外側に「見える」出来事は

実に忠実に

 

 

「自分の内側を、表して」いる。

 

 

それは鏡のように

そっくりそのままを映し出す。

 

寸分の狂いもなく

「わたしが見たい世界」が映し出される。

 

 

もし「今あるそれ」が

私が望まぬ現実ならば

 

 

「わたしが見たい世界」と

自分の思考・行動が

一致していないのだ。

 

 

その時必要なのは

現実を変えようとすることではない。

 

 

変えるのは「わたしの頭の中」だ。

 

わたしの思考であり

わたしの意識であり

わたしの「見たい世界」の確認をすることだ。

 

 

 

 

 

自分に「許し」を与えていくと

縛られていた「記憶」や「前提」からどんどん解放され

 

一時的に

ますます「苦しい」と感じる出来事が

増えることがある。

 

「記憶」にまつわる「前提」

「前提」にまつわる「記憶」

 

 

それらがほどければほどけるほど

ますます深いところで

「自分に厳しくしている自分」と対峙する。

 

 

これで、許されるのかな。

これで、本当にいいのかな。

 

こんな私でも許されるのかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいのだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シンデレラプロジェクト2020で

みんなから出資してもらったお金

約束した期限までに、返せませんでした。

 

 

 

 

すごく怖かった。

どうしよう、と思った。

みんなを裏切ることになる、と思った。

 

 

自分を責めない、を伝えている私が

自分をつい、責めに責めまくりそうになって

喘いでいた。

 

 

 

やらかしたことは、みんなに謝罪した。

どんな責め句も受け取ろうと思った。

 

 

 

でも。

思い切ってみんなにそれを伝えて

蓋を開けてみたら

 

 

責め句などひとつもなかった。

 

 

 

みんなからのメッセージがものすごく暖かかった。

 

 

「自分では経験しえない世界をたくさん見せてもらった」

「違う世界の扉を開けてもらった」と

 

 

ありがとう、をいっぱい受け取った。

 

 

わたしが私のやりたいことのために

お金を出してもらったのに

 

 

「ありがとう」をこんなにたくさん受け取れるなんて

こんなことあるんだろうか。

 

 

 

メッセージが届くたびに読んでは、泣いて

 

 

「応援しています」

「いつまでも待ちます」

その言葉にまた、泣いて

 

 

泣いてばかりだった。

 

 

しかも

「全額寄付します」って方も

びっくりするくらいたくさんいらして

 

 

感動と嬉しさと

ちょっとの申し訳なさで

これまた胸いっぱいになって泣いて

 

ここしばらく

泣いてばっかりでした。

 

 

 

 

私の場合

自分のへの「気づいてない厳しさ」っていうものが

とにかく半端なくて

掘っても掘っても出てくる。

 

 

しかも掘れば掘るほど

めちゃくちゃだらしない

どうしようもない自分ってのが

一緒に出てくるので

毎回、フテて腐ってる(笑)

 

 

一瞬

「お前こんなんでいいのかよ(エゴキン)」が

絶対に顔を出してくるから。

 

 

ちゃんとしようとして

がんばってたんだよね。

がんばりすぎるほど

がんばってたんだよね。

 

 

がんばりすぎて

それがデフォルトになってたんだよね。

だから、気づいてないくらい

厳しいんだよね。

 

 

 

 

自分に還っていく道の途中って

何度もこれを味わう。

 

どうしようもない自分が出てくるたび

「こんな自分でも大丈夫?」って

毎回、ドキドキしてハラハラしてる。

 

 

弱くて脆い自分が出てくるたび

「いくら何でもこんな自分、許されないだろう」って思う。

 

でも、許されるの。

それでも愛されるの。

 

 

許してないのは、自分だけ。

 

 

 

 

私はこれからも

どんどん緩んで

どんどんダメになっていきます。

 

どんどんやらかすし

どんどん迷惑かける人になっていきます。

 

 

 

それでも、いい。

私は愛されるし

 

 

誰もが、それでいい。

誰もがそれで愛される。

 

 

 

 

そういう世界を、わたしは見たい。

 

 

 

ぜっきー