前回記事 ウズベキスタン旅行7 ブハラ②

 

この日のモーニングコールは朝5時半 眠い・・・

朝食は朝早いので少なめに・・・あせる

 

バスに乗り、約3時間半かけて、シャフリーブスへ向かう バス

途中の景色

ウズベキスタンでよく見る家(?)か小屋(?)

 

ランチのレストランに到着 ナイフとフォーク

ベッドのようなのは伝統的なウズベキスタンの食卓スタイル

 

前菜  ピーナツ、トマト胡瓜(丸ごと)、ビーツサラダ
コールスローサラダ、揚げたカリフラワー 

 

サモサだそうだが、揚げ餃子みたい。

ボルシチと言って出されたが、ビーツも入ってないし、他のスープとの違いがわからず。

 

メインは、マンティ(餃子) 焼売っぽくて美味しい。 もぐもぐ

デザートとチャイ(写真無し)

 

ランチの後は、世界文化遺産のシャフリーサーブス歴史地区へ。

 

<いつもの通り、青字は説明なので、興味ない人はスルーで>

『緑の街』と言う意味を持つシャフリサーブス(シャフリサブス)は、遠くにザラフシャン山脈が見える谷間の小さな町で、かつては緑豊かなオアシス都市だったそうだ。

シャフリサーブスはゾグディアナの古都で、ティムールの生まれた場所として有名だそうだ。

 

ティムール(1336年4月8日 - 1405年2月18日)は、中央アジアのモンゴル=テュルク系軍事指導者で、ティムール朝の建国者(在位:1370年4月10日 - 1405年2月18日)。
中世アジアを代表する軍事的天才と評価され、中央アジアから西アジアにかけてかつてのモンゴル帝国の半分に匹敵する帝国を建設した。

しばしば征服した都市で大規模な破壊と虐殺を行う一方、首都のサマルカンドと故郷のキシュ(現在のシャフリサブス歴史地区)で建設事業を行う二面性を持ち合わせていた。(ウィキより)
 

奥に見えるのは、ティムールの建てた最大の建築 アクサライ宮殿跡 目

 

ウズベキスタンのおばちゃん達 あせる

 

近づくとかなりデカい アクサライ宮殿跡

ティムールが夏の離宮として建てさせた物だそうな。

380年に着工され、ティムールの死後の1405年まで建設は続けられたそうだが

16世紀後半にブハラのアブドゥール・ハーンによって破壊されてしまったので、現在残っているのはアーチ型の門の一部のみになっている。

 

アクサライ宮殿跡の裏側にはタイルが残っている。目


地面に残っているタイル

 

こちらはティムール像 目

ティムールは右脚が不自由であったと伝えられている。

 

写真を撮る時、並ぶ順番に揉める一家 あせる

5分後位に振り替えるとまだ揉めていた。

写真が一大イベントの昔の日本のようだ。 えっ

 

この通りをしばらく歩く あし

振り返ると遠くにアクサライ宮殿跡が見える。

こちらはアートの店の中にあるアクサライ宮殿跡の元の模型

 

ドルッティロヴァット建築群に到着 DASH!

瞑想の家と呼ばれるティムールゆかりの建築群

こちらは右側に見える青いドームのコク・グンバス・モスク

それに向き合って二つの廟が並んでいる。

 

こちらはドルサオダット建築群

ティムールが息子の為に建てた巨大な廟

元々は自分の為に用意したものだが、サマルカンドに葬られた。

 

そこからまたバスに乗り、2時間ほどでサマルカンドに到着。バス

 

こちらがアミール・ティムール(グリ・アミール)廟

元はティムールがトルコ遠征中に死亡した孫のムハンマド・スルタンを葬るために1404年に建設したものだが、ティムール自身も翌年に死亡して、この廟に葬られることになったそうだ。
本当はティムールは生まれ故郷のシャフリサーブスに葬られることを希望して廟も造っていたが、その希望は叶えられなかったそうだ。

 

内部に入っていく。 こちらはティムールの肖像画。

 

内部は金ピカ キラキラ

黒いのがティムールの墓石だそうだ。意外と地味? 目

 

見学後は、夕食のレストランへ。ナイフとフォーク

内装が高級チック。ニコニコ

 

ノン(ナン) 初めからカットされている。

野菜サラダ 旨い。


ビーツとイモのサラダはレギュラーだ。

水餃子入りスープ ロシア風。サワークリームかけるとなおさら美味。

 

メインは、チキンのシャシリク 薄いパンに覆われて出てきた。

デザートはアイスクリーム(フラッシュで光ってしまい、真っ白)とチャイ(写真無し)

ウズベキスタンのアイスクリームは旨いのだ。

そしてホテルへ到着。

ホテルの部屋。 

なんか、オーブみたいなのが映っている。あせる

 

100スム ≒ 約4円

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