ブログ、何年ぶりだろう?くらい間が空いちゃいました。

プシェパもわたしたち家族も元気にやっていますよ!


さて、久しぶりのブログですが・・・。


今年も早いものですでに半年が経ちましたね。


我が家にとっていろいろなことがあり目まぐるしい日々の中、覚悟・諦め・後悔・悲しみ・疲れ果て・鬱・切り替え・準備・寂しさ・喜び・感謝、そして…「願う」、こんな気持ちの変化を感じながら過ごしてきました。

放置しすぎのblogでしたが、自分の気持ちを整理したくて久しぶりにアップしました。

大変長くなりますし、ほぼグチかも(笑)なので興味ない方はスルーしてくださいね。

6年前より父が慢性白血病になり、4年前には脳梗塞、そして前立腺癌も患うこととなりました。
母は母で3年前にペースメーカーを入れ、脳動脈瘤も見つかり手術をし、実家と病院、私の自宅を行ったり来たりの日々。
自分の身体もちょっといろいろあった時期だったので、疲れ果てていました。

それまでの実家は車で片道1時間半かかる距離だったので、昨年夏私の自宅近くに両親は引っ越ししてもらい、ケアマネさんと介護をすることに。

全く歩くこともできなくなった父は、思うようにならない自分がきっと辛かったのでしょうね。周りを罵倒するようになり、このころから母はストレスで認知症が始まりました。

介護は祖父母で経験していましたし、覚悟はしていたのですがそれはそれは大変なものでした。

介護士の息子や娘たちに手伝ってもらいながら罵倒して騒ぐ父をストレッチャーに乗せ、いくつもの課を受診のため病院の中ぐるぐる周り終わっていく1日の長いこと。

諦めになっていった日々でした。

最期を迎えられる病院を探すよう言われ、やっと転院しても数日経つと急変してまた総合病院へ運ばれ、落ち着くとまた違う病院へ、そしてまた急変の繰り返し…そんな日々の中、4月12日の朝4時に父は前日移ったばかりの転院先で最後の日を迎えてしまいました。

このとき私の中では、容態の悪い父を何度も転院させるに至り、最期を看取れなかったことへの後悔しかなく、ただただ自分を責めていました。


何度も何度も転院するたびに契約面談等があり、それだけで1日が終わっていく日々。

初めは優しく接していたはずなのに、認知症が始まってきた母との言った言わないの言い争いや介護に最後はずっとイライラしていたのです。

介護は生半可な気持ちではできません。
何十年間も介護されてる方から見れば、「何を甘えたこと言って…」と叱られるかもですね。

父が亡くなり自分を責め後悔していましたが、通夜葬儀49日と私がやることとなり、忙しく過ぎて行ったことで多少救われました。

ですが父が亡くなるひと月前の3月には、わたしのことをとても愛してくれていた叔母も亡くなってしまいました。


叔母には子供が無く、わたしとは親子と同じ存在の1番の理解者で大好きだった人。
言葉は変ですが、母より近かった人。

一度に大切な人を二人失いました。
叔母の葬儀に出て、そのあと父を見送り、悲しいことが押し寄せた数ヶ月。
自分の気持ちも波があり、コントロールするのが大変で…でも先日今度は違う波がきたのです・・・。


それは・・・