今は、姉も私もそれぞれ夫と子供に恵まれ
穏やかな毎日を過ごしている。


だけど、所謂
"普通の父親"  "健全な家庭"というのが
私達にはわからない。






ある日、姉とお互いの家庭の話題から
自分達の父親の話になった。



「お父さんは虐待こそあったけど、子供が好きで、育児には積極的な人だった。
子供の行事には喜んで参加するし、遊びや旅行の計画はいつも父親発信で、家族で過ごすことが好きな人だった。
そこだけを切り取れば、夫にもそうあってほしいと思うほど、いい父親だった」




私は驚いた。
姉は、父親のいいところが記憶に残っていて
それを認める気持ちもちゃんと持っている。




私の記憶の中の父親像は

酒乱で、短気で、暴力的で、気分屋で

寂しがりやで、嫉妬深くて、

家庭を暗いオーラで包む人。これが全て。





私はきっと、父を認めたくないのだ。
だから、父の悪いところしか思い出さない。





父は、自身の過去の家庭環境が良くなかった
事から、人一倍家庭への理想が高かった。




その為、躾や礼儀作法に厳しく
家庭のルールや決まりをつくり
人としての在り方についてもよく説教された。





言われてみれば、確かに
行事に進んで参加したり
遊びに連れていってくれたり

家族で過ごした時間は多かったし、
そういう幸せな家族写真も沢山あった。




家庭への思いが強い分、家族への向き合い方、
理想の叶え方が、不器用だっただけかもしれない。





「私は愛されていないのを感じていたからこそ、育児に積極的で、家族が好きな父の姿に驚きがあってよく覚えているんだと思う」





悪いところが極端ではあったけど、
父には確かに愛情があった。
歪んでいたとしても、愛情はあったんだ。




暴力をうけた姉が、
ありのままの父を客観視して認めているのなら


家族への暴力を見ているだけだった私が、
父を否定し続けるわけにはいかない。





もとをたどれば、
父と母は愛し合って、3人の子供に恵まれた

両親の愛情を受けたからこそ、私達の今がある