トグサ「いや、ただ、世の中には事件に巻き込まれて否応なく臓器移植を迫られる少女もいれば、あえて自分の臓器を捨ててサイボーグになりたがる社長もいるわけじゃない・・・。」

バトー「その狭間で臓器ビジネスが潤い、天然物にはプレミアが付き、この国の経済もまわってる。宗教的戒律と経済的制約を受けない環境にあるものだけが、高性能の義体を手にすることができるのさ。」

人間の価値観の違い。そこに良いも悪いもなく、正義も悪もない。価値観の違い、つまりは世界観の違いが人間のビジネスを生み出し、世界が回っていく。すべての人間が同じ価値観を持っていたら、そこにはなにも生まれず、人間という生物は衰退するだけだ。

悪と正義に良いも悪いもないとすれば、この世には悪も必要だし、正義も必要となる。

極論すれば、今回の尖閣諸島問題だって、中国が悪であるとは限らない。それは日本側の人間から見れば、ということであって、相対的なものだ。中国の立場から考えてみれば、尖閣諸島は中国の領土だ、と思っているのだから、その領土に入ってきた日本の船を攻撃することは当たり前、いや正義である。

この尖閣諸島問題で、ことの本質というのは、日本と中国はどちらが悪で、どちらが正義かなどではない。そんなものは立場が変われば180度変わる。

本質は、この問題が勃発することによって、生み出されるものがある、ということだ。上でも言ったように、価値観の違いこそがビジネスを生み出し、価値を生み出していく。

この本質をわかっている人間はすでに裏で動いており、すでにメリットを得ているはずだ。いわゆる戦争特需というものだ。しかも、その進化版。

もうすでに時代は、アメリカのようにただ戦争すれば経済が回ると思っているような、昔ヤクザの時代ではない。もっと知的に、もっと高度に、それが戦争だとも悟られずに、いや、そんな概念すらないものを創り出して、価値を生み出しているのだ。

尖閣諸島問題で、どちらが悪いかという議論をしている人間は「大衆」であり、要はバトーの言葉で言う、宗教的戒律と経済的制約を受ける者、ということだ。ここでいう宗教的戒律とは、日本という国、と中国という国の法律と置き換えてみるとわかりやすい。つまり、日本人は日本国憲法というものに信仰しているということだ。しかも、高度に、無意識にそうさせられている。