こんにちは。
長谷川です。
今は、誰しもが
アメリカの1州だと思っているあの国が
実は、1世紀ほど前に独立国だったのです。
✩カラカウア王を中心とした主権国家だったハワイ
19世紀の終わり、アメリカ合衆国の侵略に遭うまで、
ハワイには主権のある近代国家が存在していたのです。
統治者は、カラカウア王。
カラカウア王は、ハワイ経済のためアメリカ合衆国との交渉を積極的に行い、
1874年11月には自らワシントンに出向き
アメリカ合衆国のグラント大統領とも会いました。
カラカウア王は、日本を訪問し、明治天皇とも会見をしております。
国王といっても、選挙によって選ばれ、自ら足を運ぶ行動的な政治家でした。
✩1840年、ハワイ王国にて憲法制定!
日本と同様に島国ではあるハワイでは、
大日本帝国憲法よりも50年も先行して、ハワイでは憲法が制定されていました。

ハワイは、カメハメハ3世の治世の1840年に憲法が制定され、
近代国家としての体裁が整っていました。
各国は相次いでハワイ王国を承認し、
名実ともに独立国家として認められるようになっていたのです。
しかし、ハワイの土地は、
アメリカ合衆国による乗っ取りの対象となってしまいました。
このときの手法は、その後のアメリカの対外侵略の典型的な手法の一つになった重要なものでした。
✩アメリカ合衆国の移民受け入れ。…悪夢の始まり
アメリカ合衆国企業がハワイ王国に進出すると、
米国系入植者が増え、サトウキビ栽培や輸出などによって経済的にも力をつけはじめました。
・19世紀ハワイ王国のサトウキビプランテーション
アメリカ人企業を中心に「親米的」な政治を求める声が強くなっていくと、
その動きはアメリカ本土の資本を巻き込み拡大していきます。
✩アメリカ移民による暴動 …急進的な憲法へ
1887年、アメリカ系の経済人・政治家・サトウキビ農場主らが結成した
政治組織「ハワイ連盟」を名乗る武装勢力の蜂起が発生します。
米国系白人市民たちからなる民兵部隊「ホノルル・ライフル連隊」と共謀し、
カラカウア退位を迫ったハワイ連盟は、強硬にカラカウア王に退位の代わりに
内務大臣のアメリカ人ロリン・A・サーストンが起草した新憲法を受け入れさせたのです。
「銃剣憲法」と呼ばれるこの憲法では、
・「国王は議会の承認無しに政治に関与できない」
・「ハワイ人・アジア人には選挙権を与えない」
ハワイの米国人による武力による奪い取りでした。
武力による脅しに屈し、カラカウア国王は修正憲法の成立を承認しました。
憲法制定後、当時人口の1/3にすぎなかった
白人に圧倒的地位が与えられることになったのです。
ハワイの王政が廃止され、「民主主義」が誕生した出来事でした。
✩戦艦ボストンによる女王幽閉
1893年1月16日、アメリカ合衆国と関連の深いサトウキビを扱う業者らが
さらに親米的な政権を打ち立てるため、国家転覆を計画しました。
アメリカ海軍艦USSボストンが、サンフォード・ドールらを
保護する名目でホノルルに侵入、リリウオカラニ女王を幽閉しました。
女王は捕らえられ、拘束したハワイ人の命と天秤にかけて王位を放棄するよう
要求されたリリウオカラニ女王は、市民の命を優先し、退位してしまいます。
ハワイ王国が世界の歴史から幕を閉じ
滅亡にいたってしまったのです・・・。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
1898年、ハワイは
「憲法に基づいた民主的な議会の決定によって」
アメリカ合衆国に併合されることになりました・・・
武力により奪い取り、
白人に圧倒的に有利な憲法を制定させ、
その憲法の名の下に、アメリカ合衆国に併合されました。
これが、アメリカ合衆国によるハワイ征服の方法です。
こちらもぜひおご覧ください。
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リンク先→ユネスコ「南京大虐殺文書」の世界遺産登録、取り消しを求めます。
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