今年もあと2週間を切りましたが、元気に過ごしていますか?
若い頃は当たり前に迎えていた年末年始でしたが、加齢とともに
過ぎ去った1年間を振り返る自分の存在を感じます。
また新年を迎える心の在り方にも違いを感じます。
『来年は、今年はこんな年にしよう!』
以前なら新年を迎える度、当たり前のように湧いてきた感覚だと
思うのですが、この数年は少し違っています。
若い頃は足元より未来を見ているというより、見ようとしてたし
無理やり明るい未来を思い描いてきたように思う。
それを目標と称して立ち向かい、その多くは跳ね返される・・・
それでも懲りずに翌年も立ち向かって跳ね返される・・・
一言でいえば『がむしゃら、猪突猛進、無鉄砲』とも言えますし
若かったなぁ、とも思うけど、これが若さと眩しくも感じます。
まず未来に関して、目標は無理やり考える必要もなく、やりきれ
ないほどあるし、今すべき事に困ることなどあり得ない。
何かひとつをなし終えると、その時点で次の目標が目の前に立ち
塞がり、いくらでも湧いて出てくる感じさえします。
でも若い頃は自分で目標を設定すると言いながら、何をすべきか
どうすれば良いかと、いつも考えていたような気がします。
62才になってようやく気付いたのは、目標とは考えて出てくる
ものでなく、しっかりした理念に基づいて動いていれば、次から
次へと自然に湧き出てくるものだということです。
またそれを教えてくれるのは利用者であり、一般的にはお客様と
呼ばれる人達の本音や真実の姿だということです。
ついでに言うと、どんな事業展開をすべきか、何をすべきかまで
ちゃんと教えてくれています。
問題はそれらが受信できるアンテナを、我が身に備えているか、
利用者からの発信が受信できないレベルだったり、受信はしても
解析できないレベルでは意味がないということです。
インターネットの普及と進歩により、以前では考えられないほど
瞬時に地球の裏側の出来事まで分かるようになりました。
また、どれだけ情報が大切なものかも教えられました。
しかし情報が何かをする訳ではありません。
情報は情報でしありませんが、その情報を生かすも殺すも経営者
次第なのも間違いありません。
この辺りも目標設定に困らない要因のひとつでしょう。
昨日も施設の経営者が入所者の入会に来てくれましたが、色々と
話をしていると、利用者の中でも自身が事業をしている人だけが
あんしんサポート、というより、武井というより、経営者として
感じるものがあるようです。
『生き甲斐を持って生きてる』
『60過ぎにして輝いている』
『素の自分で生き生き仕事をしている』
・・・こんな感じだろうと思いますが、行きつくところは・・・
『人生を思いっきり謳歌している人』って思われるようです。
僕自身そこまで思っていませんが、上に書いたように今年1年を
自然に振り返ったり、今の自分を客観視する自分もいます。
その中で最初に感じるのが『幸福感』なのです。
幸福感は人により千差万別だし、個々で感じれば良いものですが
・62才にして成すべき事は時間が足らないほどある
・自己満足でしている事業が、時たま人の役に立っている
・我々を必要としてくれる人がいて続けて欲しいと切望される
・食えるだけの収入が得られる仕事があり、それが天職に近い
などなど、書き出せばいくらでも書けるほどあります。
ただ、、幸福感を感じるのは、これ!と特定できる部分ではなく
搬送の途中に夕焼けを見た瞬間だったり、単に運転している時、
事務所で座っている時・・・なんちゅう事のない時が多い。
多分・・・
普通に働ける体力と気力があり、食える仕事もあるし、日々忙し
く動き続け、暇を持て余す事もなく、人に必要とされてる。
どう見ても凄い事ではなく、多くの人が極々当たり前に持ってる
事や、当然のような事ばかりです・・・が、こんな当たり前のよ
うな事に幸福感はあるのかもしれません。
今の生活に色々な問題、課題、苦悩もあるでしょう。
でも同時に何気ない幸せもあるのでは?
幸せって特殊な事より、極普通に生きていられて、休みが欲しい
と思ったり、忙しくて暇が欲しいと思ったりしながら生活している。
幸福感の根底にあるのは『日々平凡な暮らし』かもしれない。
まずは今の幸せに気づき、幸福感の中で人生を見つめたほうが、
ずっと幸せな人生を生きられるのが『人』かもしれないと思う。
さてと、そろそろ搬送の準備に入りますかね。
誰もが終幕後の費用を心配することなく、自分の人生を精一杯楽しめる世の中にしたい
創業者の思いを後世に伝え、当時何を考えていたか嘘のつけない自分日誌でもあります
