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先日の
1977年
クイーンのツアーサポートをする
シンリジィの話
この記事です↓
それより以前
1975年に
ブライアンと
シンリジィのフィルライノットが
一緒に映っていた写真がありました。
もう既に
関わりは始まっていたんですね。
シンリジィのメンバーだった
スコットゴーハムはこう言っています
アメリカでは誰も私たちを見たことがなく、
ステージに立つことが私たちの願望でした
そしてクイーンは
本当にその機会を与えてくれました
シンリジィとは何か
そして私たちに何ができるかを
アメリカ国民に示すための
チャンスをくれたのです
私はフレディ、ブライアン、ロジャー、ジョンが
私たちを助けてくれたことに対して
常に感謝し続けています
他の記事からも拾ってきます
シンリジィのフロントマン
フィルライノットは
1980年頃ヘロイン中毒になり
その後グループは解散
彼はその後も音楽を演奏して
楽曲を書き続けました
1985年
彼はインタビューで
シンリジィを再始動する可能性について
語りました
しかしその年のクリスマスの日に
彼は家で倒れ
麻薬中毒とアルコール依存症もあり
大変苦しみました
病院に運ばれ、敗血症と診断され
意識を取り戻したものの
1986年1月4日
わずか36歳で肺炎と心不全で亡くなりました
シンリジィについて語ったこと
それが
最後のインタビューになってしまったのです
ロジャーは
ずっと経ってからのことですが
全盛期のフィルと一緒に
自分の写真を
インスタグラムに投稿しました
こう言葉を添えて・・・
お誕生日おめでとう、フィルライノット
ロックンロールの大きな損失
フィルライノットは
ロジャーと同じ年齢でした
この辺りの写真かどうかは
わかりませんが
きっとこの時期ですよね
1977年のツアー時の画像
2011年
ツアーにも同行した
やはりメンバーだった
ゲイリームーアが亡くなった時にも
ロジャーはコメントを出しています
フィルライノットは
アイルランドの英雄として
銅像も建ってコインも出されています
そして今でも
当時離れていった人達にも慕われています
彼のドキュメンタリー映画が昨年完成し
その中で
1977年のツアーで共演の後
フレディに大きく影響を受けたことを
話しているそうです
これは
英語の記事より
シンリジィとクイーンの両方が、
今日まで彼らのフロントマンの遺産のそれぞれを
続けてきました。
ブライアンメイとロジャーテイラーが
まだクイーンとアダムランバートとして
ツアーとパフォーマンスをしている間、
スコットゴーハムは
ブラックスターライダーズを結成しました。
(フィル亡き後、
シンリジィの名は封印されたそうです)
何か悲しい一致です。
あの時
クイーンのサポートになったことで
すべてが始まったのかもって
思ってしまいます
(これは私の勝手な思い込みですが)
1977年シアトル公演のブート盤のジャケット
※ 画像すべてお借りしました
そして
これはThin Lizzyのみだけど
そのツアー時の短い動画
そんなことをいろいろ思っていたら
1983年
ジョンディーコンのソロプロジェクト
ブレイクフリーの頃かしら?
MAN FRIDAY & LIVE JUNIOR というバンドで
ジョンと
シンリジィのスコットゴーハム
そしてバッドカンパニーから2人
それからプリテンダーズのメンバーと
こんな曲を出していました
PICKING UP SOUNDS
このメンバーで
めちゃめちゃロックかと思ったのに・・・
やっぱりジョンっぽい😅
亡くなってしまった方々
ご冥福をお祈りいたします。
いつまでも
何処までも
何かしら縁のある
このふたつのバンドだったんですね。