アンソニーVSテリィ in 聖ポール学院
~第7話~
「近道だから」とキャンディに誘導されて、二人は奥深い森の中をまっすぐ進んで行った。
見渡す限り濃い緑に染まった木々に覆われ、ところどころから木漏れ日が差し込んでくる。
時折小鳥のさえずりも聞こえる。
誰もいない森の中──少しだけ心細くも思ったが、すぐそばにはアンソニーがいてくれる。
秘密の場所で二人だけの時間を過ごしているのが、キャンディには嬉しくもあり、不思議でもあった。ましてや向かっている先はグランチェスター家の別荘。
よく考えたら、とんでもない珍道中だった。
「どうかしたの?何かおかしい?」
クスッと笑ったキャンディに気づいて、アンソニーは優しい眼差しを向けた。
「ううん、そうじゃないの。ただね、ちょっと不思議な気持ちになったから」
「なんで?」
「だってアンソニーと一緒に、テリィの所へ探検に行くなんて」
そう言ってまた笑うキャンディ。
「それもそうだ。僕も妙な心地がしてきたよ」
アンソニーも笑った。
森を抜けると一面に湖畔が広がる。
さっきとは違う景色が眼前に開け、キャンディは思わず歓声を上げた。
「うわあ~、奇麗!森の中も幻想的だったけど、やっぱりお日様の下が私は好きだわ」
「キャンディらしいね。僕も、君には明るい日の光が一番似合うと思うよ」
先を行くアンソニーは、振り返ると、無意識にキャンディの方へ手を出した。
彼女もためらわず、差し伸べられた大きな手をそっと取る。
それはごく自然な行為だった。
透明な陽射しが彼らの心を開放的にしたのだろうか。
二人は手に手を取って、湖沿いの小道を歩いて行った。
すると間もなく、男女が言い合っている声が聞こえてきた。
いや、言い合っているというより、一方的に責めているのは若い男で、女は──男より落ち着いた声のトーンをしている──時々弁解をしているような感じがする。
「今の、聞こえた?」
怪訝そうな顔でキャンディが言うと、「ああ、どうやらグランチェスター家の別荘から聞こえるようだね」とアンソニー。
「もしかしてテリィかも。じゃあ、女の人の方は・・・」
「もっと近づいてみよう。中の様子が見えるかもしれない」
アンソニーはキャンディの手を引っ張ると、今までより少し大股に歩いた。
「歩くの速い?」
「ううん、大丈夫よ。しっかりついてくから」
目を見張るような門構えの別荘。
表札に「グランチェスター」の文字が刻まれている。
更に近づくと、思ったとおり中庭の様子が見て取れた。
「うるさい!あんたなんか他人だ。俺には母親なんかいないんだ」
テリィの怒声が響き渡る。
「母親」という言葉に、アンソニーはハッとした。
(テリィのお母さんが来てるのか?)
同時にキャンディもビクッとした。
(もしかしてエレノア・ベーカーが来てるんじゃ?だとしたら、アンソニーにばれちゃうわ)
焦って真相を確認しようとしたが、もう遅い。アンソニーはずんずん前進して、遂に決定的なシーンを見てしまった。
「悪かったわテリィ、だから会いに来たの。あなたに会いに来たの・・・」
「聞こえなかったのか?あんたは俺の母親なんかじゃない。赤の他人だ」
テリィが激怒している「母親」というのが目に入った時、アンソニーは死ぬほど驚いて、思わず立ち止まった。
(あれはエレノア・ベーカー!ブロードウェーの大女優じゃないか。彼女がどうしてこんな所に。しかもテリィの母親だって!?)
