[本] なぜそこまでする? / 文にあたる | そっとカカトを上げてみる ~ こっそり背伸びする横浜暮らし

そっとカカトを上げてみる ~ こっそり背伸びする横浜暮らし

大きな挑戦なんてとてもとても。
夢や志がなくても
そっと挑む暮らしの中の小さな背伸び。
表紙の手ざわりていどの本の紹介も。

相互読者登録のご期待にはそいかねますのでご了承ください。

 きちんとできていて当たり前と世間から思われ、あるいは仕事をしていることを意識もされず、逆にミスがあれば何をしているんだと非難される仕事を生業とするのはさぞかし辛いことでしょう。
 本や印刷物の文章や図表・イラストなどの表記や意味の誤りを正す校正・校閲はそんな仕事なんですね。

 横浜駅近くの大型書店で、装丁も取り扱う分野もこんな地味な本が平積みされているのだろう? と不思議に思いました。
 本づくりの舞台裏を覗いてみたら、「調べる」ということの苦労と奥深さをおもしろく垣間見ることができました。


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ぶん にあたる / 牟田都子 むたさとこ (亜紀書房)
2022年刊
お気にいりレベル★★★☆☆

 

 私の好みで★×3としましたが、とてもいい本です。とくに本好きにはたまらないかも。

 著者は、図書館勤めを辞めて、出版社で業務委託で就業する校正者となり、いまはフリーランスの校正者です。(本書では校正・校閲両方を扱いますが「校正」でまとめられています)

 各項の冒頭に作家らの文章をおき、その文章にまつわる校正の話が紹介されています。著者自身が校正者になる経緯、校正の仕事の紹介、心構え、失敗談やファインプレー、校正と正しさにこだわるエゴの違いなど50項目ほどの文章です。

 この本を読み終えて、これからは読んでいる本に誤りを見つけても、心の中でさえ文句をつけづらくなりました。


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 この本を読んで、当たり前のことをあらためてとらえ直しました。
 校正者な何でも知っているわけではありません。したがって、文を正すためには調べなければなりません。国語辞書を一冊めくれば済むなら簡単でしょうが、国語辞書に答えがあるとは限りません。調べるためには調べ方にたどりつかなければなりません。

 プロフェッショナルとして正確さを担保するとは、なんと合理的に執念を燃やさねばならないことか。
 そもそも、何でも知っているわけでもないのに、文章の誤りを見つけることができるのか。その仕事の出発点が不思議なベールに包まれています。

 ミスをゼロにしようとしている悪戦苦闘ぶりを読んで同情していたら、「好きな誤植」なんて見出しが登場しました。完全無欠を目指す人間像を描きかけていたところで、著者の茶目っ気に少しほっとしました。


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 私は、自分の誤りを他の人からそれを指摘されると感謝するものの、その直前に一瞬不快になります。

 校正者は筆者に対し彼らの誤りを、ちょっとした余白に書いて指摘します。誤った当事者の気持ちを慮る余地はきわめて限られています。顔を合わせることもなく、遠慮がちに声をかけることもできず、文字だけのコミュニケーションです。絵文字ですまなさそうな表情を付けることもないでしょう。

 そんな窮屈な環境で繰り広げられる、校正者と編集者や著者とのコミュニケーションの在り方の話は恐れ入りました。


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 私は、社会を大混乱に陥らせたり命に係わることでなければ、意図的かよほどうかつでないかぎり、人は過ちを犯しても仕方ないと考えています。
 現実を見ると無理とわかっていながら、ミスをゼロにしようとする努力に敬意を抱きながらも、そこまでしなくてもいいのに、とも感じる質です。完璧を目指す窮屈さが苦手とでもいったらいいのでしょうか。

 それでも、本書を読みながら、プロとして言葉に正確であろうとする姿勢や、さらに他人が書いた文章で正確を期そうとする姿勢に、私の快適な読書暮らしが支えられていると実感しました。
 プロフェッショナルに対して失礼と知りながらも、やはりずぼらな私はこの本の著者に声をかけたくなってしまいます。

 そこまで・・・・・・。

 でも、わかりました。著者は、校正のプロフェッショナルだからという義務感を超えて、読者にとって本に出合う価値というレベルで考えていました。
 そういえば、著者は校正者であるとともに、無類の本好きでしたっけ。



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