『アンブレイカブル』(2000年公開)、『スプリット』(2016年公開)三部作の完結編。

一作目のヒーロー誕生、二作目のヴィラン誕生編を経て、いよいよ両者雌雄を決する時がきた!

まあ、『アンブレイカブル』も『スプリット』もさほど面白いとは思わなかったのですが、乗りかかった船というか、一応最後までおつきあいですよ(『アンブレイカブル』も『スプリット』もストーリーをもう忘れかけちゃってるけど、見直したいほどでもないのが困ったところ)。で、三部作の中ではこれが一番面白かったかなーと思います。

どう見てもおじいちゃんなブルース・ウィリスがスーパーヒーローというミスマッチ感。

『スプリット』以上に多重人格演技全開のジェームズ・マカヴォイの怪演。

サミュエル・L・ジャクソンも安定の存在感。

このキャスティングだけでも楽しいし、いわゆるヒーローコミックの異色作的としては、こういうのもありかなーという感じではあります。

加えて『アンブレイカブル』で子役だったスペンサー・トリート・クラークがそのまま成長して大人になった役として登場というのは良かったです。

 

ただ、哲学的な話しなので、最後は若干宗教映画みたような気分になりましたねー。

 

 

ネタばれ

この物語が終始語っているのは、物事にはつねに対抗勢力があるということ。

神と悪魔、右翼と左翼、ヒーローとヴィラン、秩序と混沌。

『エクソシスト2』で「イナゴを払う少年がいるから、イナゴが引き寄せられるのではないか?大いなる善には悪がよってくる」的な話しをしていたが、まさにそれというか、『ゲド戦記』で言う所のこの世の均衡って話し。

ミスター・ガラスは頭でっかちなのでこの世の理に自ら寄せていこうとするタイプ。

で、ミスター・ガラスの真の敵はひとつの勢力が強力になると、対抗する勢力も強力になる、だから、突出した力を最初から排除し、平坦な世の中にしようというこれまた頭でっかちな組織。

結果、この組織も対抗勢力としてガラスが存在するという皮肉なオチ。

ただ、ガラスの真の意図を示すラストに関しては、なんとなく「あの程度の中途半端な作り物みたいな動画をまともに信じて、世界が動くだろうか…」という気持ちにもなるし、ただ危ない中二病を増やすだけのようにもみえる。まあ、この映画、リアルと非リアルの境界を描いているので、ブルースやマカヴォイが本物の超人なのか狂人なのか実に曖昧な話し。いわゆる心霊現象やUFOやUMAレベルのタブロイド判みたいなお話だ。だから、そういうものに安易にだまされる人を煽っている映画に見えるので後味がいまいちになるのだ。まあ、ヒーローをその視点で描くというのはちょっと新鮮かな。
とにかく、その微妙な境界線をあくまではずれないレベルで描いているのでブルース・ウィリスとジェームズ・マカヴォイが戦うシーンも地味というか盛り上がりとしてはいまいち感がある。散々オオサカのビルで煽っておいて、実際の対決は病院の庭かっていう肩すかし感もね。いや、そこがどんでん返しであり狙いであるのはわかるのだけど…。

それはともかく、マカヴォイがビーストに変身する演技はいちいち面白かった。この監督の変なユーモアはどこまで狙っているのだろう。

彼らが精神病院に入れられて、ひょっとして自分がおかしいのかもしれないと惑うあたりも面白いし、ちょいちょい面白い部分はあるけど、内容の割には不穏な音楽で煽り過ぎかなーとも思う。ホラー映画でもないのに煽り過ぎて、ミスマッチ感半端ないし。

 

個人的には、骨の折れやすい病気を抱えるミスター・ガラスが子供時代にぬいぐるみを抱えて乗り物に乗るシーンが悲しい気持ちになるし、最後に骨折しまくるミスター・ガラスの痛々しさはかなりきつい。

群れが死に際に本来のケヴィンに照明があたるあたりはいいシーンと言える。

一方ブルース・ウィリスの死に様はなんだか救われない感ある。ただ、息子が父親がヒーローだと知る場面を回想するシーンはよかった。

だから、なんていうか、試みが異色だし、最後もうーんな所もあるけど、嫌いではない感じ。

それは多分人はいつでも境界の曖昧なものに少しだけ夢をみたいものだという感覚は理解出来るから。

 

それにしても長い長い誕生編であった。物事はいつでもこれからという誕生編が一番楽しいということかなー。

そういえばこのラストってちょっと『スターウォーズ/最後のジェダイ』のラストを思い出すね。誰もが目覚めてヒーローになれる時代がきたって話しだもんね。

ただ、登場人物のきらきらした笑顔に反して、なんか手放しに良かった思えない薄気味悪さを感じるラストでした。