鳥取県立博物館で開催されていた
「鳥取藩と二十二士と明治維新」展に行ってきました。
玄関を入ってすぐのホールに大砲「太極」(複製)が展示されていました。
これは幕末期に水戸藩で鋳造された青銅砲の複製です。
大砲には「太極」という水戸藩主徳川斉昭自筆に銘がありますが、
斉昭は海岸防衛に対する意識が高く、
光景20cm以上の大砲を300門以上鋳造し幕府に献上します。
水戸藩の大砲は、江戸湾警備のために造営された品川の砲台場に配備され
鳥取藩が使用したそうです。
幕末期、鳥取藩も尊王攘夷派と公武合体派がしのぎを削っていました。
水戸藩主徳川斉昭の五男慶徳が鳥取藩主に着任して改革が進みます。
父の手法を手本に藩校を拡大し若い人材を登用しますが、
その中から輩出した尊皇攘夷を掲げる若者の活動が活発化していきます。
文久3年(1863)8月、京の都で公武合体に努める鳥取藩主慶徳を「逆賊」と
誹謗する逆賊の張り紙を見た志士たち二十二名は、
その責任は佐幕派の重臣に責任があるとして
8月17日に京都の本陣であった本圀寺(ほんこくじ)を襲撃します。
これを本圀寺事件と呼んでいます。
8月17日といえば、天忠組が五條代官所を襲撃した同じ日です。
奇しくも奈良では尊王攘夷を掲げて志士たちが義挙を起こし、
京都では公武合体派の藩主をために志士たちが戦いを挑むのです。
主義は違えど、それぞれ自分の信じる道のために
純粋に戦いに出て行ったのだと思います。
博物館の一角にこのようなコーナーがありました。
何にでも興味を持つものですからさっそく着させてもらいました。
二十二士の一人になった気分になりました。天忠組の三総裁の一人吉村虎太郎と同じ土佐出身の阪本龍馬のパネル。
吉村虎太郎に成り代わりまして、並んで写真を一枚パチリ。
まさか鳥取で龍馬と写真を撮れるとは思いもよりませんでした。





