前回に引き続き、心理臨床広場の中に掲載された論文を引用させていただきます。
虐待の発見と通告をめぐって
春光学園 片山由季
「最後の砦」の向こう側から
私は現在、児童養護施設の心理職として働いています。
「施設」と聞くと、皆さんはまずは何を思い浮かべるでしょうか。
虐待を受けた子どもが、親と離れて生活している場所ー最近は、そんな答えがすぐに返ってくるかもしれません。
昨今のタイガーマスク現象のおかげで、親元から離れて生活せざるを得ない子どもたちの存在は、以前に比べるとはるかに知られるようになってきました。
しかし、どんな背景を負った子どもたちが児童相談所で一時保護され、様々な決定を経て施設で暮らすことになるのか、ということは、まだ充分に理解されているとは言えません。
今回、私がいただいたテーマは「虐待の発見と通告をめぐって」です。
児童相談所が子どもたちを守る「最後の砦」であるとするならば、児童養護施設はその向こう側にあるといえます。
なぜ施設にいる私が、「発見と通告」について書くのかーそれは以前、私が児童相談所で児童心理司として働いていたことに関係しています。
「発見と通告」を受け、在宅時の援助に関わる中で、一時保護の決定、施設入所の決定、そして入所後の家族関係再構築・家族再統合のプロセスを経験した人間が、今は「向こう側」で子どもたちを受けとめる場所にいます。
その立場・視点から、あらためて「発見と通告」の意義について見つめ直し、皆さんにお伝えすることができればと考えています。
不十分な養育が虐待にあたる典型的な事例(ネグレクト)
以下は、架空の事例です。
子どもが二人いる母子の家庭が、冬の終わりに引っ越してきました。
お兄ちゃんは小学3年生、妹は4歳。
二人とも地元の小学校と保育園に通うことになりました。
母親は昼と夜、掛け持ちでパートをしていました。
春半ばくらいから、妹が保育園を連絡なく休んだり、大幅に遅刻する回数が増えてきました。
登園しても着替えや持ち物が充分でなかったり、身体の臭い、食事をがつがつ食べる姿が目を引くようになりました。
保育園では送迎時に母親に声をかけ、持ち物や気になることを伝えるようにしましたが、母親は決まって硬い表情になり、全部話し終わらないうちにさっさと行ってしまいます。
そのうち保育士をあからさまに避ける様子が見られたため、保育園は心配を抱えつつも、細かく声かけしすぎない対応をとるようにしました。
お兄ちゃんの方も4年生になり、新しい学校に充分に慣れた頃でした。
3年生から引き続いての担任は当初、授業中に落ち着きがないのは転校のせいで、そのうち集中できるようになるだろうと思っていました。
ところが4年生になっても様子は変わりません。
どうやら1~2年生時の学習が身についてないようだ、と担任は気づきました。
いつも汚れたような服を着ていることも気になりました。そこで何かと声をかけるようにしていったところ、本人からは少しずつ、小さい時から何度も引っ越しを繰り返してきたこと、最近母親に新しい恋人ができて帰って来ない日もあること、恋人が家に来ると暴力を振るうからとても怖い、といった話を聞けるようになりました。
保育園も学校もそれぞれ、この家庭について強く不安を感じています。
しかし同時に、児童相談所に通告すべきか、決断することが出来ずにいます。通告することによって母親との関係が悪くなってしまえば、子どもたちが登園・登校しなくなるかもしれません。
とはいえ、このままにしておくのはもっと心配です。
「一時保護」「施設入所」で終わりではない
実際、これと類似した話は数え切れないほどあります。
そしてその数えきれない話の中で、とりわけひどい状況に置かれた子どもたちが、児童相談所に保護されます。
しかし、一時保護はあくまでも「一時」保護です。その期間は2カ月。
そして一時保護された子ども全員、施設に行くわけではありません。表1をご覧ください。
神奈川県の平成22年度統計では、一時保護児童の受付総数は1,972人ですが、そのうち児童福祉施設に入所したのは272人、つまり14%に満たないのです。
里親委託された子どもはもっと少なく、78人(4%)しかいません。
実に1,279人(65%)の子どもたちは、再び家に帰っているのです。
「一時保護」が決して「終わり」ではないことは、以上の数字からも明らかです。
一時保護された大半の子どもは、一定期間を経た後、元の家庭・元の地域に戻り、そこでの暮らしを継続していくことになります。
そして、「施設入所」となった子どもたちも同様です。
施設入所も「終わり」ではありません。期間の長短はあれ、施設に入った子どもたちも必ず、施設を退所する(場合によっては一時保護された地域・その時の家庭にもう一度戻る)日が来ます。
ただし当然ながら、施設で暮らしていた子どもたちが地域に戻るには、相当の困難が伴います。「施設入所」に至ったということは、裏を返せば過去、その親子が何らかの形で「地域の中で孤立していた」ことを示している場合が少なくありません。
例えば、物心共に支えてくれる援助者(多くは親族)がいないとか、仕事が安定しないため経済的に困っていた、養育者が心や身体の病気を抱えていて家事援助等の公的サービスが必要だが、それを充分に得られなかった、といったことが考えられます。
その状態になるまで追い込まれてしまった家庭が、再び子どもを受け入れ、育てられるようになるには、多くの時間と努力、そして周囲の人々の根気強い支えが必要です。
発見と通告をめぐって
虐待を発見したものの、関係機関への相談や児童相談所への通告を迷っている人がそばにいたら、どうか次のことをお伝えください。
子どもたちが一時保護となって家を離れるのは、よほどの場合に限られます。
しかもその中で施設入所が選択されるのは最後の最後であり、全体の中では一握りの数でしかありません。
多くの子どもたちは、その後、元の家に戻り、そこでの生活を続けることになります。
つまり、地域でどれだけの支援を受けられるか、どれだけの見守りを受けられるかに、この「戻っていく」子どもたちの健全な育ちはかかっているのです。
虐待を出来るだけ早期に発見し、相談・通告し、地域での支援体制を組むことが、「虐待されている子ども」と、「虐待している大人」の両方を救います。
特に「虐待している大人」は、子どもたち以上に支えが必要である場合があります。
「最悪の事態」になってから通告するのではなく、「ちょっと気になる」うちに、ぜひ相談してください。支援が遅れれば遅れるほど、心身に受けたダメージは回復困難なものとなり、その後、生涯にわたって子どもを苦しめることになります(施設では、今なお大勢が苦しんでいます)。
どうぞ早期の発見と通告にご協力をお願いします。
表1 神奈川県内児童相談所における所内一時保護児童の状況 平成22年度(単位:件)
受付件数:
総数:1,972
0~5歳:480
6~11歳:643
12~14歳:456
15歳以上:393
処理状況:
総数:1,989
児童福祉施設入所:272
里親委託:78
他の児童相談所・機関に移送:23
家庭裁判所送致:17
帰宅:1,279
その他:320
資料:子ども家庭課
出典:神奈川県ホームページ 平成22年度神奈川県福祉統計 3.児童福祉3-5表
児童相談所における一時保護児童の状況より一部抜粋
※横浜市、川崎市、相模原市、横須賀市、県所管の件数もあげられていましたが、省略しました。
※本文中の漢数字を一部数字で記載しました。
※パーセントは%で記載しました。
※前記事同様に、気になる部分は赤字にしました。前記事同様、内海医師の「児童相談所の怖い話」と読み比べてみてください。
心理臨床の広場 Vol.5 No.1 2012 14頁~15頁