精神的に参ってしまっていたとき

日常的に自傷行為を繰り返していた私。



体のあちこちに沢山の傷があって

酷いときは夏でも肌を隠す服を着て過ごした




当時も今も、
周りの人は自傷行為に対してこう言う



"そんな事をしてなんの意味があるのか"


"かまってほしくてやってる"


"死ぬ勇気もないくせに"


"親にもらった体に傷をつけて、親不孝者"




ごもっともで、ぐうの音も出ない。



だけど、あくまでも私の場合、


自分に対しての八つ当りのような感覚。




毎日襲ってくる感情や思考の波に乗れず


ぐちゃぐちゃになった思いが溜まっていって


それを誰かに伝えるにも言葉にできず


表現する術も見当たらず


そんな自分に絶望し、


自責の念にかられてどうしようもなくなる


そして自分を傷つける。






当時、"死にたい"とも思っていたが

その為の自傷行為ではなかった



どちらかというと、

"死にたい"よりも


"こんな自分は居なくなった方がいい"


"存在することも、居なくなることも
どちらにしても人に迷惑をかけている"



そんなやりどころのなさが

自分への八つ当りとして、傷をつけさせた



自分が肉体的に傷つく分には、

誰にも迷惑をかけないと思っていた



その場しのぎの
全ての事への謝罪のような感覚だった




中には私の傷を見て、


"あなたのかわりに私の体を傷つけていいよ"

"だからお願い、自傷行為をやめて"


そう言ってくれた人もいた




だけどその言葉は

その時の私にとって

自責の念を更に強める言葉となった。





今ならわかる。
心のそこから、心配してくれていたんだと。



そしてある時、母から言われた言葉。



"あなたには、自尊心が欠けている"

"あなたがただ存在する事で、救われている人もいる"

"少なくとも私はその中のひとりで
できればあなたの笑顔を見ていたいと思ってる"



その言葉を少しずつ受けいれ

自分なりに噛み砕いていく事で、

私は徐々に自傷行為を辞めることができた。




"人から必要とされる事"が存在価値ではなく

存在そのものが価値を生み出しているんだと






だけど今でも時々

感情が自分のリミッターを越えたとき

あの頃の事を思い出し


自分を傷つけたくなる衝動に刈られる。




長い月日をかけて自傷行為をやめられたけど


決して克服したわけではないと思ってる


克服できているのなら、
自傷行為がよぎったりしないはずだからだ。


そういう時はただただ堪えて、そして


"もう二度とあの頃のようになりたくない"


そう心でとなえ続けている