坐韻通信 -4ページ目

「泣いているきみ」


今までの人生の中で最初で恐らく最大であろう岐路に立って、大きな不安の状況にいる息子に、父親として解放を与える言葉は一つもないのだという実感にさいなまれている。
人は人によって救われ、解放され、新たな道を歩き始めるはずなのだとばかり思ってきたが、20歳を過ぎた息子にできることは、ほとんどゼロに近いのだと確信されつつある。 人は自ら立ち上るほか目の前の道を歩けやしない。
こんな空気の中でもう一篇、「自選 谷川俊太郎詩集」の中の『私』に収められている「泣いているきみ 少年9」を引用させてもらいます。
泣いているのは僕なのかもしれない・・・。


    「泣いているきみ  少年9」   谷川俊太郎


 泣いているきみのとなりに座って
 ぼくはきみの胸の中の草原を想う
 ぼくが行ったことのないそこで
 きみは広い広い空にむかって歌っている

 泣いているきみが好きだ
 笑っているきみと同じくらい
 哀しみはいつもどこにでもあって
 それはいつか必ず歓びへと溶けていく

 泣いているわけをぼくは訊ねない
 たとえそれがぼくのせいだとしても
 いまきみはぼくの手のとどかないところで
 世界に抱きしめられている

 きみの涙のひとしずくのうちに
 あらゆる時代のあらゆる人々がいて
 ぼくは彼らにむかって言うだろう
 泣いているきみが好きだと







             フランス サン・ルイ 金彩花器 1890年頃




             アンティークギャラリー坐韻 店主
              www.gallery-sein.com





「プジョー508SWグリフのタイヤ交換」





プジョー508SWのグリフの乗り心地は、そのフランス車らしからぬ安っぽい硬さで閉口してきたが、とうとう17インチから16インチにサイズダウンして試してみることにした。
ちょうどプジョージャポンがウィンター用のスタッドレスタイヤとホイールを組んでセールをしていたから、そのセットにして4本を入れ替えた。
タイヤはコンチネンタルの215-60-R16という、17インチから16インチにサイズダウンしたが、扁平率が55から60になってサイドウォールの幅が広がった。
果して、その結果はというと、多少乗り心地が良くなった。 廉価版のアリュールの16インチの乗り心地を知らないが各方面で素晴らしいと評価されているので、そこまでは到達してはないのだろうが、荊妻に言わせれば「随分良くなった」らしい。
らしいというのも変だが、406までのあの乗り心地を知る者にしてみたら、まだまだドイツ車的な乗り心地だ。
ただ508の名誉のために言っておくが、508はハンドリングやブレーキングなど操縦性はBMWの3シリーズに次ぐ心地よいもので、すっきりとしたバランスがとれている。
一昨年の「カーグラフィック」のテストでも総合力でボルボS60、アウディA4、パサートなどを引きはなしてトップのBMW3に肉迫した2位となっていたが、このテストもCGらしく的を射ていると思っている。
しばらくはこのスタッドレスでごまかしながらいこうと思う。
タイヤがコンチネンタルでなかったら、もっと柔らかな乗り心地になっていたかとも思う。
それから、ホイールとタイヤのスタイルはやはり、元々ついていたアルミホイールとミシュランの方がはるかにデザインはいい。
交換した方はやはりボテッとした感じがする。










                アンティークギャラリー坐韻 店主
                 www.gallery-sein.com




「樹下」

「自選 谷川俊太郎詩集」が昨春岩波文庫として刊行されていたのを最近知った。
作者がどんな詩を自選したのかに深く興味がつのって詩集を手に入れた。
最初は、ほう、こんな詩を選ぶんだという驚きがまずあって、その次に自分が好きだった詩が少ないのがその次の思い。
それでも三回程読み通すと、それまで気にしていなかった詩たちが立ち上ってきて老年のいまに語りかけてきた。
そして、まだ読んでいなかった「私」という2007年刊行の詩集から採られている詩群がひどく身につまされてきた。
そんななかでも何度も読み返した美しい詩がある。
それが「樹下」という深い神秘性にあふれた詩だ。
この詩に出合えただけでも、この文庫本を手に入れた価値がある。