「アンソニー、もう帰りましょ。何だか取り込んでるみたいだし」
取り繕おうとするキャンディの方へ振り返る青い目は真剣だった。
「君はこのことを知ってたんだね?エレノア・ベーカーが彼の母親だってこと」
「え?」
答えることが出来ないほどキャンディは動揺している。
「今分かったよ。テリィは他の誰にも見せない孤独や弱さを、君にだけはさらけ出していたんだ。だからこそ君たち二人は深い絆で結ばれていた・・・違うかい?」
「アンソニー・・・」
困ったように揺れる緑色の瞳を見つめながら、アンソニーは心のどこかで、えもいわれぬ敗北感を味わっていたのかもしれない。
「誰だ!そこにいるのは」
話し声に気づいたのか、テリィが厳しい口調で問い詰める。
これ以上隠れることも出来ず、アンソニーは正々堂々と名乗りを上げた。
「悪かった。別に覗き見するつもりはなかったんだ。ただちょっと、君のことが心配だったから」
「心配?笑わせるなよ。どうせ興味本位で探りに来たんだろ。キャンディの先導で」
「違うわ!」
泣きそうになって叫ぶキャンディ。
「まさかお母様が来てるなんて知らなかったから・・・。本当にごめんなさい。でも信じて欲しいの。本当に心配だったのよ、あなたのこと。それにアンソニーは口の堅い人だから信じてあげて」
「信じろ?無理だね。恋敵に信頼を寄せるバカがどこにいる?大体君は能天気すぎるんだよ。よくもそんなことが言えるな。俺のことが本当に好きなら、今すぐその金髪野郎と絶交することだ。そうでなきゃ、俺はもう君を信じない」
一挙にまくし立てるテリィの肩は震えている。それを見て、隣にいる母は初めて口を開いた。
「言いすぎよ、テリィ。お嬢さんが困ってしまってるじゃないの」
「あんたに指図されるいわれはない。ほっといてくれ」
「でも・・・」
そっと伸びた母の手を、テリィは音が出るほどピシャリとはねのけ、その体を突き飛ばした。
「都合のいい時だけ母親面しないで欲しいね。あんたの顔を見てると虫唾が走るんだよ」
驚いたキャンディは「やめて、テリィ!嘘つくのは。素直になって。あなたは本当はママが好きなのに。愛してるのに・・・。だから心にもないことを言って」と叫んだ。
涙をためた緑の目に圧倒されると、さすがのテリィもひるんでしまう。
「こんなふうに訪ねてくれるママがいたら、私だってどんなに嬉しいか。あなたはもっと感謝するべきよ!」
そこまで言うとハッと我に返り、とんでもないお節介を焼いてしまったのではと、キャンディは焦った。
「ごめんなさい。こんなこと言うつもりじゃなかったの。でもどうかお願い、ママと仲直りしてちょうだい」
そして背を向けると、一人で駆け出して行ってしまった。
アンソニーはその後を追うことはせず、代わりにテリィ親子へ近づいていった。
まだ地面に突っ伏しているエレノアのそばにかがみこむと、「大丈夫ですか?」と手を取る。
「ありがとう。大したことはなくってよ。あなたはテリィのお友達?」
「はい」
アンソニーが二つ返事で答えたことが意外で、テリィは思わず恋敵の顔をまともに見た。
(こいつ・・・本気でそう思ってるのか?)
「僕は今日見たことを決して口外しないと、神にかけて誓います。だからどうか心配しないで下さい」
青い瞳に金色の髪をした少年は、見るからに誠実そうで、とても嘘をつくようには見えない。
エレノアの顔から思わず笑みがこぼれた。
「分かりました。あなたを信じましょう」
「ふん!上手く取り入ったもんだな。この偽善者め。相手は天下の大女優だ。気に入ってもらえば美味しい思いが出来るもんな。尤も俺にとっちゃ、ただの疫病神・・・」
そこまで言いかけたテリィの襟首を掴むと、アンソニーは渾身の力で吊り上げた。
「それ以上言ってみろ。僕は君を殴り倒す!」
「へえ~。また反省室に入りたいか?いや、今度はそんな甘いもんじゃない。学生牢行きだぜ」
「なんだっていい。それで君が悔い改めてお母さんを大切にするなら」
「ふざけるな、このマザコン野郎!俺はお前と違うんだ。いつまでもママのドレスの陰に隠れてるお坊ちゃんとはね」
そのセリフを聞いたとき、アンソニーは余りの情けなさに怒る気力も失せ、つかんでいた襟を離すと、思い切り遠くへ押しやった。
「なんだ、どうしたんだよ。もうおしまいか?やっぱり学生牢が怖いと見える。素直で結構だよ、坊ちゃん。ママと一緒にお昼寝でもしてるのが、あんたにはお似合いだぜ」
「一言だけ言っといてやる。僕の母はもうとっくに他界した。それにキャンディにも親がいない。それは君も知ってる通りだ。だから僕らには、母親のありがたさが身にしみて分かるんだよ。どうかお母さんを大事にして欲しい。失ってから後悔したって遅いんだ。それを君に分かってもらえないなんて残念だよ」
