ラース・フォン・トリアー監督による『アンチクライスト』『メランコリア』に続く「鬱三部作」最終作らしい。
『アンチクライスト』『メランコリア』はトリアーの作品の中でも結構好きだったんで、当然これも観てみることに。

しかし、蔦屋の準新作ドラマコーナーをいくら探しても見つからない。
店員さんに尋ねたら準新作エロティックコーナーに置かれていた。
エロティックコーナーはなかなかチェックしないわねー。

おまけにwikiにはポルノ映画とさえ書かれている。
いや、まあ、色情狂が主役だからそういう側面もあるのだが、117分(Vol.1)と123分(Vol.2)とあわせて240分もあるし、テーマがテーマなだけになかなか観るのに気合いがいる。

Vol.1は性表現が確かに過激だが、即物的というか赤裸々すぎるので、どことなく滑稽というか間抜けな雰囲気もある。これをセックスコメディだと評する人もいるが、そういう側面も感じない訳ではない。
延々と男性の下半身が映し出されるシーンなどは、ぼかしが入っているから一層まぬけというか、これでぼかしがなかったら露出狂の博覧会のようでちょっとしんどいシーンにさえ思える。
そんな中、「リトル·オルガン·スクール」はちょっと面白かった。
ユマ・サーマン登場シーンのなんともいえないいたたまれない空気とか、クリスチャン・スレーター演じる主人公ジョーの父親の病院での描写の迫真性は印象に残る。
本当にトリアー監督はあらゆることをむき出しに描く人だ。

Vol.2は1より性的表現が押さえられているので見やすいというか、純粋に物語に引き込まれる感じはある。
エピソードとして印象的なのはジェイミー・ベル演じるKの存在。こういう男性を求める女性の不思議というか、SMの深い部分を垣間見る思い。
若干自傷にも似ているというか、傷つくことで得られる快感という人間の不思議なメカニズム。

あと、無意識下の小児性愛者のエピソードも印象的というか、確かに反社会的な性衝動を生まれ持った人は一生その性衝動を抑圧して生きて行かなければならないから大変だなーとは思う。
それが宗教的に言う人間の業であるならば、人間とはなんと因果な生き物であろうか。

結末に関しては最初からそんな予感はあったのだが、やっぱりそうかーという感じではある。
どこまでも人間の業は深い。
作品としては『アンチクライスト』延長線上にある作品のような印象。不感症になったジョーが子供も顧みずに己の性衝動を追求するあたりはまんま『アンチクライスト』が繰り返されるのかと思った。

若いジョーを演じるステイシー・マーティンに対して、その後のジョーを演じるシャルロット・ゲンズブールに若干違和感がある。
それはシャイア・ラブーフ演じるジェローム·モリスにも言えることで、途中で別の俳優(ミカ・エルパ)に変わって誰だかよくわからなくなってしまった。晩年のジェロームもシャイア・ラブーフでよかったんじゃないのかな。

ウィレム・デフォーは裏社会の男って感じがはまっていた。
さすが、デフォー、ちょい役だけど存在感がある。

それにしても俳優の皆さんはどうしてここまで自分をさらすことが出来るのだろう。
自分も芝居が好きで演劇やってたし、俳優になりたいと思った時期もあったけど、今となっては人前でこんなに自分をさらすことは出来ないなと感じる。

この映画の主題歌がやたらに格好よかった。