    「 樹 下 」    谷川俊太郎


 子どもが座っている
 ひとりで
 膝を揃えて
 誰からも遠く離れて
 その肩を時が靄のように包んでいる

 月が照っている
 陽光が降り注いでいる
 星々が廻っている

 そこがどこか誰も決めることができない
 そこに到る道を誰も知らない

 蛙が子どもを見上げている
 象が子どもに寄り添っている
 花々はまだ蕾
 世界は静けさのうちに告げている
 子どもの内心にひそむ謎を

 子どもが座っている
 私たち老いてゆく者のために
 かすかに微笑んで












             アンティークギャラリー坐韻 店主
              www.gallery-sein.com


「哀しみ」


すべてが幕をとじようとしている

こんな時なのに

僕は何ひとつ解ったことがない

月や星の運行はもちろん

草花や樹木のいのちのかけらさえ

はるか遠くの存在だ

そしていっこうに解らないもの

それは最も身近な妻子そのもの

なにが愉しいのか

なにが不愉快なのか

それを知るすべもない

確かに時間は過ぎゆくけれども

僕にとっての時間は

不確かな鼓動を打つ

心臓の哀しみだけだ





             アンティークギャラリー坐韻 店主
               www.gallery-sein.com





「ロイヤルウースターのジャポニスム花器」





ロイヤルウースターの典型的なジャポニスムの花器です。
金彩エナメル彩で装飾された非常に優れた花器といえます。
1889年の作品です。

ウースターならではのマットなアイボリー地にエナメル彩できれいな花々が描かれています。
桜とスイトピーをメインに8種類の花々が精緻に描かれ、花や葉、枝にいたるまで細やかに金彩で縁どられ、光があたると金が輝き美しさが増します。
側面のハンドル部分はかなり立体的で、下の方には水連と水草に止まっている蛙の装飾が
金彩で施されています。
金彩の下地には朱赤が施され、そのため立体感も増し、何とも言えぬ落ち着いたいい雰囲気になっています。

反対側のハンドルにも同じように蛙の装飾がございますが、止まっている位置が違っていて、なんとも愛嬌のある可愛らしいポーズをとっています。
またハンドルの上部にも左右1匹ずつ蛙が止まっています。
コンディションも抜群です。

ウースターの耽美主義の作品らしい逸品です。






















        イギリス ロイヤルウースター  ジャポニスム金彩エナメル彩花器
                       1889年  約25㎝x24㎝ 高さ16.5㎝



             アンティークギャラリー坐韻
              www.gallery-sein.com
 


「ロイヤルウースター メロン型のティーセット」






イギリス、ロイヤルウースターのブラッシュアイボリーのティーセットです。
ティーポット、ミルクポット、シュガーポットの3つからなる可愛くて美しいセットです。
製作は1893年です。

御覧のようにメロンをモチーフにつくられていますが、表面はマットなほんのりと肌色がかったアイボリー色をしています。
しかし蓋や、ハンドル、葉のモチーフは、少し黄色味がかったアイボリー色に温か味のあるサーモンピンクがグラデーションとして施されています。

蓋の取っ手やハンドルは、蔓(つる)に見立ててしつらえられており、蓋や胴部には立体的に蔓や葉が象られ、金彩が濃淡で施され本物の蔓のように仕上がっています。
また葉脈や縁どりも金彩が施され、まさにメロンに見える仕上がりです。


1890年代にロイヤルウースターは貝や木の幹など有機的な形がベースとなる高級な磁器を制作しました。
これはヨーロッパのアールヌーボーの影響を強く受けたものです。
またそれらは本物のサンゴや象牙、木、籐などの天然素材から作られたかのようにデザインされています。

「ブラッシュアイボリー」というのは、ロイヤルウースター独特のもので1900年までに大変な成功をもたらしました。
その制作はとても複雑で費用のかかる行程を経ています。
素地の上からかけられたマット(艶のない)なアイボリー色にサーモンピンク色へグラーデーションした色が特徴です。
これは最初に鋳型でかたどられたパリアンの素地の内側に光沢のある象牙釉を塗り、次に外側を覆うために艶のない黄色がかった釉薬に浸した後、新しく考案されたエアブラシでソフトアプリコット釉を部分的に噴霧して仕上げたものです。
ブラッシュアイボリーの制作は1914年までです。

