ヒトに至る限りなく哺乳類に近いキノドン類(ペルム紀末の大量絶滅事件を乗り越えた獣弓獣) | angel_green888☆blog

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私達人類が誕生したのは約700万年前で、約46億年と言われる地球に、生命が誕生したのは約39億5000万年前と言われていて、つまり、人類の存在はごくごく最近のことだそう‼️
それまでの昔の恐竜時代や、三葉虫の時代など興味があるので、分かりやすく書いたネット記事があるので、紹介します😆
 
それにしても、そんな新参者の人類が豊かな暮らしを手に入れる為に、すごい勢いで自然破壊や地球温暖化を招いているのは、本当に酷いことで地球の未来に対して何とかせねばと思います。
とりあえず、昔は振り返りたい!こんなネズミみたいなキノドンが絶滅期を乗り越えて私達がいるとは不思議です爆  笑びっくりマークびっくりマーク
 
地球史上「最大の大量絶滅」を生き延びた生物が生んだ「限りなく哺乳類に近い生物」…じつに「混沌とした多様性」 
                               4/4(木) 現代ビジネス 
 
 長い長い進化の中で、い私たちの祖先は、何を得て、何を失い、何と別れてきたのかーー 約46億年と言われる地球の歴史において、生命が誕生は、遅くとも約39億5000万年前と言われています。そして、最初の人類が登場するのは、約700万年前。長い地球の歴史から見れば、“ごく最近”です。
 
 「子を産んで、乳で育てる」のは、いつ始まったのか?…カギはじつに「特異な生物」
…カギはじつに「特異な生物」 しかし、そのホモ・サピエンスも、突如として誕生したわけではありません。初期生命から現在へと連綿と続く進化の果てに、生まれたのです。私たち「ホモ・サピエンス」という一つの種に絞って、その歴史をたどってみたら、どのような道程が見えてくるでしょうか。そんな道のりを、【70の道標(みちしるべ)】に注目して紡いだ、壮大な物語が『サピエンス前史 脊椎動物から人類に至る5億年の物語』です。 この『サピエンス前史』から、70の道標から、とくに注目したい「読みどころ」をご紹介していきましょう
 今回は、広義では哺乳類とされることもある「哺乳形類」について、どんな動物だったのか、古生代の獣弓類との違いについての解説をお送りします。
 *本記事は、『サピエンス前史 脊椎動物から人類に至る5億年の物語』(ブルーバックス)を再構成・再編集したものです。 

 

古生代・ペルム紀末の大量絶滅事件後の地球

 

 地質時代と5つの大量絶滅 約2億5200万年前、空前の大量絶滅事件が勃発したとき、世界の大陸はすべて集合・合体し、「超大陸パンゲア」となっていた。 大量絶滅事件の“直前”まで、この超大陸に生きる獣弓類の一部は、全長数メートルという、 それなりに大きな体を獲得し、四肢でからだをぐっと持ち上げ、大きな顎には異歯性の発達し た歯が並び、ひょっとしたら横隔膜を備えて効率的な肺呼吸を行い、そして、内温性であることを十全に生かして、アグレッシブな狩りを行っていた(かもしれない)。 一言でいえば、陸上生態系の上位に君臨する存在になっていた(はずである)。当時、世界には獣弓類の王国が築かれていたのだ。 しかし、大量絶滅事件によって、その王国は崩壊した。約2億5200万年前を境として、私たちの祖先の仲間たちが築いてきた世界は壊滅し、新たに爬虫類を中心とする世界が急速に構築されていく。
  この新たな世界で頭角を現していくのは、“ヒトに至る系譜”とは、はるかな昔に袂を分かった竜弓類の雄、「恐竜類」である。 大量絶滅事件後、恐竜時代が始まる。約6600万年前まで約1億8600万年間にわたって続いたその時代は、「中生代」と呼ばれ、古い方から「三畳紀」「ジュラ紀」「白亜紀」と名付けられている。三畳紀とジュラ紀の境が約2億100万年前、ジュラ紀と白亜紀の境が約1億4500万年前だ。 

 

 
 
 
 
