最近、頻繁に警察の捜査に対する批判をテレビや雑誌で目にします。初動捜査が適切におこなわれなかったために被害者の救済がはかられなかったり、捜査活動の遅れが重大犯罪の発生を招くいたとの批判が取り上げられたりしています
僕は、高校時代に、ある交通事故の目撃者となった際に、警察に証言を無視されたという経験があります
高校から自転車で帰るとき、そう、あれはまだ明るい4時前後だったと思います。僕は、見通しの良い片側1車線全2車線の真っ直ぐで見通しの道路をいつものように15キロぐらいで走行してました。よく見ると、200メートルぐらい先の反対車線の路肩を主婦2人と小さな子供が歩いていました。ところが、150メートルぐらいまで近づいたとき、子供がとっても危なっかしい動きをしていることに気が付きました。主婦たちのすぐ後ろをヨタヨタと歩く子供がフラフラ反対車線の車道にまで出てきたんです。5秒ぐらいは子供が路上を彷徨っていました・・・そのとき子供がオシメをしている2歳ぐらいの乳幼児だということもはっきり認識しました。見渡せる前方から近づく車が無いことに僕がちょっとホッとしていた瞬間には、もう子供はセンターラインまで達していました。そのときです。僕の横をタクシーがすり抜けていったのです。当然、僕はセンターライン付近にいる子供を見て停車するタクシーの姿を思い浮かべたことは言うまでもありません
ところが、もはやタクシーの進行車線上にまで達していた子供の20メートル前までタクシーはスピードを緩めませんでした・・・直後、僕はタクシーの前方に跳ね飛ばされた子供の姿を見なければなりませんでした。可哀想に、母親と思われる主婦はしばし路肩で立ち尽くしていました
すぐに救急車とパトカーが到着し、被害者の搬送と実況見分がおこなわれました。僕は、目撃者であることを伝えると、警察官は、バインダーに挟んだ紙に僕の氏名、住所、電話番号を書き込みましたので、僕が悪いことをしたような錯覚を感ずるほど興奮した気持ちを抑えつつ、帰宅しました
警察から呼び出されたので、事故の翌日に警察署に行きましたが、そこで、警察官から驚くべき報告を受けました。警察が把握した事件の顛末は、次のようなものでした。「母親が子供の手を引いて路肩を歩いていたところ、子供が親の手を振り払い、センターライン方向に走っていった。タクシーの運転手は、子供が急に飛び出してきたので、ブレーキをしたが間に合わなかった。その結果、2歳になったばかりの子供がタクシーに轢かれて即死した」・・・きっと、母親と一緒にいた主婦もそのように証言したのでしょう
僕が少なくとも100メートル手前から子供がセンターライン付近にいたと証言すると、警察官は簡単なメモをしただけで、すぐに引き取っていいと言いました。当然に、僕が調書に署名捺印をすることも無かったのです
みなさんは、どう思いますか?
タクシー運転手は、僕と同じ程度の注意力があれば100メートルも手前から事故を回避する措置がとれたと思います。被害者である幼い命はもはやこの世に存在しません。タクシー運転手はその責めを負うことなく放免されていますし、母親は母親としての責めを問われずに済みます
しかし、母親は、運転手により避けられたはずであるのに、今も、幼い命が失われたすべての責任を追い続けるという過ちを犯している可能性があるのも事実でしょう。また、このような不注意なドライバーが再び同じような事故を起こす可能性に無関心でいられるでしょうか?