andfamily repo vol.2 ①

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[andfamily  repo vol.2] ①



取材協力者:養子当事者Bさん

 

今回、第二回の[and family repo]に協力いただいたのは養子当事者のBさん。

自分が養子だと知ったのは18歳の頃。

その事実にどのように向き合い、受け入れたのか、Bさんの半生を振り返りながら

語っていただいた。

 

Bさんが生まれたのは昭和49年。

前年の昭和48年には菊田医師による「赤ちゃんあっせん事件」が起きていた。

法律に違反しながらも100名以上の乳児の命を守ったことへの賛同の声が巻き起こり

社会的養護の下に置かれる子どもが社会的に認知され、要望に応える法的制度が必要だという機運が高まっていた。

 

ーーーーまずは、生い立ちからお話頂けますか。

 

Bさん

「生後3ヶ月で乳児院に入りました。今の母(養親)の元に来たのは2歳頃だったみたい

です。養子だということは知らずに暮らしていました。」

 

ーーーー自分が養子だという事は、どうやって知ったんですか。

 

Bさん 

「知ったのは18歳の時です。進学先の看護学校に提出するための書類に戸籍謄本が必要になったのですが、母がなかなか用意してくれなかったんです。いつもはなんでも早めに準備してくれる母なので、なんでだろう。と不思議には思っていたのですが。

提出期限の前日の夜、両親に呼ばれ戸籍謄本を渡されました。

両親もうまく説明が出来ない様子でした。見慣れない言葉の並ぶ戸籍謄本を見ても何が起きているのか理解ができませんでした。」

 

ーーーーその時の気持ちは、もちろん大きなショックだったとは思いますが、どんな想いが心の中を占めていましたか。

 

Bさん

「まずショックだったのは、自分は知らなかった事実を学校の先生や特定の大人は知っていたという事。私を守る為だったとは思いますが、裏切られたような気持ちでした。」

 

ーーーートラブルが起きないように見守ってもらう為に先生方には伝えておくというのはよく聞きますね。他にはどんな想いがありましたか。

 

Bさん

「自分は誰なのかという気持ち。どうやって産まれてきたのか、なぜ産まれてきたのか。言い表せない孤独感を強く感じました。

それで、産んでくれた女性に会いたいと思いました。」

 

ーーーーお会いになられたんですか。

 

Bさん

「養子縁組をした時、相続権などの取り決めと一緒に会わないという約束もしていたようなのですが、会えました。」

 

ーーーー会って、心に変化はありましたか。

 

Bさん

「特には。ただ、へその緒を持ってきてくれたので持ち帰りました。待ち合わせの場所がすごい人だかりだったのですが、その方を見た瞬間、母(産みの)だってわかったのは不思議な感覚でした。

それでも、私の母は育ててくれた母なのでそこに気持ちの変化はありませんでした。」

 

ーーーーその後、進学して、気持ちはどうやって折り合いをつけていたんですか。

 

Bさん

「進学後、勉強したいことが明確にあったので、そこに救われました。ショックが紛れるので。

折り合いというか、自分の中で納得。許せたのは結婚して、子どもを出産した時でした。養子と知ってから20年経っていました。」

 

ーーーーそうなんですね。出産して許せた。というのは、なぜだか今、私もすごく腑に落ちました。やはり妊娠、出産、子どもってすごいですね。

 

Bさん

「そうですね。こんな風に痛みに耐えて産んでくれたんだなって。産んでくれてありがとう。手放してくれてありがとう。って。

今の母への感謝はもちろん、産んでくれた母に対しても大きな感謝を感じれるようになりました。

それまでは何かうまくいかない事があると、’どうせ私なんて’というネガティブな気持ちが、度々湧いてくるんですよね。

普段は養子だということを意識しないほどに納得できても、子どもを生むまではやっぱりそういう癒えていない部分が残っていました。

以前、熊本の赤ちゃんポストの関係者の方に、私の経験をお話させていただいた事があり、出産を経て全てを許せたという話をした時に、その方が、’負の連鎖を断ち切れましたね’と仰てくださったんです。この言葉が私の中でストンと腑に落ちて。」

 

ーーーー負の連鎖ですか。虐待が繰り返されることとか、養育環境が、その先の人生に大きく影響するとか。そんなことを連想させる言葉ですね。

ご自身は18歳で養子だという事実を知らされたわけですが、幼少期からの真実告知をどう思いますか。