いのち 5  「お墓をつくってあげようよ」 | 善住寺☆コウジュンのポジティブログ☆ 『寺(うち)においでよ』

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但馬、そこは兵庫の秘境。大自然に囲まれた静かで心癒される空間に悠然とたたずむ真言宗の御祈祷と水子供養の寺『善住寺』。目を閉じてください。聞こえてくるでしょう。虫たちの鳴き声 鳥たちのさえずり 川のせせらぎ・・・誰でも気軽にお越し下さい。寺(うち)においでよ!

 僕は兵庫県の但馬の国に生まれた。兵庫県とは言っても発達した神戸の方とは違い、そこから車で3時間ほど離れた、北の果てにある山奥の小さな温泉の町だ。

その町の中心から、さらに深く分け入ったひっそりとした村落にお寺は立っている。

とにかくものすごい田舎であることに間違いはない。


 思い起こせば僕の幼小学校時代。

同級生はたったの3人。全校生徒で約20人。なんと少ないことだろう。

団体競技などはほとんどできるはずもなく、個人競技ばかり。

広い教室のなかに大きな穴をあけて並んだ3つの机。

活気に乏しい校舎。


 しかし3人の生徒に対して先生1人。

まさに家庭教師のような状態だった。

よく授業を変更して外で遊んだり、山歩きしたものだ。

 先生も生徒も家族のようだった。 お互い真剣に向き合っていた。

今でも数え切れないほどの思い出が、僕の頭の中に浮かんでくる。


 先生を僕らの秘密基地に連れていったこと。

 みんなで山いちごをかご一杯に取ったこと。

 田んぼの中からおたまじゃくしをすくったこと。

 待てって言われてたのに卓球台を1人でしまおうとして倒して、他の人が怪我しそうになって、先生に目一杯怒られたこと。

 先生のうちに遊びに行ってご馳走してもらったこと。


 幼小を通じて、7人の先生全てが懐かしい。



 僕が大学生の時、幼稚園時代の恩師に偶然お会いした。

その女の先生は当時を振り返りながら、なつかしそうに話してくださった。


 あるポカポカ陽気の日のことだった。

僕たち4人(先生と生徒)は校庭で遊んでいた。

すると一人の子が叫んだ。

「先生、モグラが死んでいるよ!」

僕たちは急いで声の方に向かった。

そこにはモグラが冷たくなって横たわっていた。

 不意に誰かが言った。

「お墓を作ってあげようよ。」
 僕たち4人はお墓を作った。

そして僕は般若心経を唱えた。

他の子たちも、ただじっと手を合わせていた。

_____


その姿がどうしても忘れられない。

そう先生はおっしゃった。


 僕は意外に思った。

家族みたいに過ごした先生。

もっと違った楽しい思い出があるじゃないかと。

僕ははっきり言って、覚えていない。。。


 僕は恥ずかしく思った。

忘れていたからじゃない。 

なぜか自分のことじゃないような気がしたから・・・。

それは今の自分がなくしてしまった純粋さのような気がしたから・・・。

いったい誰がその言葉を言ったのだろう。

僕が言ったのだろうか? それとも他の誰かが?

そんなこと問題じゃない。

それより今の僕に、「お墓を作ってあげようよ」って言葉が言えるのだろうか。。。


 今の子供たち。

そうひとくくりにするのもどうかと思うが、お墓をつくってあげようと言える子があるのだろうか?

きっとほとんどいやしないと思う。

欧米化した世の中。

きっと死んだ金魚をトイレで流す風習さえ引き継いでしまっているのだろう。

そんな気がした。


反面、いやいや、まだまだ世の中捨てたもんじゃないよ。

そう思いたい自分もいた。



弘法大師様のお言葉に、

「珠持てば善念生じ、剣をとれば殺心の器」

というものがある。

「数珠を手にすれば善い心が生じ、剣を手にすれば殺意が生じる。人間とはそういうものだ。だからこそ環境というものは本当に大切なのだよ。」

そうお諭しになっている。


 思えば、僕の幼小学校時代は、うちお寺の花祭りなどにも全校生で行くような学校だった。

無意識のうちに腕に数珠をかけていただけるような環境だったと思う。

それが、中学、高校と進んでいくうちに、その数珠をどこかに置き忘れてしまったのだろうか。。。

大学生の当時の僕。

まだまだ往生際悪く、数珠をしたくないお年頃。

そんなもんいらない。


 現代は損得勘定のみで動く、超合理的社会だと思う。

そんなことしてなにか得でもあるんか?

いつの間にか僕もそう思っていた。

 「お金がすべてだ」

その言葉に、その通りだと思ったこともある。

 相手が悪いのだから、刺されて当然だ。

そんな危険な思想さえ正当化されてしまいそうなところもある。


 今の世の中は剣を手にとってしまう環境ばかりなのかもしれない。

毎日のように犯罪のニュースが流れ、それが当たり前のようになっている。

しかも少年犯罪の数がこんなにも多いのかと思わずにはいられない。


 感受性の鋭い少年期。

幼い子供の前に刃物を散らかしておいて、

「刃物は危ないから遊んじゃいけません!」

そう言っているのが今の現状だとすれば、数珠をかけてあげれるような環境づくりに努めていくことこそ僕たちの使命なのではないだろうか。。。

幸い、僕は渋々ながらも数珠を手に掛ける環境に戻ってこれたのだから。


 背伸びはしない。

自分の身の程はわきまえなければならないから。


 ただ、そっと数珠をかけてあげることくらいできるはず。

そして伝えたい。

「数珠には不思議な力があるんだよ。

 なぜか人に優しくしたいって思える力がね。」


数珠の環境。 イメージはいつも優しい笑顔。


 仏様の温もりあふれる数珠を腕にかけて、無邪気に笑っていて欲しい。

子供も、大人も。。。






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