ミツコ | 男のアロマテラピー道〜Taka’s House

男のアロマテラピー道〜Taka’s House

私は男でありながらアロマテラピーを嗜んでおります。
アロマサロンと、香水や石けんなどのアロマクラフト作りの工房などをやっております。
男のアロマテラピー道を楽しくご紹介していきます。

新元号が令和となりました。 

東京では、この土日が最後の花見となりそうですが、

平成の    風に誘われ    花舞えど
令香を待ちて    心和ます

お粗末でした(//∇//)

でも令和は、アロマの時代になりそうと、とても心がワクワク💓

平和で良き時代にしたいものですね(*^^*)


さて今回は、今からちょうど100年前、元号で言えば大正時代のお話でございます。



ゲラン『MITSOUKO』


こちらは1919年に発売されたゲランの香水『ミツコ』です。
作者は以前『ルールブルー』でも紹介しました、ゲラン三代目の天才調香師ジャック・ゲラン氏です。
ゲランの古い香水は天然香料の割合が多いので、意外と精油だけでも表現しやすいです。
ルールブルーもそうでしたし、この後発売された『シャリマー』もいずれ作ってみたいと思っておりますが、多分そこそこの物は出来そうだなと自信を持っております(╹◡╹)
ただ…この『ミツコ』はちょっと難しそうですね。
精油だけで作った『MITSOUKO』
チャレンジしてみたいと思います。


それで、この『ミツコ』が発売された100年前、1919年がどんな年であったかですが、
日本では、大正8年です。
4年前の日露戦争に勝利し、前年に終わった第一次世界大戦も連合国側で勝利し、日本の軍部は負け知らずの破竹の勢いで、国際的な日本の地位もかなり上位になっておりました。
またヨーロッパでは、大戦中にロシア革命が起こり、ロシア帝国は滅び、ソビエト連邦が出来る3年前になります。
大戦で敗れた、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ブルガリア王国は崩壊し、ヨーロッパ情勢は混迷を極めます。
大戦の余波で物資も大変不足しました。
それを物語る一つとして、『ミツコ』はルールブルーと同じ香水瓶を使っております。



ゲラン『ルールブルー』

物資の不足で、『ミツコ』用の香水瓶を作る余裕が無かったのでしょうね。


さて、この『ミツコ』ですが、
私が考えるに、2つの大きな特徴があります。

1つは『ミツコ』という名前ですね。
これは日本人女性の名前ですが、この『ミツコ』の由来は何だったのでしょうか?

もう1つは、この香水は、世界で初めてγ-ウンデカラクトン(ピーチアルデヒド)という合成香料を使用した香水です。
このピーチアルデヒドが、精油だけで『ミツコ』を作る事を大変難しくしているのですが、ピーチアルデヒドとはどんな物なのでしょうか?


まずは『ミツコ』の名前の由来からお話したいと思います。

ゲランの『ミツコ』の由来は、当時ヨーロッパの社交界で活躍された、ハインリヒ・クーデンホーフ伯爵夫人のクーデンホーフ光子さんと思われている方も多い様ですがそれは違います。
ミツコは実在の人物でなく、クロード・ファレールの小説「ラ・バタイユ」に登場するヒロインで、日本人女性の“ヨリサカ ミツコ”がゲラン『ミツコ』の由来です。
この小説に登場するミツコさんは、年齢は20代と思われますが、かなり年上の日本海軍大将の夫を持つ女性で、若き英国軍将校と恋に落ちるという物語だそうでございます。
私も勿論この小説は読んだ事はなく、これはネットで調べた事ですので、詳しい内容はわかりません。
「ラ・バタイユ」は、当時は大変なベストセラーだったそうです。まあ、ジャック・ゲランが香水の名前にする位ですからね。ただ、今は読んでいる人は殆どいないとの事で、物語の詳しい内容を知る術はありませんが、ミツコさんと英国軍将校とは結ばれなかったというのは確かな様なので、ミツコさんが身を引いたのかも知れませんね。

そんな訳で、ゲラン『ミツコ』の名前の由来は、小説に登場するヒロインですが、ではクロード・ファレールはどなたをイメージして「ラ・バタイユ」を書いたのでしょうか?
もしかしたら、クーデンホーフ光子さんかも知れません。だとしたら、間接的には『ミツコ』はクーデンホーフ光子さんをイメージして命名したということにもなります。

