「誰にでもわかる再現性というものが必ずあるはずだ」
私が2015年、2016年に数々のクリエイトを連発させた時。
「どうやってそれを起こしたか」を説明できない自分にもどかしさを感じていて
なんとしてでもそれを掴みたいと思った。
それを見つけ出して、言語化したい。
長い私の旅の始まり。
一瞬のようで永遠の、私の旅の第二章の始まり。
それには「スピリチュアル」ではない要素が必要。
私はそう思い込んだ。
研究した。
いっぱい勉強した。
実践した。
ピントはどんどん合っていき
自分の精度は高まっていった。
外側には
ヒントがいっぱいあったけれど
私が求める再現性はなかった。
当たり前。
再現性は、私だけのものだったから。
「それ、どうやってやればいいんですか」
「何をしたらそうなれますか?」
この、愚問。
「ただ、自分を生きるだけだよ」
それしか返答できなかった、自分への苦悩と葛藤があった。
私は完全なるクリエイトの方法。
それを順序立てて説明できる
「絶対的なテクニック」を探していたんだ。
そのスタート地点を今、改めて振り返ると
「安心安全が欲しい」
そのもっと奥には
「恐怖」があった。
これが起こせなかったらどうしよう。
これ、私の中でしか言語化できない。
伝える仕事をしたいのに、うまく伝えられない。
どうしよう。
どうしよう。
どうしよう。
そんな型通りのものなんて、何ひとつ、必要なかったことに気づくのに数年を要した。
私が、私の世界を表現する。そのクリエイト。
あなたが、あなたの世界を表現する、そのクリエイト。
誰かが、誰かの世界を表現する。そのクリエイト。
その方法は、人の数だけあっていい。
世界にたったひとつしか「やり方」がなかったとしたら
超絶つまらない世界だ。
第一
自分がどんどん進化していって
世界が変わったら
それこそ、自分自身に対してのやり方さえ変化する。
そんな縦横無尽な、そしてしなやかな美しさを持つものを固定化しようとしていたなんて、とんでもない愚かさだ。
自分に笑ってしまう。
私がやることは「やり方」をロジック化することじゃなかった。
私はただ、私の世界に集中すればいい。
その軌跡が、私の世界にくっきりと新しき色をを入れる。
どんな色になるのかはわからない。
でもその色は、千差万別。多種多様。
二度と同じ図形が見られない、万華鏡のように。
だから今見える景色を
わたしたちはもっともっともっと、味わわねばならない。
二度と見えないから。
二度と感じられないから。
二度とこの景色は、私の人生の中で出会えないものだから。
だから今、この地点に立って
「どうしたら、そんなこと起こせるんですか」と聞かれたら
ニヤリと笑って、私はこう言う。
「ただ、自分を生きるだけだよ」