隙間が、怖い。
過剰になっているのは
「自分の中に隙間を作るのが怖い」から。
では
「隙間が怖いのは、なぜなんだろうか」
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傷ついたなぁ、と思う出来事があったとします。
ああ、さびしいな。
孤独だな。
誰かに、わかってもらえなかった。
誰かに、伝わらなかった。
誰かに、誤解されてしまった。
「そんなつもりじゃなかったのになぁ」と
そういう、気持ちになる。
この
さびしい
孤独だ
悲しい
その先にはいつでも
わかり合いたい、わたしがいるのです。
わかり合いたいわたし、は
昔、誰かと楽しい時間を過ごして
共に、笑いあったり、共に励ましあったり
楽しくて豊かな時間を、経験している。
その、あたたかくしあわせな時間を知っている
だからこそ
さびしいなぁ、と思うのです。
根底には、温かく幸せな気持ちをしっている、わたしがいるのです。
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「隙間が怖い」って
「孤独が怖い」のです。
「空虚さを感じるわたしが怖い」のです。
だからこそ、埋めたくなる。
これは
食べすぎちゃうことと同じで
「お腹が空いてないのに、食べる」
のと、同じこと。
よく、悩みすぎる人に出会います。
悩みすぎる人は、そもそも「悩まなくていいことも悩む」ので
どんどん、混乱をきたします。
結局、最初に悩んでいたことがなんだったかさえ、忘れてしまう。
本当は、悩んでいないのだ。
悩んでいたいから、悩んでいる。
答えはとっくに出ているのだけれど
もはや、悩んでいない私でいることが許せないくらいのレベルで
悩むことが目的、のようになっている人にたくさん出会います。
これも、食べすぎてしまうこともそうで
「自分の中にある、孤独やさびしさを紛らわそうとしている」ことが多い。
感じたくない。
それは、つらい。
だから、埋めたくて奔走する。
埋め続けていれば、感じなくて済む。
埋め続ける行為をすることで、気をそらしている。
でもね。
孤独や隙間は、人にとって悪なのだろうか。
それを感じない人間は、誰1人としていないし
それを持っていることは、人としてごく自然のこと。
それらを、敵とみなしているのは
他ならぬ、わたしなのだ。
闘おう、闘おうとしているときは
何かを必死になって守ろうとしている時、でもあり
それもまた、胸の内にある
温かく幸せな気持ちを知っているからこそ、のもの。
怖がらずに、勝手に敵にしないで
孤独さも、空虚さも、さびしさも
とことん、感じてみると、いいのです。
私たちは
何かを失った「孤独さ」が怖いのではない。
何かを失って感じる痛みを、感じたくないだけ。
その感情は、その感情として
ごまかしたりしないで
しっかりと感じていい。
そして究極をいえば
必要なもの、こと、ひとは
然るべき時に絶妙なタイミングでやってくるのだから
何も、敵にしたり
何も、心配したり
何も、不安になったりしなくて、いい。
そんなことを思う朝でした。
平成、あと2日。
楽しき日々を♫