その言葉にテリィはハッとした。
隣に目をやると、涙をためて自分をじっと見つめている母の姿が飛び込んだ。
その瞳は慈しみに満ちている。掛け値なしに自分を愛してくれているのが一目で分かった。
強がりばかり言っているテリィの目に、一瞬、母を慕う幼子の無心さが浮かぶ。
「キャンディも言ってたろう?素直になれよ」
アンソニーはライバルの肩をポンと叩くと、エレノアに一礼して庭を出て行った。
後に残されたテリィは動くことも出来ないまま、ずっと黙って立ち尽くしていた。
だが、清々しい思いが心を一杯に占めている。
その時初めて、母の愛を自然な形で受け入れられる気がした。
元来たのと同じ森をアンソニーは一人で歩いて行った。
キャンディの姿は見えない。恐らくはもう寮に着いた頃だろう。
道程を半分くらい行った頃、急に現れた人影に驚いて立ち止まる。
よく見ると、それは山賊のようないでたちをしたアルバートだった。
「叔父さん!スコットランドへ来てたんですか?それならそうと連絡してくれればいいのに」
「おいおい、いつも言ってるだろう。その『叔父さん』ってのはやめてくれって」
「すみません。つい子供の頃の癖が出て・・・」
「何を言う。小さい時は『叔父さん』じゃなくて『バートお兄ちゃん』って呼んでくれたじゃないか」
「そうでしたっけ?」
肩をすぼめておどける甥に、アルバートは苦笑する。
「大人になると可愛げがなくなるもんだな」
「まだ大人じゃありませんよ。16です」
「もう大人さ。そうか、君も16になったか。僕がキャンディと初めて会ったのも16だった」
「知ってます。ポニーの丘にいた王子様は、叔父さ・・・いや、アルバートさんだったんでしょ」
「誰に聞いた?」
「キャンディに」
意外な顔をする叔父に、アンソニーは笑って付け足す。
「尤も彼女は王子様の正体を知りませんけど」
「だろうな」
「名乗らないんですか?」
「やめとくよ。乙女の夢を壊しちゃ悪いからな」
「べつに壊しゃしないと思いますよ。だってアルバートさんは、今でも十分素敵な王子様ですから」
「いや、彼女のイメージの中で、王子様はいつまでもアンソニーみたいな少年なんだよ。こんな風貌のおじさんが出て行ったら、ガッカリするだけさ」
「そんなふうには思わないけどなぁ」
こだわるアンソニーに、アルバートはまた笑った。
「まあ、いずれ時が来たら全て明かすさ。僕が本当はアードレー家の当主だってこともね。でも、今はまだいい。彼女がもっと大人になって、いろいろ受け止められる日が来るのを待つよ。だから君も他言は無用だ。勿論、ステアやアーチーにも」
ウィンクする叔父に、甥は深く頷いた。
「ところでどうしてこんな森に?」
「テリィの別荘へ行った帰りなんです。知ってますよね?彼のこと」
「ああ、2、3度会ったことがあるよ。動物園にも訪ねてくれたし。なかなか礼儀正しい子じゃないか」
「え?」という顔をするアンソニーを見て、アルバートは含みのあることを言った。
「『僕たちに見せる顔と全然違う』って言いたいんだろ?何となく分かるよ。きっと彼は同世代に対して鎧をつけてるんじゃないかな。素顔を知られたくないというか。突っ張ってるというか」
「ええ、そんな気がしますね。わざと人に嫌われるようなことをしてるように見えるな」
「よくは知らないが、家庭が複雑だそうじゃないか。そんなことも影響してるんだろう。きっと本当はいい奴なんだと思うよ」
アンソニーの脳裏には、さっき見たばかりの光景が浮かんだ。
愛しているのに名乗りをあげられない母。もどかしい気持ち。
もしかしたら実父との間にも確執があるのかもしれない。
そして継母との対立──
彼がひねくれて反抗的になるのも分かる気がした。だから友人の一人も出来ない。
孤独・・・やり場のない思い・・・自暴自棄になって益々人が離れていく・・・その悪循環の繰り返し。
そんな時に現れたのがキャンディだったのだろう。
彼女が持つ天性の明るさと人を癒す温かさに、テリィが次第に惹かれていったのは、容易に想像できた。
「テリィって寂しい奴なんですね。僕には大切な人が・・・僕を愛してくれる人たちが回りに沢山いる。たまにしか会えないけど、心が通い合う父がいるし、大おば様がいてアルバートさんもいる。そしてステアやアーチーを始めとする、かけがえのない親友にも恵まれてる。でもテリィには・・・キャンディしかいない」
そう言ってアンソニーはうつむいた。
「じゃ、彼女を譲ってやるか?君には心を許せる人が数え切れないほどいるんだから」
