前回、「デウス・エクス・マキナ」のことを書きました。
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「デウス・エクス・マキナ」とは、
演劇の演出技法の一つで、「話の収拾がつかなくなった時、絶対的存在(神など)が現れ、強引に大団円に導き物語を収束させること」を言います。
「行き詰った物語を、前触れもなく突然解決に導いてしまうこと」
ですね。
その中には「夢オチ」も入ります。
「全部夢だった」
とか
「ゲームの中だった」
とかいう終わり方ですね。
「マトリックスレザレクションズ」では、ネオは、過去のマトリックスのストーリーを、自分が作った「ゲーム」だと、思い込まされていました。
マトリックスの新しい管理者であるアナリストが、そのような設定をしていたのです。
「奴らは俺の人生をビデオゲームにした」
というセリフがありました。
じょうだんヤメテよ
ゲームのキャラになっていたトリニティ
ネオの人生は、別の現実では「ゲーム」になっていたのです・・
「シン・エヴァンゲリオン」では、ラストでマリがシンジのチョーカーを外す場面があります。
もしかしたら、チョーカーは、脳に直接映像を送るような未来のモバイルデバイスで、シンジはマリを待つ間「シンエヴァンゲリオン劇場版という映画 を見ていた」という設定なのかも??と(超自分勝手に!^^;)解釈するならば・・
「シンジは今までのエヴァのストーリーを「架空の物語」にした」
ということになります。
そして、全く因果関係のない別のパラレルに移動した。
(別の現実を作った。それが、ネオンジェネシス)
エヴァの世界は折り畳まれ、どこか別の地点に存在する物語となった・・・
「汎用人型決戦兵器搭乗親子喧嘩物語」
「世界を創り変える」っていうのは、もしかしたら「今の現実」を、どこか別の次元のゲームや映画のように(架空のものに)してしまうことなのかも??
・・ある次元の現実は、ひとつ上の次元 での、ただの映画のようなものかもしれません・・??
こんな感じでね!
ニュートン「次元のすべて」より
★これは「ここはゲームの中だ」ってバラす話ですね・・
反則? ^_^;
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★これもちょっと似たような話かも?
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