クーデンホーフ光子さんは、日本名は“青山みつ”さんといいまして、油屋や骨董商をしていた父親を持つ、一般的な家庭の娘さんでした。
しかし、ただの一般人ではなくて、父親はかなりの地主さんだった様です。
それもそのはずで、光子さんの先祖を辿りますと、何と徳川家康公の重臣だった"青山家"に辿り着きます。
青山家は老中職にも就いたことのある大名家で、その江戸屋敷は、当時の渋谷村から原宿村と赤坂の一部まである広大な敷地で、今の東京都港区青山の地名の由来になっております。
何と現在のセレブな街、港区青山の地名の由来はクーデンホーフ光子さんと関わりがあったのですね。
青山家は明治維新まで続き、宗家であれば爵位を賜り華族だったはずなので、光子さんは分家筋の娘さんだったのだと思います。ですから裕福な家庭でしたが、光子さんは尋常小学校しか出ておりません。それは当時の日本の一般家庭の娘さんだったら当たり前の事でした。
その光子さんが、オーストリア=ハンガリー帝国の代理大使として来日していたクーデンホーフ伯爵と結婚した馴れ初めはわかりませんが、何でも正式に役所に婚姻届を出した日本で最初の国際結婚だったそうです。
そこから光子さんの人生は凄い事になりまして、明治天皇の皇后さま、後の昭憲皇太后からは直接激励の言葉を頂いたり、また、夫と共にオーストリアに帰ったら、伯爵夫人として社交界デビューしなくてはなりません。ですから、尋常小学校しか出ていない光子さんは、伯爵夫人としての教養を身につけるために、語学や歴史、数学または礼儀作法などを猛勉強し、その努力の結果、光子さんは美しく華やかで教養ある、ヨーロッパ社交界の花形になったのです。
光子さんの夫、クーデンホーフ伯爵は光子さんより15歳年上ですので、何となく「ラ・バタイユ」のミツコさんと重なる所もあります。
ですので、「ラ・バタイユ」に登場するミツコさんは、クーデンホーフ光子さんをイメージした人物である可能性が大いにあると私は思います。

そんなクーデンホーフ光子さんですが、ゲラン『ミツコ』が発売された1919年の時には、既に夫は他界しており、またオーストリア=ハンガリー帝国は敗戦国ですので、貴族夫人であった光子さんの財産は全て没収されてしまい、それからは苦悩な人生だった様です。 
結婚時に日本の実家からは勘当同然でしたから、日本に帰る事も出来ず、病気で半身不随にもなり、第二次世界大戦がヨーロッパでは既に勃発していた昭和16年にこの世を去りました。
しかし、日本で生まれた息子リヒャルト・クーデンホーフ(青山栄次郎)は、政治活動家として活躍し、後にEU(欧州連合)の父とまで言われ、その結果クーデンホーフ光子さんもEEC(欧州経済共同体)の母と呼ばれる様になり、光子さんのヨーロッパでの足跡は確実に残っております。


さて、
ゲラン『ミツコ』の2つめの特徴であるピーチアルデヒドですが、これはその名の通り、甘くてフルーティな香りのする香料です。
そしてピーチアルデヒドは、体臭と言ってはあまり良い表現ではありませんが、女性の体臭にも含まれる成分です。
つまり女性は、自ら身体で香水を作る事が出来るのですね。
私が幼い頃、母に抱っこしてもらった時に、「お母さんっていい香りだな」と思った記憶がありますが、それはピーチアルデヒドの香りだったのかも知れません。
ピーチアルデヒドは勿論、ピーチやアップル、オレンジなど天然にも存在します。
香料自体は強いオイリー臭ですが、希釈するとピーチの様な甘いフルーティな香りになり、しかも持続性も高いです。
『ミツコ』以来多くの香水に使われている素敵な香料なのですが、残念ながらこれに代わる精油はありません。

ジャック・ゲランがピーチアルデヒドを使用したのは、やはり日本人女性をイメージしての事だったのではないかと私は想像しております。
当時フランスにいた日本人女性といえば、多分華族とか外交官、高級軍人の妻や令嬢で、いわば上流階級の女性でしょう。ですから香水も使っていたと思いますが、やはりフランス人女性と比べたら控えめに使っていたのではないでしょうか?
ジャック・ゲランが日本人女性と接点があったとしたら、自然な女性の香りを感じていたのではないかと想像できます。
ピーチアルデヒドが女性の香り成分の1つという事は、製薬会社か化粧品メーカーかは忘れましたが、日本の企業の研究で判明した事で、1919年当時は勿論わかっておりませんでした。しかし、ジャック・ゲランのことですから、自然な女性の香り=ピーチアルデヒドと感性で閃いたのかも知れません。