甥が何と答えるか、アルバートは青い目を覗き込んだ。
「いえ、そういうわけじゃないです。僕だってキャンディが好きだ。彼女の代わりが出来る人なんて、誰もいない。渡したくはないんだ、絶対!でも孤独なテリィを思うと・・・」
「決闘でもして白黒つけるしかなさそうだな」
冗談めかして言う叔父に、アンソニーはきっぱりと言ってのけた。
「そんなの意味ないですよ。勝った方と付き合うなんて、キャンディは承知しないだろうし。決めるのは彼女です。彼女の意志で選んで欲しい。だから、もしキャンディがテリィと一緒にいたいと言うなら、僕は身を引くしかないでしょう」
唇を噛みしめて拳を握る甥を見て、少しだけ切ない気持ちになった。
「君もいつの間にか『男』になっていたんだな。もう『男の子』じゃない。いつまでも小さなアンソニー坊やだと思ってたのに」
「『坊や』はないでしょう?叔父さん」
「また『叔父さん』かい?やめてくれって言ったのに」
「『坊や』の仕返しですよ」
アンソニーはふざけて舌を出した。
「冗談抜きで本当だよ。自分の気持ちより相手の想いを優先するってのが、大人の男になった証拠さ。たとえこの恋が実らなかったとしても、君は一回りも二回りも大きくなれるはずだよ。自信持て」
「アルバートさん・・・」
勇気付けてくれる叔父の真心が嬉しくて、アンソニーの青い目は輝いた。
そして心から礼を言うと、男子寮への道を急ぎ足で歩いていった。
君の想い・・・いつか叶うといいな。
テリィを応援したい気持ちもすごくあるけど、僕の瞼には、幼かった君の姿が浮かんで離れないんだ。
ローズマリーと一緒にバラ園ではしゃいでいた小さな君。
間もなく母を失い、いつも寂しそうに泣いていた君。
逆境にもめげず、こんなにまっすぐ成長した君に、神のご加護があるように・・・
そしてローズマリー姉さん、空の上から見えるかい?
あなたの大切なアンソニーは、もう子供じゃない。立派な男になって、一人の少女を本気で愛している。
彼の真っ直ぐな気持ちを、どうか救ってやって欲しい。
その翌日、朝一番でキャンディに届けようと、湖畔に咲く花を摘んでいたアンソニーは、意外な人物と出くわした。
エレノア・ベーカーだ。
わざと地味な服を着て変装しているが、目深にかぶった帽子からはみ出ている金色の後れ毛や、人目を引く美しい横顔から、すぐに彼女だと分かった。
一瞬、何と挨拶していいか迷ったが、知らん振りで通り過ぎるのも失礼だと思い、アンソニーは丁重に頭を下げて「昨日は申し訳ありませんでした」と切り出した。
「まあ、あなたはテリィのお友達・・・」
「はい、アンソニー・ブラウンといいます」
「アンソニー・・・いい名前ね」
エレノアは優しげな笑顔を見せた。
「あなたがとりなしてくれたおかげで、息子はやっと心を開いてくれたわ。本当にありがとう」
「それじゃ、仲直りできたんですね?」
彼女は嬉しそうに頷いた。
「あの可愛いそばかすのお嬢さんにもよろしく伝えて下さいな」
「喜んで!」
「彼女はあなたのガールフレンドなのかしら?それとも・・・」
困ったような表情を浮かべたアンソニーを見て、エレノアはその先を言うのをやめた。
「もしかしてテリィは、あなたにとって好ましくない存在なのかもしれないわね」
「いえ、そんなことありません」
「無理しなくてもいいのよ。あの時の様子を見れば、何となく分かるわ」
フッと微笑む彼女に、アンソニーは「参ったな」という顔をした。
「でもあの子の母親としてお願いしたいの。どうかテリィの友達でいてやって下さい。あなたのような人がそばにいていてくれたら、私も安心してアメリカへ帰れるから」
「もう行ってしまうんですか?」
まるで自分が置いていかれるような気持ちになったアンソニーの目には、寂しげな色が浮かんだ。
「あなたもご存知の通り、私には大切な仕事があるから・・・」
(そうだ、この人はブロードウェーの大スターなんだ。本当は僕が口を利けるような相手じゃなくて・・・)
当たり前のことを思い出したアンソニーは、今ここで彼女と同じ空気を吸っていること自体、不思議に思えてきた。
「じゃあ汽車の時間があるからこれで失礼するわ。またいつかお会いできるといいわね」
「僕も!僕もそう願ってます」
思わず顔を赤らめ、声が震えた少年に、エレノアは慈愛に満ちた母親の眼差しを向けた。
「亡くなったあなたのお母様・・・きっと幸せだったでしょうね。こんなに優しくて素敵な息子さんがいて」
そう言われて何だか妙に嬉しかった。
母が天国から舞い降りたような錯覚を覚え、アンソニーはいつまでも美しい後姿を見送っていた。