五條で森田節斎に国学を学び、大津で梅田雲便に医術を習った乾十郎。
五條では医業とともに目薬真珠円を制作販売していましたが、
天忠組が河内から五條に入るのを出迎え、
天忠組志士の中では医員として従軍し、
天忠組解散の途中、熱病に苦しむ久留米藩士小川佐吉に付き添って
看病をしています。
幕吏に捕えられ京都六角獄舎につながれました。
禁門の変が起こった時、大火が六角獄舎まで及び勢いになったため、
六角獄舎の責任者の西町奉行滝川播磨守具智は、
天忠組や生野義挙の国事犯を次々と斬首していきました。
乾十郎もその時、元治元年に亡くなられました。
享年37歳でした。
乾十郎がなくなられて50年に当たるため、
乾十郎の墓石がある大阪上本町にある正念寺で
天誅(忠)組記念館の草村克彦氏の企画により150年法要行われました。
乾十郎の墓石はこの無縁仏の塚の中にあるのですが、
樋口三郎著『実記 天誅組始末』の中に書かれている記事と写真をもとに
十数年前に草村氏が見つけられたものです。
150年の風月は墓石にも大きな影響を与えたのか
表面が剥離していました。
実記の中に、正念寺というお寺の名前と
墓石の形が六角形をしている写真をもとに探されたそうです。
その時にはまだ剥離も始まっておらず、
乾十郎の文字もはっきりと見えたそうです。
もともとは、7月11日に予定されており
刈谷からも2人の女性が駆けつけてくれるはずだったのですが、
台風8号の影響でやむなく14日に延期されての法要でした。
この日も早朝からどしゃ降りに雨が降っており実施が危ぶまれましたが、
法要の始まる11時ぐらいになると青空が見え始め、
晴天の中での法要となりました。
読経のなか法要に親族の方をはじめ参加された方々が焼香をされ、
乾十郎の冥福をお祈りしておられました。
法要終了後、僧侶にも入っていただいて集合写真を撮らせていただきました。
奈良新聞の記者の方も遅れて参加をされ、
乾十郎のお墓にお参りをされていました。
今日の奈良新聞にその時の様子が記事として掲載されているようですので、
このブログが書き終るとコンビニに奈良新聞を買いに行ってきます。
法要終了後、正念寺近くのお食事処で直会をしていただきました。
お食事とお酒をいただきながら、
150年前に日本の国のことを思って亡くなられた
乾十郎をはじめ天忠組志士たちのことを語り合い偲んでいました。
大阪に出てくるときも大雨でしたが、帰る時にもまたまたどしゃ降りの雨が降ってきました。
法要の時の晴天は150年法要を喜んでくれた乾十郎の
おかげだったのでしょうか。
奈良新聞11面真ん中に掲載された記事です。
さっそく五條市内のコンビニで購入してきました。