ゲラン『ミツコ』は、慎ましやかだけど芯は強いという日本人女性をイメージした香水だと最初は思っておりました。ですが『ミツコ』の香りに触れている内に、それは半分は正しいけれども、半分は違うのではないかと思う様になりました。
つまり、ジャック・ゲランが感じた日本人女性のイメージと、私達日本人が思っている当時の日本の女性のイメージとは違う様な気がします。

当時の日本は男女格差が激しい時代でした。
女性は参政権もなく、また教育においても、大学進学などは大変狭き門でした。
慎ましやかで控えめで、男からは一歩下がってというのが、当時の日本の女性のイメージだと思います。
ですが、女性差別というのは何も日本だけではなく、当時はどこの国もそうだったのですね。
特にフランスは、ナポレオン法典の名残りもあって、日本より女性差別は酷かったのではないかと私は思います。

例えば、
まずバレエですが、
バレエ発祥の地はイタリアで、フィレンツェからフランス王室に嫁いだ、何とあのサンタマリアノヴェッラ『王妃の水』のカテリーナ・ディ・メディチによってフランスに伝わります。
やがて「オペラ座」によって一般にも広まり、ロマンティックバレエとして大よそ現在のバレエの形として完成します。
しかし当時のバレリーナは、フランスでは蔑みの対象でした。元々女性が職を持つ事自体が良く思われない時代でしたが、バレリーナは身分の低い女性が身を立てるためになるものと考えられていた様です。
当然薄給で、エトワール(プリンシパル)以外は、バレエだけではとても生活していけませんでした。なので殆どのバレリーナは、男の援助を受けていたのです。
バレエの絵で有名なフランスの画家にエドガー・ドガがおりますが、彼のバレエの絵は、大体がオペラ座の楽屋内での風景です。ドガが何故その様な絵を描けたのかというと、彼はオペラ座の会員だったからです。
現代ではとても考えられない事ですが、当時のオペラ座の会員は、男性でも楽屋への出入りが自由だったそうです。
ですから、オペラ座の中がどの様であったか大体想像がつくと思いますが、これでバレリーナは益々蔑まれる存在となります。
結局フランスではバレエは低俗化してしまい、せっかく「ジゼル」や「コッペリア」などの名作を生んでバレエを発展させながら、自ら消滅させてしまったのです。
オペラ座の再興は、天才ニジンスキー等のロシアから来た「バレエ・リュス」のパリでの旗揚げまで待つ事となります。

そして、そのバレエ・リュスに刺激を受けたのが、ホリスティックアロマの祖と言われるマルグリット・モーリーさんです。
モーリーさんは今で言う看護師さんでしたが、やはりフランスの男女格差の影響を受けておりました。看護師は当時のフランスの医学界では女性がなれる最高の地位でした。女性は医師になりたくても、当時のフランスでは大学進学が出来ませんでしたので、医師になりたくてもなれなかったのです。
ですので、フランス在住でありながらイギリスで活躍したという事は、モーリーさんはやはり女性であるが為にフランスでは受け入れられなかったのでしょう。
私は、マルグリット・モーリーさんは、ホリスティックだけではなく、現在のアロマテラピー全体の祖だと思っております。
メディカルアロマの祖は、やはりフランスの医師であるジャン・バルネ博士と言われておりますが、バルネさんは医師として精油を使って治療をしていたのであって、アロマテラピーをしていたわけではありません。
やはり現在の様に、誰でも手軽にアロマを始める事が出来る様になったのはモーリーさんの功績だと思います。
モーリーさんは、第一次世界大戦中に父親、夫、子供を全て亡くすという人生で最大の不幸に見舞われました。このゲラン『ミツコ』が登場した1919年頃は失意のどん底だったと思います。
ですが彼女は自らの努力でそれを克服しました。
私は、マルグリット・モーリーさんのアロマ自体には賛同出来ない部分も多々ありますが、彼女の功績や生き方は大いに賞賛に値するものだと思っております。


