みなさまおはようございます。
黒柳ぜき子でございます。
随分とご無沙汰してしまったわけでございます。お久しぶりです。前回の登場が2年前、どうしたことでございましょう。2018年はわたくしどうも、別人格になっていたようなんでございますね。登場する機会がなくてですね、とても心穏やかに過ごしていたんでございます。
でもね、昨日ですよ。なんでございましょう。まあ、出てくるようにとですね、どこかから呼ばれたわけでございます。本当はね、ひよこ事件の時こそわたくしの出番かしら?とも思ったんですけれどもね、残念ながらその時は呼ばれませんでした。
そんなわけでしてね、今日です。今日呼ばれたからにはですね、今日お伝えしたいことがあるんです。ええ、ええ、そうなんでございます。
で、わたくし最近「前提」のお話をよくするんでございますね。「前提」「思い込み」というものが、わたくしたちの全てを決めているわけでございます。行動から考え方、物事への反応から感情の動き、できることからできないことまて、全てを前提が決めてしまっているんでございます。しかもですね、無自覚であることが多いわけでございます。ええ、ええ、無自覚なんでございますよ。
それを導き出す方法として、ノートワークですとか、計算式ですとか、頭からルマンドを出す方法とか、いろんなことを教えているんですけれどもね。
最近になりましてね、気づいたことがあるんでございます。今日はね、そちらをぜひ、みなさんにお伝えしたいと思います。
先日ですね、わたしく出版が決まったお祝いとして、サプライズでパーティしていただきました。とってもね、嬉しかったんでございます。やはりですね、幾つになってもお祝いしていただけることやプレゼントをいただく機会があるということは、胸にですね、ズキュンとくるものなんですね。
ディプティックの練り香水。秦由佳嬢より。
で、ですね、いただいたプレゼントに思いっきり喜びを表していたらですね。「いつも本当にめちゃくちゃ喜んでる」と言われたんでございます。プレゼントした甲斐がある、と。
そこなんです。いえ、「何をもらっても喜ぼう」とかそんなインチキめいた自己啓発みたいなことを言いたいわけではないんでございます。
「プレゼントをもらった時の反応にこそ、あなた自身の深い前提が潜んでいる」ということなんでございますね。
よくね、巷のノートワークで「一番欲しいものを書きましょう」っていうのをですね、やるんですよね。わたくしの教えではですね、大抵最初に出てくるのは嘘の望みなんですね。まあ、嘘と申しますとね、ちょっとキツい言い方なんですけれどもね、仮の望みと申しましょうか。
なぜならそれが今すぐ手に入ったとしても、ほとんどの方がね、ものすごい違和感を覚えるんでございます。素直に受け取れないし、激しい抵抗や罪悪感や底知れぬ不安がくっついてくるんですよ。
*これ受け取っちゃったら不幸になるかも…
*私がいただいてしまって本当にいいのかな…
*人生が変わっちゃうかも…
*人に騙されるかも…
*もらっちゃってすいません
慣れないものだから抵抗を覚えるという考え方もございますけれどもね、そうではないんです。深層心理ではそれを欲しいとは実は思っていないんでございますね。このズレがあるとですね、「これが欲しいものだ!!」と思い込んでしまいますので、これを獲得しようと格闘する、あら、洒落じゃございませんことよ。必死に頑張ってしまうわけです。でもなかなか手に入らないわけです。だって本当は望んでいないわけですから。
となるともう、根性論です。そして頑張って頑張って頑張ってやっと手に入れても、あれ?となる。このズレが、人を苦しめるわけなんです。
こうなると、当然ですけれどもなかなか幸福感ですとか、ほっとする安心感が得られないわけですね。だからますます獲得の人生を走ってしまうのです。
そこにはあなた様の幸せはございません。
ではどうするか。あたらしい前提、というものをですね、きちんと言語にして自分に中に落とし込んで行く必要があるわけでございます。古い前提を見つけて、新しいものに書き換えたら「その自分ならどうするか」を常に考えて行くわけですね。
この時に注意がですね、必要です。
「◯◯になりたいと思っている私」という前提では、いつまでたっても変わらないわけです。
「綺麗になりたいと思っている私」ではなく「綺麗な私」
「仕事ができるようになりたいと思っている私」ではなく「仕事ができる私」
「愛されるようになると思っている私」ではなく「愛される私」
このダイレクトさが必要でございます。真ん中に「そうなりたい」という願望を挟まないことですね。
それをさらにですね、細かく細かくしていくんです。例えば「綺麗な私とは、どんな私か」。いつもきちんとした服を着ていることなのか、しっかりメイクしていることなのか、ナチュラル感溢れる雰囲気なのか。自分にとっての「綺麗」とは何を指すか、ひとつひとつ見ていく。それをまた、ノートにたくさん書いていくわけです。
そして少しずつ日常に取り入れていく。ものすごくシンブルでございましょう?
そうやってやっていくとですね、どんなものも受け取れる私になってくるんです。そうなるとあら不思議。なんとしたことでしょう。仮の望みであったものも、いつも間にか手に入っているのです。なんということでしょう。
この間ですよ、ナリ心理学で講義を担当した時、みんなで前提を書き換えるワークをしておりましたらですね「私は神」とのたまわった方がいらっしゃいました。いや本当にね、ぜひこの前提をしっかりと自分の中に落とし込んでいただきたいものです。きっと来月には手のひらからパンが出せるようになっていることでしょう。(大嘘)
あら、わたくし珍しくですね、ネタではない、きちんとしたことをお話してしまいましたね。
最近はですね、先日開催した講座でお借りした部屋が本当に素晴らしく素敵すぎて、あの部屋を仕事場にしたいとチームぜっきーメンバーが深く感動する中、なぜか一部の人間が「Sさんあの場所くれないかな」と何度も申すのでございます(主にKとJ・O型コンビ)。いいですかみなさん、買うでも譲ってくれるでもないんです。「くれないかな」ですよ。もらう方向で最初から考えているんでございます。度肝を抜かれました。いくら私でもそこまでは…って、これこそ前提でございますわね。
さあ、みなさんもですね、いつでも一番欲しいものを素直に受け取れる私になってください。喜び感度を高めてください。それはあなたがいただいたものです。あなたが独り占めしていいものです。あなたのために用意されたものです。
いつでもいただいたものを素直に喜べる、素敵で素敵なあなたになってくださいませ。
ではまた、いつかお会いしましょう。ごきげんよう。ぜき子でした。