普通に……普通に震度7が2回来るなんて思います??家を少し片付けて
2016.4.16 am1.30
夜はひとまず電気もついたので、安心して、少し離れたところに昨日から一緒の友人と
ご飯食べて、ビール飲んで
昨日の地震の事で話がたくさんあり、ちょうど沼山津に帰りついたのは
あの時間でした。
友人に「ありがとう、じゃあまたね」と告げて車を降りようとドアに手をかけた。
その時友人が
「待って!!!あぶな……」といいかけたその瞬間
ドカーーーーン!!!というあの衝撃と共に空が光った。
熊本地震本震だった(震度7)
車が横転するかの勢いの揺れ、友人は叫んだ。
「なんでこんなときに女同士~~~~~~!!!」
「えっ、それ、私のセリフじゃん!?」
なんて言いながら、二人して死ぬと思った。
なぜなら家が倒れて、目の前の道路を塞いだから。
「いや~~~😭まだ死なん!」友人と少し揺れが落ち着いてから
また昨日の公園に。
家族はよかった、無事
わが子もスミレが頬に傷があったが、3人無事。
友人はどうしても宮崎の両親が
熊本は危ないからすぐ宮崎に帰ってきてと言われ、道路事情がわからないまま
しばらく宮崎に帰るという。
仕方が無いが、そこで友人は宮崎へ。
公園で結局2日目の宿泊。
2回目の震度7……甥っ子は近所を周り、「〇〇ちゃん家が潰れる!〇〇くんの家は傾いてる!」など
余計な情報を流すのでまた公園はパニックになっていた。
何しろライフラインは完全にストップ
更に水や食料は寄せ集めても全然ない状態。
イライラや切迫感はピークだった。
倒壊した家屋がたくさんで
具合を悪くする人もいた。
泣きわめき、大声で叫ぶ人もいた。
みんな泣いていた。
なんで熊本が?
なんでこの地域が?
なんで水もない?
トイレは1つしかなく、プライバシーもない。
お風呂入れない。着替えもない。
揺れが続きすぎて船酔い状態。
夜が明けると
ほとんどの家が倒れていた、潰れていた。
電線は切れてぶら下がったまま。
電柱も傾いてる。
歩くのもままならない。
翌日は雨の予報。公園泊はもうできなかった。
私は辛うじて妹家族と、県庁の付近の屋根のあるところに2泊できることになった。
沼山津を出る時に
またみんなに生きて会えるかわからなかったから、「またね、生きて会おう」と言って出た。
なんとか遠方に行ける方はそちらに避難して
お互い落ち着いてからまた会うことを願った。
~~~地震から三日目初めてのおにぎり~~~
県庁の近くでの配給は
峰寿司の方々が善意で配布してくれた
あったかいおにぎり1人ひとつ。
妹はかぶりついていたが
甥っ子は食べてなかった。
「食べんと?」と聞いたら
「なんかもったいないけん……」
ってアンタ!食わんと死ぬばい!
皆で並んで泣きながら食べた。
きっと一生忘れない、甘い温かいおにぎり。
配給はやっとペットボトルのお茶がきて、
水がないから、
歯磨きも顔ふきも体ふきも
お茶😭けど
水分が何しろありがたい!
しかし、次の配給がいつとかはわからず、その日は
おにぎりだけ。配給は翌日しか無かった。
揺れが続く中
雨風凌げる場所があるだけでも
本当にありがたかった。