さてさて、話が逸れてしまいましたが、
当時のフランスでは、想像以上に女性の地位はかなり低かったと言う事ですね。
ですので、ジャック・ゲランやクロード・ファレールから見た日本女性は、慎ましやかだけどフランス女性より自由で活動的だと写ったのだと思います。
ゲラン『ミツコ』は、ただ慎ましやかだけの香りではないし、ファレール作の「ラ・バタイユ」に登場するミツコさんも、慎ましやかだけの女性ではない様ですしね。


では、
ゲラン『ミツコ』の香りを実際試して分析してみましょう。
分析だなんてカッコいい事を言いましたが、『ミツコ』の香りの処方は、文献などで、私ある程度はわかっておりますので、ちょっとズルですけどね(^^;;

わぁ!香り立ちはまるで『王妃の水』の様。
ベルガモットが鮮やかに香ります。後はレモンやマンダリンですね。それから少しスパイシーな香りも現れます。オリジナルはシナモン、クローブとなっておりますがそれ程強くはない。なのでうう〜ん…ローレルでもいいし、月桃なんか使ったら面白いかも知れません。
ピーチアルデヒドは最初から最後まで香りますが、思った程強くはないです。これなら精油だけでも何とかなるかも…
ネロリの香りが顔を出したら、ミドルノートに移ります。
ミドルは、何となく曖昧なフローラルという感じ。オリジナルはローズやジャスミンの天然香料を使用していたはずですが、これは精油の香りはあまりしません。どちらかと言うと、ミュゲベースのフローラルアコードですね。
ここはしっかり、ローズとジャスミンの精油を使いたいと思いますが、ミュゲの精油は無いので、そうですね〜…以前『リラの精』の香水で使ったジンジャーリリーとか、或いはリンデンフラワーなんかを使っても良さそうです。
意外と早くミドルは通り過ぎて、ラストノートに移りますが、ラストノートは結構複雑です。
サンダルウッドにベチバーそしてパチュリ。ラブダナムの香りもしますね。意外とバイオレット調の香りも良く感じます。多分メチルヨノンの様な合成香料だと思いますが、これはアイリスとバイオレットリーフのコンビを使いたいと思います。
それとバニラ調の香りもしますが、これはバニラでもいいし、少し抑えたければベンゾインでもいいと思います。
後は動物性香料ですね。ムスクは勿論合成ムスク。それだけではなく、シベットやカストリウムの香りも感じます。これは天然か合成かはわかりません。天然ムスクは今は手に入りません。シベットやカストリウムの天然香料は入手出来ますが、私が作るのはアロマ香水ですので、勿論動物性香料は使いません。ですのでここはアンブレットシード精油で勝負するしかないかな〜?もう一つ何かを加えて工夫してみたいと思います。
あと、シプレ調には欠かせないオークモスですが、あまり香りは感じません。
実はオークモスは、アトラノールというアレルギーを誘発する成分を含んでいるため、国際フレグランス協会(IFRA)では使用を制限していたのですが、今は制限ではなくて禁止されているかも知れません。今年からEU諸国では、オークモスを含む化粧品は販売出来なくなるとも聞いております。私が使っているオークモス精油は、アトラノールを除去したアトラノールフリーの物ですが、これも化粧品として販売する場合は使用は出来ません。ですので恐らく、『ミツコ』で使われているオークモスは、今後は合成した物になると思います。


さてさて、長くなりましたが、
ゲラン『ミツコ』の香りは、"慎ましやかだけど芯が強くそして活動的"な当時の日本女性をイメージしたものだと思います。
"活動的"というのは、華族階級等と一般人では意味合いは少し違ってくると思いますが、当時の日本の一般家庭の多くは生活が貧しく、また男子の徴兵もあり、女性が活動的でないと成り立っていかなかったのです。
フランスのナポレオン法典を真似て、"妻は夫に従う"或いは"女性は男性に従う"という考え方の時代ではありましたが、言えることは、男性は常に女性に支えられていたという事ですね。女性の力があったからこそ、戦中や戦後の混乱期も乗り越えられたのだと思います。

現代は男女同権の時代。勿論、令和の時代になってもそれは変わる事はありません。
これからは、妻も夫も、女性も男性も、色々な形はあるにせよ、お互いを尊重し支え合うというのが益々重要になってくると思います。

ゲラン『ミツコ』風の香水。
当時の日本女性を思い描きながらも、素晴らしい日本女性の香りにしたいと思います。