天誅(忠)組記念館館長 草村克彦氏が
奈良ユネスコ協会の依頼を受けて定例会の講演会に出向かれました。
その講演を聞かせていただくべく、
奈良市杉ヶ町にある奈良市生涯学習センターへと向かいました。
季節がらか、一階の大ホールでは朝からクリスマスのイベントの
ボランティアの方々によって準備されていました。
講演が行われたのは3階の学習室4です。
最初に奈良ユネスコ協会の会長 安曽田 豊氏が
開会のあいさつを行われます。
そしてさっそくに草村氏の講演へと移っていきます。
事前に女性の会員の皆様が多いとのお話を聞いていたため講演内容は、
「天誅(忠)組の大和における女性秘話」でした。
しかしその前になぜ天忠組の義挙が起こらざるを得なかったのか、
ペリー来航以来の日本の政治の混乱ぶりを説明されます。
その混乱の一つとして十四代将軍継嗣問題を取り上げられます。
水戸の一橋(徳川)慶喜と紀伊藩主の徳川慶福が争いましたが、
結局大老に就任した井伊直弼の意見で慶福、十四代家茂が誕生します。
将軍継嗣や皇女和宮の降嫁問題や安政の大獄等で
桜田門外で井伊直弼は暗殺され、さらに世の中は不安定になっていきます。
公武合体派や尊皇攘夷派というような難しい言葉が出るなかで、
集まられた会員の皆様は熱心に講演を聞いておられました。
義挙を起こした時は官軍であったものが、
8,18政変ののちは一転して賊軍として追われる立場に追い込まれます。
そのような志士たちに献身的に尽くしたのが、
乾十郎の後妻、亥生達女性陣です。
亥生は日本最初のナイチンゲールといわれるほどに
天忠組のために尽くします。
身重の体でありながら天忠組と行動を共にし、
傷ついたり病気になった志士たちを看病しながら出産をし、
さらに乳飲み子を抱えながら険しい山道を行軍しながらも
志士たちの面倒を見るのです。
橋本若狭の後妻、多美も非常な苦労をしながら若狭に尽くしますし、
毛利義之の妻 けいは、今まさに息を引き取ろうとしている夫のところに来た
郡山藩士の家中への乱入をきっぱりとはねつけます。
このように女性を視点に据えて天忠組を見た時に
また違った見方が出てくるような気もしました。
講演終了後は、奈良女子大に行く通りにある「マグロ屋」で
いつものように「マグロのから揚げ定食」をいただきました。
揚げたての大きいマグロを口をホコホコ言わせながら
完食してお腹いっぱいになって帰路につきました。