 舞台である超大陸パンゲアは、しだいに分裂していく。南北に分かれ、東西に分かれ、その後、1億年以上の歳月をかけて、諸大陸に分かれていく。北のローラシア超大陸、南のゴンドワナ超大陸に分かれ、その後、ジュラ紀の間にローラシア超大陸は北アメリカ大陸とユーラシア大陸に分裂した。
 白亜紀になるとゴンドワナ超大陸の分裂も進み、南アメリカ大陸とアフリカ大陸が分かれる。 この分裂は、生物の“断絶”を招いた。 超大陸の分裂によって、種内の交流が断絶され、「隔離」が生じることで、各大陸に固有の生物が進化していくことになる。 さて、激変した地球にあって、ペルム紀末の大量絶滅事件を乗り越えた獣弓類にキノドン類がいる。
 

トリナクソドン。キノドン類。南アフリカと南極大陸に分布する三畳紀初期の地層から化石が発見

 

広義の哺乳類を生み出す獣弓類「キノドン類」

 

哺乳形類が持つ「それまでのキノドン類と異なる点」

 最たるちがいは、下顎の骨である。従来のキノドン類の下顎の骨は複数の骨で構成され、最も後ろの骨である「関節骨」が上顎の骨と関節していた。 いっぽう、哺乳形類では関節骨が縮小し、やがて誕生する哺乳類では関節骨が“外れて”下顎の骨は一つだけとなった。【第25の特徴】といえる。この“外れた関節骨”は、消えたわけではなく、形を変えて耳の骨の一部を構成するようになるのだ。このことは、のちに哺乳類の聴力の向上につながっていく。 初期の哺乳形類には、いくつか代表的な種類がある。 アメリカに分布する三畳紀後期の地層から化石が発見された「アデロバシレウス(Adelobasileus)」、中国のジュラ紀中期の地層から化石が発見された「メガコヌス(Megaconus)」、「アルボロハラミヤ(Arboroharamiya)」などである。

 

アデロバシレウス。哺乳形類。アメリカに分布する三畳紀の地層から化石が発見された。初期の哺乳形類

 

 
 

 

やや“新しい時代”の哺乳形類

 

 ジュラ紀という、いささか“新しい時代”の哺乳形類だけれども、初期の哺乳形類の特徴がそのまま残っている。メガコヌスは全長27センチメートルほどで、アルボロハラミヤは全長35センチメートルほど。アデロバシレウスよりは大きいが、それでもあなたの左右の手のひらを水を掬(すく)うようにくっつければ、その上に乗るサイズだ。 このうち、メガコヌスの化石には、その周囲に体毛の痕跡が確認されている。そのため、この化石を2013年に報告した瀋陽師範大学(中国)のチャンフー・チュウたちは、メガコヌスが体毛で覆われていたとみている。また、その痕跡は腹部にはほとんど確認できなかったことから、腹部は皮膚が直接露出していた可能性があるという。 骨と異なり、毛は化石として残りにくい。したがって、メガコヌスのこの発見をもってして、「初期の(原始的な)哺乳形類の段階で、初めて体毛が備わるようになった」とするのは早計だろう。体毛は化石に残りにくいので、より古いキノドン類や獣弓類などが体毛で覆われていた可能性は否定し得ないのだ。

 しかし、少なくとも初期の哺乳形類の段階までに 、体毛が備わっていたことはどうも確からしいことはわかる。体毛は、サピエンスへの道標(【第26の特徴】)といえるだろう。

 

 

メガコヌス。哺乳形類。中国に分布するジュラ紀の地層から化石が発見された。体毛の痕跡のある化石が発見されている。ハラミヤ類に属している

 

 
 

 

哺乳形類の生態は多様だった

 いっぽう、アルボロハラミヤの手足は、「摑(つか)む」ことが可能であり(【第27の徴】)、樹木に登ることができたことが示唆されている。初期の哺乳形類の生態の多様性を知る、よい例となるだろう。 なお、メガコヌスとアルボロハラミヤは、「ハラミヤ類」と呼ばれるグループに分類される。 ここまで、ハラミヤ類を「哺乳類以外の哺乳形類」とする“伝統的な解釈”に基づいて紹介したけれども、じつはこれがよくわかっていない。2021年に雲南大学(中国)のジュンヨウ・ワンたちは、ジュラ紀中期のハラミヤ類である「ヴィレヴォロドン(Vilevolodon)」の化石を調べ、その耳の構造が哺乳類のものとよく似ていることを指摘している。 ワンたちの指摘が正しければ、ハラミヤ類は“原始的な哺乳形類”ではなく、“哺乳類内の原始的なグループ”とその分類が変更される。その場合、いささか話の順番が変わってくるのだが……ともあれ、現時点では、「初期の哺乳形類には、こんな動物たちがいた」という感覚でいれば、大きな齟齬(そご)にはならないだろう。 初期の哺乳形類の情報は、いささか混沌としているのだ。

