2月9日


夕方、88歳のM伯母さんが、次女のT子さんと、駆け付けて下さった。


伯母さんは、3日に見舞いから帰られる時、母に「また来るからね」と言ってくださっていたので

母の変わりようを知らずに(数日前の元気な姿のつもりで)

病院に来て下さったら、さぞショックを受けられると思い、

T子さんに、私がメールで

「母が意識不明になったこと、この姿を見ていただくにはあまりに辛い・・・」旨、お知らせした。


すると、伯母さんは覚悟を決めて、来て下さったのだ。

ここに来る前に、掛かり付け医に寄って、安定剤をもらってきたと仰る。


ただちに病室に入っていただく前に、一呼吸置いてもらう方が、

伯母さんの体にいいかと思い

病室前のテーブルで、先に、

「こんなに元気な姿で、幸せな顔で、作品展ができたんですよ」と、

4日5日の写真アルバムを見ていただきながら、病状を説明。


そして病室に入りM伯母さんとT子さんが、母に名を呼びかけた途端・・・



それまで、もう全く反応しなくなって静かに寝ていた母が、

まぶたを開け、焦点の合わない目を必死でお二人に向け

何か言おうとするかのように口を開けた。声こそ出なかったが

絶対、お二人が来て下さったことが分かったのだと思う。

目を大きく開けて、お二人に懸命に話そうとしていた。


もう昨日から昏睡になっていた母が・・・!と、皆、驚いた。


M伯母さんとT子さんは

来て良かった・・・絶対私たちが来たこと、わかってくれはった・・・。と

言いながら、帰って行かれた。




その夜も、私は母の病室(ソファーベッド)に泊った。


兄夫婦は母宅に寝に帰ったが、

夫はここの家族室(和室)に泊ったので、明け方4時ころ、交代してくれた。

本当は私は、母の病室から離れたくなかった・・・。

が、

3晩連続ソファーベッドで寝ている私を気遣って、和室の布団で寝てくるよう言ってくれた夫の優しさに感謝して

(仕方なく?)、和室に寝に行った。


ホスピスは有難い。

普通の病院では、家族が泊るなんて、なかなか難しい・・・・。

それがここでは、病室内のソファーベッドでも和洋の家族室でも(ただし他の方が使う可能性もあるが)、

無料で泊れるなんて、実に有難い。