎に嫁いだ知り合いの女性が「ずっとパチンコばっかりしていたけど、最近ようやくネットがつながったからもう寂しくなくなった」といっていた。こんな人が日本にはきっと山ほどいるのだろう。

アニメはどうしても内向的にむかってしまう側面がある。いまはまだ『You are alone』に近い。
それにも関わらず、皆は『We are not alone』だと信じ込んでいる。12年前のエヴァンゲリオンは、そこに切り込んでいったはずだったが、皮肉にも結果的にオタク同士を団結することを加速してしまった。

さて、今回の新劇場版では見たファンを外側へも向けられるか?ストーリーと同様に、その流れの観察も非常に楽しみだ。


第22回 おわり。