  さて、哺乳類と哺乳類以外の哺乳形類の線引きが難しい。そこで、哺乳形類の中でも「あるグループ」以降に登場したものたちが「哺乳類」と定義づけられている。じつは、このグループは、現在にまでその子孫を残すことに成功している。続いては、「単孔類」と呼ばれるこのグループに属する生物たちの話から始めたい。

 

アルボロハラミヤ。哺乳形類。中国に分布するジュラ紀の地層から化石が発見された。ハラミヤ類に属している

 
この続きのネット記事(現代ビジネス)

じつに「特異な生物」が投げかかる謎…「子を産んで、乳で育てる」のは、いつ始まったのか

...今回は、哺乳類の誕生に関して、哺乳類と哺乳類以外の哺乳形類の線引きの目安とされるグループ「単孔類」について考察してみます。現生に残る単孔類の子孫は、水鳥のような口と,哺乳類でありながら卵を産むことで有名な「カモノハシ」です。この単孔類の進化上の位置や意義を考えてみましょう。

  哺乳形類を構成するグループの一つとして、「哺乳類」が登場したのは、ジュラ紀から白亜紀の“どこか”だ。化石記録の不完全性もあり、その誕生の時期は絞り込めていない。

耳の骨と下顎の骨が離れ、哺乳類が生まれた。ただし、初期の哺乳類の耳の骨と下顎の骨は完全には分かれておらず、「メッケル軟骨」という軟骨を介して、互いに接していた。いささかややこしいこの関係は、哺乳類と哺乳類以外の哺乳形類の線引きが難しいことを示唆している。そこで、哺乳形類の中でもあるグループ以降に“登場”したものたちが「哺乳類」と定義づけられている。

そのグループの名前は、「単孔類」

哺乳類の歴史において、“ヒトに至る系譜”と最も早期に分かれたこのグループは、現在にまでその子孫を残すことに成功しているという”長寿のグループ”である。単孔類の現生種における代表は、カモノハシだ。...「単孔類」という名称は、卵も糞も尿も、すべて一つの孔から出ることに由来する。...

  現時点で知られている限り最も古い単孔類は、オーストラリアに分布する白亜紀前期の地層から化石が発見されており、「テイノロフォス(Teinolophos)」と名づけられている。

  

さて、単孔類は、“ヒトに至る系譜”と早期に分かれたグループである。そして、“人類に連なる物語”の視点でみると、単孔類は重要な特徴を有している。

彼らは、「卵生」なのだ。

殻のついた卵を産んで増えていくのである。

  

私たちの祖先も卵生だった!? 

  これまでの記事でみてきた生命史を思い出してみてほしい(すでに、お手元に『サピエンス前史』がある方は、ページを開いていただけると、なおわかりやすいだろう)。水中で生まれた脊椎動物の始祖は、四肢と二つの肺、そして「硬い殻の卵」を獲得して、陸上(内陸)で暮らすようになった。このときからずっと、祖先たちは「卵生」だったとみられている。 そして、少なくとも単孔類が“ヒトに至る系譜”と分かれたそのときまでは、この繁殖方法は継承されていた。……正確にいえば、卵生を示す証拠も、胎生を示す証拠も乏しいために断言することは難しいけれども、現生の単孔類を見る限り、彼らと分かれるときまでは、私たちの祖先も卵生だった可能性が高い。 もしも、途中で胎生になったのだとすれば、卵生から始まった祖先が胎生になったのち、「再び卵生に戻った」と考えることになるからだ。基本的に進化は不可逆なものと考えられているため、このシナリオは考えにくい。もっとも、その後、胎生のグループが登場するまでに現れた哺乳類たちが、卵生だったのか、胎生だったのかについては、未だ に包まれている。 もう一つ、単孔類と“ヒトに至る系譜”の分岐の時期に関連するトピックが、「乳腺の獲得」である。つまり、「哺乳」の開始だ。

