天忠組志士小川佐吉、乾十郎が60日余り潜んでいた天忠窟に
必死の思いでよじ登ってきました。
ジーパンを見ていただいても泥がこびりついていますし、
スニーカーも泥だらけの状態が分かっていただけるかと思います。
国道169号線を伯母谷口で別れ、山道を登っていきます。
そこに建っている水本宅ですが、
その昔は庄屋をしており、
天忠組一行がやってきたときには、疲れ傷ついて歩みの遅い一行を
村人に迎えに行かせてくれています。
村はずれにある「天照皇大神」「神武天皇」「明治天皇」遥拝所に参拝し
ここまでは何とか歩くことのできる山道がついているのですが、
道の左上部の方に小さく白いものが見えるところから、
山の斜面を下り沢を渡り、向かいの山の中の道なきところを登っていきます。木に巻き付けてくれてあるピンクのリボンが目印ですが、
足場は悪く滑り落ちないように細心の注意をはらっての登り下りです。
大塔さんと地元の人に呼ばれているところですが、
その昔大塔宮をまつる祠があったそうです。
その屋根に使われていたのでしょうか、トタン板が放置されていました。
この巨岩を半周しながらさらに滑りやすい斜面を木の根や、
以前から張ってくれてあるロープをつたいながらよじ登っていきます。
やっとの思いで天忠窟の中に入ることができました。
この時点で膝はガクガクと笑っており、
息はこれ以上ないくらいに空気をむさぼっていました。
10分ぐらいは正常な呼吸には戻りませんでしたがようやく落ち着いたところで
写真撮影です。
かなり奥深い処まで洞穴は続いていました。
久留米藩を脱藩し天誅組に参加した小川佐吉は熱が下がらず
乾十郎がつききりで看病をしていましたが、
志士隠匿の噂が広がり奈良奉行所が探索にやってきます。
そこで村人たちはこの天忠窟に二人をかくまってくれるのでした。
私達が天忠窟にたどりついた時の感想、
よくぞここまで病人を連れてきてくれたものだ、
その苦労は並大抵のものではなかっただろうなということでした。
天忠窟から外を見た風景です。
木の葉がなければ遠くまで見通すことができそうでした。
洞窟内で昼食をいただき第二天忠窟へと向かいます。
急な岩肌をロープをつかみながら登った先に第二天忠窟がありましたが、
そこから下を見ると直角のように見えて、
へっぴり腰で下ってきました。









