私は、知識が好き。

でも知識よりももっともっともっと、大好きなものがある。

 

 

 

それは目の前にある「リアル」だ。

 

 

知識をどんなにつけたところで、それを自分の活きた知恵にしなければ意味がない。

今ここの自分のリアルほど、学びの場はない。

 

 

自分が世界をどう創っているか。

それはその目の前のあなたの「リアル」にある。

 

 

それを感じること。

観察すること。

この瞬間、瞬間に生きること。

 

それは本能そのもの、生きている魂そのものの欲求なんだと思う。

 

 

 

 

知識に支配されていたら、リアルは感じられない。

 

 

知識ばっかり入れて、バカ利口になっちゃうと、口と思考だけはめちゃくちゃ達者になる。

でもそれは、見た目だけ立派で、ハリボテのこてこての「ちゃんとしてる風」で、中身は不安で仕方なくてスッカスカ。

だから余計に「理論武装」する。

わかった風を装う。

 

言葉に乗るエネルギーが、なんか気持ち悪いし、薄っぺらい。

ペラッペラなんだな。

 

口が達者な人は、誤魔化しが効きやすいからね。

 

 

 

感性や感じる心、感覚を大切に生きる人たちは、口も達者だけれど落とし込む前にペラペラ喋ったりしない。

「わかった!!」って安易に口にしない。

 

 

 

それは自分と育むことの叡智を知り尽くしているから。

 

 

 

不要なもの、もういらないもの、余計なもの、余分なもの。

それらを全部くっつけたまま、それを支配しようとして、支配されている状態。

それは「ありのままのわたし」ではない。

 

 

 

形ばっかり整った「風」の「ありのままのわたし」は、すぐ折れる。

 

 

自分からは絶対に逃げられないんだから、諦めてとっとと見てしまえばいいのに。

 

 

 

 

 

でも、それを選ぶことも自由。

本当に世界は「自分の好きに、自由に創っていい」んだな。

 

 

 

 

 

私たちの前提ってきっと、細胞の数くらいあるんだ。

人生をかけて入れ替えて、また見直して、どんどん実現していく。

 

 

楽しみしかない。

 

 

 

 

 

そうしみじみ感じる、GW半ばの昼時なのでした。