このポットセットもブラッシュアイボリーの名品と言えるでしょう。

















         イギリス ロイヤルウースター ブラッシュアイボリー
             金彩ティーポットセット  1893年 




                   アンティークギャラリー坐韻
                     www.gallery-sein.com




「僕の中には」

僕の体の中は
汚れきったゴミでいっぱいだ
知識という名の無理解
智恵という名の冷酷
風を捕まえようとする自我
ただただ
自分が可愛くて
可哀相でならぬ
盲目。
だれかを求めながら
だれをも見つめることのない
年老いた白内障の瞳
ぼくには君が必要なんだと
自分の口から言えぬずるがしこさ
時計が0時を打つ
枕の向うの林から
ふくろうが啼く
太い智恵にあふれた声で
おまえの中をまず整えよ、と
そして
片付いたら 君が欲しいと
懇願せよと



           
              アンティークギャラリー坐韻 店主
               www.gallery-sein.com





「君といる」


四畳半二間に

台所という

小さな借家にいて

君と温かな

雑炊をすすりたい

君のうれしそうな

瞳を見つめながら

外は紅葉が

舞い始めたころに






            アンティークギャラリー坐韻 店主
             www.gallery-sein.com





「歩いても歩いても」

久しぶりにDVDを借りた。観たのは「永遠の0」と「風立ちぬ」。
ともに昨年話題になったので、期待して観たのだが、どちらもいまひとつというか、期待はずれというか・・・。
思い入れが大きすぎたせいもあったのだろう。
それに比べ是枝裕和監督の「歩いても歩いても」は秀逸な佳作だった。
昨年NHKで観て、ことしも二カ月ほど前かNHKで観たけれど、何度観ても飽きることがない。
兄の命日に帰省する弟家族、妹家族と老夫婦の両親の二日間をただひたすら淡々と描いている。
口数も多くはない家族のことばのひとつひとつが身に沁みる。 心に沁み渡る。

2008年公開の作品だから6年前のものだけれど、この作品は永遠に残り続けてゆくな、という思いが深い。 
自分はこうした淡々とした物語が昔から好きだったせいもあるのかもしれないけれど、是枝という監督は日本人の心情をまことに丁寧に描き上げるのが得意なのかな、と思ったりした。
もう数十年映画館にも行かず、TVで映画を観ることも滅多になくなっているから、著名な是枝作品もこれを見たのが初めてだった。
この映画なら、毎日でも夜観てもちっとも苦痛にならないとすっかり魅了されている。
また映画狂いだった、中学高校大学のころを懐かしく思い出してもいる。



            アンティークギャラリー坐韻 店主
             www.gallery-sein.com





「ユーゲントシュティールのテレジアンタール」




 ドイツのバイエルンを代表するテレジアンタールのユーゲントシュティール(アールヌーヴォー)の金彩エナメル彩のホックグラスです。  1904年のものです。
 透明のカリクリスタル地のカップの外側からエナメル彩で鮮やかにきれいな花が描かれています。
 エナメル彩は金彩で縁取られています。
 カップの真上から見ると花が美しく咲いていることがわかるよう描かれています。
 口縁部とフットの縁にも金彩が施されています。

 グラス全体を一輪の花に見立て、カップに花が描かれているグラスは1900年頃のボヘミアのマイヤーズ・ネッフェやシレジアのフリッツ・ヘッケルトなどが作品を発表し、ユーゲントシュティール(ドイツ語圏におけるアールヌーヴォー様式のこと)の代表的なデザインとなっています。

 テレジアンタールは、この時代(アールヌーヴォー期)が絶頂期で、有名なアーティストたちにグラスの形状やモチーフのデザイン、絵付けなども依頼し、多数の有名な作品を発表しています。
 このホックグラスの形状は、今もなおハンス・クリスチャンセンがデザインしたユーゲントシュティールのグラスとして販売されてますが、勿論このような絵柄は1900年頃のものしかございませんし、このような温かみを感じるエナメル彩とは全く異なっています。

 テレジアンタールは、1836年バイエルンで創業され、その庇護にあったバイエルン国王ルードヴィッヒⅠ世の妃、テレジアの名前に由来しています。
 代々のバイエルン国王や、ロシア帝国最後の皇帝ニコライ2世など王侯貴族から愛された高級ガラスメーカーです。
 バイエルンの森の豊富な木材から得られた原料から高品質のカリクリスタルガラスをつくっています。


















            ドイツ テレジアンタール ユーゲントシュティール
             金彩エナメル彩ホックグラス 1904年
              直径8.2㎝ 高さ20.3㎝



                アンティークギャラリー坐韻 
                www.gallery-sein.com