十津川温泉ホテル昴で開催された
第4回 十津川郷士と天誅組セミナー
~湿布のごとく駆け抜けた天誅組は十津川郷に何をもたらしたか~
に参加してきました。
賀名生の天忠宿を8時30分に出発し、10時過ぎに会場に到着します。
昴の里訪問は今回が初めてになります。
国道168号線からすこし横に入るため、今まで訪ねたことがなかったのです。
快晴の天気の中、駐車場から全体の風景を一枚パチリ。
十津川温泉はいち早く源泉かけ流しを宣言したところですが、
それを表す提灯もかかっています。
受付にいたるまでには、
今回の催しの案内や天忠組150年記念シンポジウムのポスターも
貼られていました。
受付をすますと、資料と共に「郷士くん」のシールもいただきました。
講師先生は十津川観光大使で、歴史研究家でもあり
十津川の地元武蔵でお生まれになった、和田冨士雄先生。
天誅組が十津川に逃れてきたときの十津川郷家数は、
59ヵ村2320軒あったそうです。
五條に近い上組から和歌山・新宮・三重に近い下組まで
非常に広い場所に点在して住んでいましたが、
何か重大事があるときには触れが出てから2日で全村の惣代が集まり、
話し合いを持ったそうです。
現在十津川村には天誅組に関する資料があまり残っていないそうなのですが、
数少ない資料では天誅組とは呼ばずに、
浪士と呼び中山忠光忠光については中山様と言っていたそうです。
8.18政変以後、十津川に入ってきた天誅組と主に交渉したのは、
郷士上平主税です。
主税は、
「朝廷からは追討令が出ているし、
十津川郷には中川宮から直々に天誅組追討の令旨も下った。
郷としてはあなた方を討たねばならないが、情においてしのびない。
この豪の苦衷を察して、どうか穏やかに去ってもらいたい。」
(吉見良三『天誅組紀行』より)といったそうです。
その後天誅組は十津川郷から北山を越えて東吉野へとたどり着くのです。
講演終了後、隣の会場でお弁当を一緒にいただきました。
その後1階のホールに降りてみると、
西村京太郎の『十津川警部シリーズ』の本が一堂に展示されていました。








