... 妻と真面目に話していることですが、もし心臓病を持っている娘のノエルの状態がさらに悪くなって、私達以外に心臓をあげられる人がいないとしたら、きっと「この心臓を使って下さい」と医者に言うと思います。しかし、ノエルに命をあげるためには、私達は死ななければなりません。しかし、そのことを歴史的に、 世界的に、 霊的に、大きなスケールでしてくださったのが「イエス様の十字架」です。イエス様はあなたに命を与えるために、自らの命を犠牲にされたのです。

14)もし、 たとえ私達の心臓をノエルに与えても、80年ぐらいしか使うことはできませんが、イエス様の命は「永遠」です。「永遠に神と共に、命にみなぎって生きることができる命」です。これは夢物語ではなく、この姿こそ、私達の真のあるべき姿なのです。

さて、神様はどのように私達に永遠の命を与えられたのか。それは、すでに持っている命に新しい命を足したのではありません。むしろ、神様は、私達の命を一度、十字架につけ、死なせ、ゼロにし、そこに全く新しい命エネルギーを吹き込まれたのです。それが今日のローマ人への手紙6章の前半に書いてあることです。

16) ちょっと、エンジニアリングの話になりますが、充電式カメラのバッテリーでも何でも、使った分を足していくだけだと、バッテリーの寿命は短くなりますね。しかし、長く使うためには、一度、電気エネルギーを抜き、ゼロにして(リフレッシュと言います)から、充電すると長持ちします。まるで、バッテリーを一回死なせて、甦らせるかのようなプロセスです。

神様は、生まれながらの私達を十字架で死なせ、ゼロにし、全く新しい「神の命エネルギー」をそこに入れ、甦らせてくださいました。そして、このエネルギーをいただくと、神様のことを愛し、神様のことがわかるようになるのです。

18) でも、それって目に見えますか? その出来事の目に見える形が、水のバプテスマ、洗礼です。洗礼は、あなたの罪が洗い流されたこと、イエス様と一緒に古い自分に死んだこと、そして、神の命をいただいて復活したことを示しています。

そして、あなたの中にいらっしゃる方は、「主イエス・キリスト」です。「古いあなた」ではありません。ですから、洗礼の意味は第一に、あなたの霊的な「お葬式」であり、「誕生式」であり、「結婚式」でもあります。 <続く...>