乾十郎150年法要を正念寺で終えた後、
法要参加者で四天王寺にある乾十郎顕彰碑を見に行くことになりました。
地下鉄四天王寺前夕陽ヶ丘出口から歩いて山門へ。
この山門をくぐって少し歩いた境内に顕彰碑が建っていました。
天忠組志士たちの多くは明治時代になって追贈されています。
乾十郎は正五位の追贈でした。
碑文の中には文久三年癸亥秋のほか天誅組乾君十郎の文字も。
この碑は大正5年(1916)乾十郎の先妻亥生の遺児大井まつが建立したもので、北畠男爵(天忠組在籍時は平岡鳩平)が題額を書いています。
大阪には数えきれないほどきているのですが、
四天王寺を訪れるのは初めてのことでした。
『日本書紀』によれば、推古天皇元年(593)に、
聖徳太子が摂津難波の荒陵(あらはか)に建立されたそうです。
聖徳太子が建立したという伝えられる寺は近畿各地にあるそうですが、
実際にはこの四天王寺と法隆寺のみだそうです。
参拝していてその境内の広さに驚きましたが、
中心伽藍の一角を占める五重塔です。
大東亜戦争後に再建されたそうですが、
日本の飛鳥時代、高句麗、六朝などの建築様式を加味して
創建当時の様式に近づけてあるそうです。
飛鳥時代の面影を残す五重塔と
近代建築の粋を凝らしたアベノハルカスが並び立っています。
西大門へ続く重要文化財の石鳥居、神仏習合時代の名残だそうです。
鳥居上部に掲げられた扁額には
「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と浮き彫り風に鋳出してありますが、
「釈迦如来が仏法を説いている場所で、ここが極楽の入り口である」との意味だそうです。
この四天王寺は西の海に沈む夕日を拝して
極楽往生を念じる聖地であったということだそうです。