 

単孔類、有胎盤類、有袋類のミルク成分に「共通するタンパク質」があった

  2010年、ディーキン大学(オーストラリア)のクリストフ・M・ルフェーヴルたちが、子に乳を与える現生哺乳類の3グループ――単孔類、有胎盤類、有袋類のミルク成分を分析し、ある種のタンパク質がこの3グループに共通していることを見出した。このことは、単孔類、有胎盤類、有袋類の共通祖先の段階で、そのタンパク質を含むミルクが獲得されていたことを示唆している。つまり、単孔類と“ヒトに至る系譜”の分岐までに、乳腺が発達し、哺乳を開始していた可能性が高いということになる。ここで乳腺の発達をホモ・サピエンスに通じる道の道標(【第31の特徴】)としておこう。...  

オフテンダルの仮説が正しいとすれば、古生代の単弓類から、単孔類と“ヒトに至る系譜”の分岐があったとされるジュラ紀の前期までのどこかで、汗腺から乳腺が発達したことになる。

それは、まさに、「単孔類と“ヒトに至る系譜”の分岐のあったタイミング」かもしれないし、「二生歯性を獲得したモルガヌコドンのような初期の哺乳形類の段階」だったのかもしれない。

「哺乳」は、哺乳類の根幹たる特徴の一つだけれども、今のところ、その獲得の時期までは、絞り込めていない。乳腺は複雑な構造なので、一朝一夕に一足飛びで獲得されたものではなく、少しずつ汗腺から発達していったのではないか、ともされている。

 

 

 

じつに「サルらしい顔」になってきた暁新世の霊長類…それでも「空白の2000万年間」に、横たわる「ヒト直系祖先の謎」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e558d3ffa9730124f627c1e1080c19f6ce87bfb5?page=1

真っ直ぐな鼻をした直鼻猿類

  アーキセブス。メガネザル類。中国に分布する始新世の地層から化石が発見された illustration by hidenori yanagisawa 曲鼻猿類と直鼻猿類。このグループ名は、漢字そのまま、鼻の構造のちがいを指している。すなわち、曲鼻猿類では鼻の内部が曲がっており、“ヒトに至る系譜”を内包する直鼻猿類では鼻の内部が真っ直ぐだ(サピエンスに至る道標としての特徴は47番目にあたる)。 そして、曲鼻猿類と分かれた直鼻猿類は、さらに二つのグループに分かれることになった。 「メガネザル類」と“ヒトに至る系譜”である。 最古級のメガネザル類の一つとして、中国科学院のニイたちが中国に分布する約5500万年前ーー始新世初頭の地層から発見・報告した「アーキセブス(Archicebus)」がいる。最古級のメガネザル類であると同時に、直鼻猿類としても最古級の存在だ。また、メガネザル類としては、最初期の種の一つでもあるという... 

 

2000万年近い時間に横たわる「謎」

 …アーキセブスが示唆するメガネザル類と真猿類の分岐は、遅くとも約5500万年前だ。この時点で、メガネザル類はすでに登場し、“ヒトに連なる系譜”とは別の道を歩み始めていた。  そして、“最古の真猿類の化石”であるカトピテクスの化石は、約3600万年前である。  両者の間、真猿類が登場したとされる“理論上の時期”と、“最古の化石”の間には、実に2000万年近い時間が空いている。  眼窩後壁は、真猿類の最も重要な特徴とされるものの、じつはさほど丈夫ではない。原始的な眼窩後壁ほど脆もろいとされており、化石化の際に壊れやすかったとみられている。そうなると、発見は至難といえる。事実、カトピテクスの眼窩後壁が報告されて以降、四半世紀以上の歳月が経過しているにもかかわらず、カトピテクスより古く、原始的な眼窩後壁をもつ真猿類の化石は発見されていない。  こうなると、真猿類の登場時期と、最古の種の姿が気になってくる。  これが謎だ。

 

 

 

 

うちにやってきた、そのキノドン類の一種である、デイキノドンの頭の化石